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2008年10月18日  石川武志写真展「HIJRAS」を見に行く [現代の性(性別越境・性別移行)]

2008年10月18日  石川武志写真展「HIJRAS」を見に行く

10月18日(土) 晴れ 東京 21.2度 湿度 38%(15時)

11時、起床。
朝食は、アップルデニッシュとコーヒー。
髪染め(部分)。
シャワーを浴びて髪を洗う。
よくブローして、あんこを入れたポニーテールにまとめる。
「日記(17日分)」を書く。

14時、化粧と身支度。
黒地に茶色と白の花柄の長めのチュニック(7分袖)、黒のスパッツ(5分)、黒網膝下ストッキング、黒のサンダル、黒のトートバッグ。

15時、家を出る。
東急目黒線で目黒に出て、JR山手線で有楽町駅へ。
南口の「有楽町電気ビル」北棟20階の「日本外国特派員協会」で開催中の石川武志写真展「HIJRAS The Third Gender of India」を見に行く。

会場がわからなくて、受付のお姉さんに尋ねると、バーラウンジの中とのこと。
ラウンジに入っていくと、カウンター席に石川武志さんがいらしたのでご挨拶。

名著『ヒジュラ インド第三の性』(青弓社 1995年10月)の著者である写真家石川武志さんと私とは、1997年12月に行われた石井達朗先生(慶應義塾大学教授)を中心とする座談会「ヒジュラに学べ!-トランス社会の倫理と論理-」でご一緒して以来のお付きあい。
でも、お会いするのは、ずいぶん久しぶり。

(注)この座談会は『ユリイカ』1998年2月号(青土社)に掲載され、後に、石井達朗著『異装のセクシュアリティ(新版)』 2003年3月 新宿書房 に収録。

広いラウンジの壁面に20点ほどのヒジュラの写真が展示されている。
石川さんに説明していただきながら、1点ずつ見てまわる。
どれも、ヒジュラの伝統的な習俗とその現状を伝える迫力に満ちたものばかり。

ヒジュラは、元々、シヴァの神に仕える両性具有者を名乗る人々で、ヒンドゥー教を信仰するインドの人々の誕生・結婚・出産などの儀礼に深くかかわってきた宗教・芸能集団。

そのあり様は、かって世界各地に広範に存在し、特有の社会的役割をになってきたサード・ジェンダーの姿を現在に伝えるものとして、文化人類学、性社会史的に注目されている。

石川さんは、1982年からヒジュラの取材を続け、その回数はなんと60回に及ぶ。
排他的なヒジュラ集団の奥深くまで入りこんで撮影するのは、ヒジュラの人々の信頼を得ないとできる仕事ではない。
そうして撮影された写真の数々は、失われゆくヒジュラ文化の記録としても、学術資料としても、たいへん価値がある。

中でも印象的だったのは、カルカッタの街で撮影された1枚。
祭礼の日、1人のヒジュラの足元に数人の女性が五体投地している。
女性たちはヒジュラの足で衣を踏まれることによって、豊饒(子孫繁栄)を授かろうとしている。

日ごろ、賤視されているヒジュラが、祭礼の日に限ってシヴァの神の化身として、人々の崇拝の対象になることを、1枚の写真がしっかり捉えている。

10年前に石川さんの写真を見せていただき、座談会でいろいろ意見を交換した。
そのときに得た示唆は、私が『女装と日本人』(講談社現代新書)で日本の女装史をまとめる際に柱にした「双性原理」という形で結実する。
それが、間違いでないことを改めて感じた。

まだ2週間ほど会期がありますので、インド好きの方、ジェンダー/セクシュアリティに興味がお有りの方は、ぜひ、ご覧になってください。

石川さんの奥様にもご挨拶。
コーヒーを飲みながら、いろいろお話。

ヒジュラを、Indian Transgender と翻訳することの問題。
ヒジュラの人々は、自分たちは、男でも女でもないヒジュラであり、生まれついての両性具有者であると主張する。
しかし、現実には、両性具有者がそんなに存在するはずはなく、ヒジュラのほとんどはMtFのトランスジェンダー(男性から女性へのトランスジェンダー)と考えられる。
しかし、ヒジュラのアイデンティティは両性具有者であり、トランスジェンダーではない。
またヒジュラの文化の根源も両性具有者(双性)であることにある。
それを無視して、外的観察からトランスジェンダーであると解説することが、はたして適切だろうか?と石川さんは言う。

私も基本的に同じ意見だ。
世界各地のサードジェンダーは、西欧的な概念に翻訳・解釈されることによって、固有の形態を失っていった。

例えば、北アメリカ先住民の「ベルターシュ」や、南太平洋タヒチ諸島の「マフ」が、欧米人によってホモセクシュアルと解釈されたことによって、固有のアイデンティティと文化が失われ、ゲイ化してしまったように。
ヒジュラもまた、カルカッタやムンバイ(ボンベイ)など、近代化・西欧化が進んだ大都市では、固有の社会的役割(宗教・芸能的職掌)を失い、単なる女装のセックスワーカーとして、社会的に賤視されている。
それらを考えると、ヒジュラを、Indian Transgender と翻訳することいは躊躇せざるを得ない。

とは言え、学術的に分析する際には、ヒジュラの自己主張だけを記すわけにはいかない。
やはり、ヒジュラについて記述する際には、何がヒジュラのアイデンティティで、何が観察に基づく学術的な解釈なのかを、はっきり分別すべきだろう。

あの座談会から流れた10年の時を忘れるような、とても有益な時間だった。

18時、辞去。
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↑ 石川武志さんと
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↑ 私が好きな1枚
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↑ 踊るヒジュラの手のポーズがちょっと異なる同じ場所・同じ時の写真を『女装と日本人』(329頁)で使わせていただいた。
081018-4.JPG
↑ ヒジュラの写真と日本のヒジュラ


2008年08月17日  週刊プレイボーイの取材 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2008年08月17日  週刊プレイボーイの取材
8月17日(日) 曇りのち雨 東京 25.5度 湿度 89%(15時)

21時、『週刊プレイボーイ』の記者さんから取材の電話。
最近の若者の女装ブームを記事にするそうで(25日発売)、その理由・背景などについて、専門の立場から意見を求められる。

述べたことは、以下の通り。

女装するハードルが、以前に比べてすごく低くなっていること(お気楽女装)。
セクシュアリティ的には「対男性」ではなく「対女性」であること(女装して女性と遊ぶ)。
したがって、従来の女装コミュニティとは別の場で、女装する人が多い。
それに伴い、女性がボーイフレンドの女装行為に協力的・積極的であること(ボーイズ・ラブの影響?)。
平均的に、レベル(きれい度)が高くなっていること(顔・体形の中性化)。

それらをまとめて言えば、「女装のサブ・カルチャー化」ということ。

若者だけでなく、女装コミュニティにおける中年層の女装趣味も回復基調にあるように思う。
女装業界は、1990年代末~2000年代前半の性同一性障害の「大流行」で、人材がドッと流出して、将来が危ぶまれたが、勢いを取り戻しつつあるようだ。

逆に言えば、性同一性障害の「流行」は、今後、下火になるかもしれない。


2008年06月12日 再び「ラスト・フレンズ」考 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2008年06月12日 再び「ラスト・フレンズ」考

6月12日(木) 雨のち曇り 東京 21.8度 湿度 78%(15時)

12時、起床。
久しぶりによく眠って、溜まっていた疲れがとれた感じ。
朝食は、ソーセージパンとコーヒー。

シャワーを浴びて、髪をアップにまとめる。
仲良し姐さんのブログを見て、ちょっと真似してみたけども、髪の長さも量も足りなかった(シクシク)。
まあ、あちらは、夜中に髪がシュルシュル伸びる人だから(笑)

今日は、自宅で静養のつもり。
「日記(11日分)」を書く。
新聞記事(切り抜き)をファイルに整理。
昼食は、ほやの酢醤油漬けと烏賊の塩辛で、ご飯を1膳。

その後、崩れそうになっている週刊誌の山を整理。
ああ、重いもの運ぶと、腰が痛い(老化)。
古いものから中身をチェックして、必要な記事を収集。
なかなか進まない。
やっと30冊ほど。

夕食の支度。
冷蔵庫の整理を兼ねて、ビーフストロガノフ(もどき)を作る。
2時間ほど煮込む。

20時、夕食。
ビーフストロガノフ、昨夜の残りの回鍋肉、それに白菜キムチ。
ぜんぜん統一感なし。

洗い物をした後、フジテレビのドラマ「ラスト・フレンズ」を見る。
DV男の似たような手口の罠に何度もはまる美知留(長澤まさみ)って、有り得ないほど学習能力に乏しいと思う。
前回も似たような感想を書いたが、このドラマでは、DVもストーキングも、そして暴行も、犯罪行為という認識が乏しい。
どれひとつ取っても、間違いなく警察沙汰なのに。

また、先週「いったいどう結末をつけるつもりだろう?」と書いたが、実にあっさりテレビドラマらしく、結末がついてしまった。
DV男宗佑(錦戸亮)の自殺という形で・・・・。
あまりのあっけなさに、口あんぐり。
あれだけの執念・執着をみせた男が、こんな簡単に命を断つものだろうか?
まあ、当たり前だけど、ストーリーの都合ということだろう。

それにしても、瑠可(上野樹里)は、最後まで、レズビアン(女性同性愛)と性同一性障害(FtM)だか、よくわからなかった。
父親へのカミングアウトが「男の子を好きになれない」では、どう考えたってレズビアンだろう。
性同一性障害だったら「(自分を)女の子だと思えない」になるはず。
それに対する父親の述懐が「子供の頃から、男の子に混じって元気に遊ぶ子だった」というのもちぐはぐ。
男の子が好きになれない子は、男の子に混じって元気に遊ぶ子なのだろうか?

性同一性障害は性自認の問題(自分が男か、女かということ)、レズビアンは性的指向(男が好きか、女が好きか)の問題。
性自認と性的指向は、基本的に独立の系で連動しない。

それを連動させて、「女が好きだから自分は男なのだ」という論理は間違い。
もし、そうなら、レズビアンは皆、男に転性しないといけなくなる。

このドラマは、どうもそこらへんがごっちゃになっている。

たぶん脚本家が、そこらへんの違いをわかっていないのだろう。

夜中、メールのお返事を書く。
明日の講義の準備。
「日記(12日分)」を書く。
就寝、4時。

(追記)
『ラスト・フレンズ』の脚本家・浅野妙子さんのインタビューを読んだ。
http://www.tokyowrestling.com/articles/2008/06/last_friends_1.html

私がこのドラマに感じていたもどかしさの理由がやっとわかった。
脚本家は、最初から、「FtMとレズビアンの間にグレーゾーン」があるとして、「瑠可をそのゾーンに入れている」のだそうだ。
また「私の中では瑠可はFtMとレズビアンの間なんです」と言い切っている。
つまり、瑠可がレズビアンなのかFtMのGIDなのかよくわからない、という私の見方は、脚本家の意図したものだったということ。
ではなぜ、レズビアンという言葉を使わずに、「性同一性障害」とか「性別違和症候群」という言葉を多用したのか?
それについては、
「今回は性同一性障害という設定が(プロデューサーの意向で)最初に決まっていた」こと、
「ドラマ『3年B 組金八先生』で、上戸彩が性同一性障害を演じてクローズアップされたので、その言葉のほうが日本では認知度が高い」ので、「どっちともはっきりは言えないけれど、まずは「性同一性障害」にしておこう、と考え」たこと。

また、脚本を事前に閲覧したFtMの方に「これってレズビアンじゃん(笑)。レズビアンだと何でいけないの?」というしごく最もな指摘をされたのに対して、
「でもなんかやっぱり一般の人によりアピールするときにはこの言葉が必要だと感じたので、言葉として「性同一性障害」という単語を残したいという意図で」実質、無視したとのこと。

つまり、番組制作上の「ご都合」で、現実の当事者の有り様や深い思慮に基づいたものではないということ。
こんな姿勢では、私のような一般視聴者(非当事者)が違和感をもつだけでなく、FtMGIDの当事者が強い違和感、さらには怒りを持つのは、当然だろう。
それに、ここまで存在を軽視・あいまい化されたレズビアンの人たちは、怒らないのだろうか?

まあ、しょせんはドラマ、と言えばそれまでなのだけど、高視聴率のドラマだからこそ、視聴者の認識に与える影響は大きく、それによって当事者がいろいろな形で社会から作用(誤解、偏見、差別)を受ける。
そこらへんのことを、この脚本家は、ほとんど認識していないようだ。
期待が大きかっただけに、落胆も大きいドラマだった。

2008年06月11日  「改正・性同一性障害者特例法」成立 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2008年06月11日  「改正・性同一性障害者特例法」成立

6月11日(水) 曇り 東京 26.5度 湿度 59%(15時)

8時、起床。
朝食は、アップルパイとコーヒー。

シャワーを浴びて、髪をポニーテールにまとめる。
化粧して、身支度。
黒のVネックのプルオーバー(7分袖)、黒のパンツ、黒のパンプス、黒のトートバッグ。

午前中、講義。

昼ご飯は、学芸大学駅に戻り、昨年末にオープンした西口の「豆金餃子」に行ってみる。
ここは以前、男姿でよくランチ食べにきた「紅虎餃子房」があった場所。
経営(出資)会社(際コーポレーション)が同じなので、内装も大きな変化はない。
鶏棒餃子定食(780円)を注文。
まずまずおいしい。
他にもいろいろ餃子の種類があるみたいなので、餃子が食べたくなったら、ここに来よう。

13時過ぎ、仕事場に戻る。
溜まった新聞を読んで、整理。

14時、派手目のファッションに着替えて、ハイヒール・サンダルの試し履を兼ねて、外出。
まず、郵便局へ。
振込みと、タイから届いた怪しい小包の受け取り。

目黒区立目黒本町図書館へ。
今朝の新聞をチェック。
昨10日の衆議院本会議で成立した「性同一性障害者特例法、改正」の記事を探す。
スポーツ新聞(スポーツニッポン、日刊スポーツ、サンケイスポーツ)には出ていない。
産経新聞にベタ記事があったのでコピー。

家で取っている新聞では、「お母さん、女性になれるね」「性同一性障害 子の成人後、変更可能に」という見出しで、子供がいる当事者の水野淳子さんの顔写真入りで報じている朝日新聞がいちばん扱いが大きい。

毎日新聞は、社会面で、写真なしの細長い5段記事。
読売新聞は、社会面ではなく政治面で囲み記事。
日経新聞は、記事が見つからなかった。

どうも、このニュース、関西方面の新聞の方が扱いが大きかったようだ。

ちなみに改正の骨子は、今まで「子供がいる」場合は、一切、性別変更が認められていなかった(「子なし要件」)のが、「20歳以上の子供がいる」場合のみ、変更が認められるようになった。

したがって、水野さんのように、まだ子供さんが成人に達していない場合は、何年か(彼女の場合は6年)待たなければならない。

今回の改正、当初は「子なし要件」全面削除の流れだった(民主党案、公明党も同意見)。
ところが、「子なし要件」全面削除は子供の福祉に反するという、南野千恵子元法務大臣など自民党議員の反対で、「子なし要件」の部分的緩和にとどまることになった。

たしかに、単純に「子なし要件」を全面削除した場合、専業主婦の妻とまだ学齢期の子供を放り出して、子供の学資貯金を使ってタイでSRS(性別適合手術)を受けてきて、離婚。
「女は低収入だしぃ、女の生活にはいろいろお金がかかるよぉ」と言って、慰謝料も養育費も払わないようなトンデモ父さん(←実話)までも、「救済」(性別変更許可)になってしまい、それもいかがなものかと思う。

しかし、その一方で、水野さんのように、二人のお子さんとちゃんと母子関係を再構築し、社会的にも女性としてしっかり適応している人が、なぜ長期間待たされなければならないのか?
じつに理不尽な話だと思う。

実質的に、母親をしている人の戸籍を、男性のままにしておくほうが、余程、子供の福祉に反すると思うのだが・・・。

性別移行の有り様や、家族との関係は、人さまざまなのは当然のこと。
それを、法律で一律に線引きしてしまうことが、そもそも間違いだと、私はずっと主張してきた。

しかも、法律では、望みの性別での社会適応状況はまったく顧慮されない。
つまり、女性としての生活・社会経験がまったくない男性でも、法律で決められた5つ要件(当人が20歳以上であること、結婚していないこと、20歳未満の子供がいないこと、生殖腺の機能を永続的に欠いていること、外性器の外形が望みの性別のものに近似していること)を満たしていれば、女性の戸籍に変更できるのが実態。

大枠だけを法律で決め、個別事例については、移行後の性別での社会適応の状況を最も重視して、ケースバイケースで家庭裁判所が審査するのが、いちばん望ましいと思うのだが。

バスで渋谷駅に出る。
車中、居眠り。

シブチカで、スパッツ(7・5・3分、各々1)と、黒網(ダブルネット)タイツを購入。

電車で、学芸大学駅に戻り、コーヒー・ブレイク。

17時、仕事場に戻る。
黒子衣装に着替える。

超久しぶりに履いたハイヒール・サンダル、さすがに足裏がちょっと痛いけど、まずまず実用になりそう。
それにしても、たった数センチで、景色が変わったような気がしたな。

18時半、自宅最寄駅前の「ドトール・コーヒー」でパートナーと待ち合わせ。
サンドイッチを半分子して食べた後、買い物をして、一緒に帰る。

19時半、帰宅。

夕食の支度。
今日は、野菜たっぷりに回鍋肉(ホイコーロー)を作る。
後は、作り置きのぜんまいとキムチ類。
私は、好物のホヤの酢醤油漬け。

お風呂に入って、髪を洗う。
夜中、「日記(9日分)」を書く。
就寝、4時。


2008年05月08日 フジテレビ「ラスト・フレンズ」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2008年05月08日 フジテレビ「ラスト・フレンズ」

5月8日(木) 曇り 東京 23.5度 湿度 27%(15時)

6時、目が覚める。
ベッドで、昨夜、読みかけで眠ってしまった、獨協大学の学生さんの感想文を読む(70枚)。
7時半、起床。
朝食は、アップルパイとコーヒー。
シャワーを浴びて、身体と髪を洗い、髪はブローしてポニーテールにまとめる。

「日記(4日分)」を書く。
旅行記なので、いろいろ調べながら書く。
だから、時間がかかる。

昼食は、お豆腐とモロヘイヤのお浸しで、ご飯を軽く1膳。

14時、化粧して身支度。
黒のプルオーバー(5分袖)、黒のコットンパンツ、黒のヒールパンプス、黒のトートバッグ。

15時10分、学芸大学駅西口の歯科医院へ。
左下奥の小臼歯2本と大臼歯1本を連続して充填する金属のはめ込み。
微調整しながら、まずまず違和感少なく納まる。

これでやっと左側上下の治療が完了。
あと、右上に2本、右下に1本、それと右下の親知らずの抜歯。
数えてみると、歯の治療を始めて6ヶ月が過ぎた。

先生(美人)に「もう少しですよ。頑張りましょう」と言われる。

「ドトール・コーヒー」で休憩した後、仕事場に戻る。
衣類(洋服)の整理。
冬物を仕舞い、夏物を出す。

18時過ぎ、帰宅。
夕食は、牛肉とにんにくの芽の炒め物、アスパラときのこのワイン炒め、湯葉と磯のりの味噌汁を作る。
それに、まぐろとほたる烏賊のお刺身。

フジテレビのドラマ「ラスト・フレンズ」を見る。
主人公のひとり瑠可(上野樹里)がメンタルクリニックを受診するシーン、どうやら知人(主治医)の針間克己先生がかかわっているようで、番組最後のテロップに「協力:はりまメンタルクリニック」と出ていた。

それはともかく、相変わらず、レズビアン(女性同性愛)と性同一性障害(FtM)のイメージが不明確。

瑠可の場合、現在までのストーリーでは、幼馴染の女性、美知留(長澤まさみ)への恋愛感情が強く意識されていて、自らの女性としての身体違和感や社会的違和感があまり表面化してないように思う。
私から見ると、性同一性障害というよりもレズビアンの範疇で納まりそうな気がする。

逆に言えば、もし、ドラマの中であっても、このパターンで性同一性障害ということになると、同様のレズビアンがどっとメンタルクリニックを受診するようになり、現在進行中のレズビアンのFtM化にいっそう拍車がかかりそうな気がする。

DV男宗佑(錦戸亮)は、気持ち悪いし、もう最悪。
そんな独占欲と暴力しかない男に、依存してしまう馬鹿女も、見ていて腹が立つ。

それにしても、上野樹里はうまいなぁ。
主演のはずの長澤ますみが霞んでいる。

個人的には、「のだめ」以来のファンの水川あさみが演じている瑠可のルームメイでキャビン・アテンダントのエリが、女の魅力を生かしながら自分らしく生きていて、すてきだなと思う。

お風呂に入って、髪を洗う。

夜中、「日記(5・7日分)」を書く。

就寝、4時半。



2007年09月10日 朝日新聞 「家族:性を超えて」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年09月10日 朝日新聞 「家族:性を超えて」

9月10日(月)
9日の『朝日新聞』朝刊に、友人の土肥いつきさん(45歳)が出てるということなので、昨夜遅く、自宅に戻って、早速探してみた。
たぶん、生活面だろうと思って、新聞の中ほどを探す。
出ていない。
おかしいな、と思いながら、もう一度チェック。
なんと第1社会面(後から2頁目)にデカデカと、しかも、ご夫妻のカラー写真入りで載っていて、びっくり。

「家族 性を超えて」という3回シリーズの第1回で「私の謙一郎君を返して」(井田香奈子)。

この見出しにも驚いた。
「謙一郎」とは、いつきさんが、3年前、性同一性障害を理由に改名する前の名前。
「私の謙一郎君を返して」というフレーズは、NHK教育テレビの「ハートをつなごう:性同一性障害」にご夫妻が出演したときに、奥様の淳子さん(43歳)が発した言葉。

自分の理想の男性像だった夫が、性同一性障害の「治療」という形で、徐々に女性に移行していくことに対する、やり場のない怒りがこめられている。

以後、性同一性障害の夫をもつ妻の感情を表す言葉として、ネット上などで、一人歩きしている感がある。

この問題の関係者でまともな感性の人間なら誰でも、胸に突き刺さる鋭く強い言葉だ。
それを、見出しに使うとは・・・・(だから使ったのだろうが)。

記事は、そうした性同一性障害の夫とその妻の苦悩と葛藤、そして、妻が「私たちの結婚も間違いない」、夫が「この家族を続けたい」と思い至るまでをたどっている。
笑顔で背中を合わせて立つ夫妻のカラー写真を大きく掲げ、性同一性障害と向き合って、危機を克服した家族の姿を紹介する内容。

一読して、どうしようもない違和感が残った。
それが何なのか、今日一日、ずっと考えていた。

1つ目は、家族をここまでマスコミに晒すことへの違和感だろう。
私は、自分の性別の問題に関わることで、家族に対する取材は一切拒否している。
今日も、その種の取材依頼のメールが来たが、お断りした。
個人の問題で家族の平穏を乱すことはしたくないし、すべきでないと考えているからだ。
時代遅れの倫理観だと言われるかもしれないけども、それが家族を守る立場の者として最低限の責任だと思う。

ただ、家族のあり様は、それぞれだから、この点に関して土肥夫妻を批判するつもりはまったくない。
今回の取材にしても、奥様がマスコミに出ることを、ご自分の判断で(自由意志で)決めているのだろうから、他人がとやかく言うべきことでないだろう。

問題は、やはり記事のあり方、全体のトーンだろう。
自分の性別違和感、女性になりたいという気持ちを、妻に告白すること、つまりカミングアウトを美化(理想化)している印象がどうしてもぬぐえない。

カミングアウトというものは、する方は、してしまえば気持ちは軽くなる。
しかし、される側は、その分、気持ちが重くなるものだ。
だから、カミングアウトは、重い荷物を持って歩く人が、傍らを歩く人に荷物を分け持ってもらうことに例えられる。

性別に関わるカミングアウトは、される側の方がずっとたいへんなのだ。
とりわけ夫婦間では・・・。
土肥淳子さんのような聡明で気持ちのしっかりした女性でも、「私の謙一郎君はどこ?」「謙一郎君を返してよ」と叫んでしまうくらい。
並みの精神力の妻だったら、精神的に堪えられなくて当然だと、私は思う。

私の今までの見聞では、土肥夫妻のように、カミングアウトして、夫婦(家族)関係を維持、もしくは再構築できた例は、少数だと思う。
その多くは、夫婦関係の解消・破綻、つまり離婚・家庭崩壊に至っている。

土肥夫妻は、ある意味で、性同一性障害を抱えた夫婦の理想像になっている。
いや、マスコミがよってたかって理想化しようとしていると言うべきだろう。

だが、理想は理想であって、誰もが実現できるものではない。
そうした現実を見ずに、例外的にうまくいった夫婦を取り上げるとしたら、それはカミングアウトをいたずらに奨励することになりかねず、マスコミによるミスリードだと思う。

この連載、毎週日曜日の掲載らしい。
ぜひ、残り2回で、うまくいかなかった事例も取り上げてほしい。

性別違和の問題に関しては、専門家もマスコミも、カミングアウトを奨励する。
「早ければ早いほど良い」と明言する性同一性障害の専門医もいる。
隠すことは不誠実だし、「治療」の妨げになるということだろう。

しかし、私は、「言わぬが花」(世阿弥『風姿花伝』)という古い言葉を思い出す。
まあ、時代遅れの人間のたわ言としか、関係者には受け取られないだろうが。



2007年05月23日  性転換(性別適合)手術の専門医、急死 (コメント欄) [現代の性(性別越境・性別移行)]

コメント

えーーっ 爛々 さん
ホント....衝撃...
...急死の急死ね.....
心筋梗塞とか卒中とかかしら?

何れにせよ、ご冥福をお祈りします。
和田クリもLCクリも閉まっちゃうのかな....あと大変ソ...
(2007年05月23日 22時28分38秒)
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Re:えーーっ(05/23) 三橋順子 さん
爛々さん
>ホント....衝撃...

はい、びっくりでした。
第1報が入ったときは、デマだと思ったくらい。
死因の詳細は、不明ですが、過労による突然死の可能性が高いとのことです。
(2007年05月23日 22時35分08秒)
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ビックリです! 洋子 さん
この前、東京から転勤で、こちらに来られた方を紹介したところなのに・・・
病院は廃院の手続きをとるそうです・・・
大阪の仲間達は、行き場が無くなるって、困ってる状態です!
(私も含めて・・・)
(2007年05月24日 05時24分33秒)
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??? 晴はる さん
まだ、53歳ですよね?
これからなのに……
私と5つしか違わないのに…
やりたいことも色々あったでように…
やっぱり、日々を悔いなきように生きていかなくっちゃですね
(2007年05月24日 10時39分52秒)
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Re:ビックリです!(05/23) 三橋順子 さん

洋子さん、いらっしゃいま~せ。
>大阪の仲間達は、行き場が無くなるって、困ってる状態です!
>(私も含めて・・・)

なにしろ急なことでしたからね。
大阪の業界では大騒動のようですね。
通院者の皆さんは、たいへんでしょう。
切実な問題だし。

たしか10年ほど前だったと思うけど、
東京で大久保病院というホル投与をしてくれる病院が突然、閉院したときの騒動を思い出しました。
基本的には、10年間ほとんど変わってないのだなぁ、と思います。
(2007年05月24日 11時51分32秒)
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Re:???(05/23) 三橋順子 さん

晴はるさん、いらっしゃいま~せ。
>私と5つしか違わないのに…
そうです。私とは1つしか違わない・・・・。

>やりたいことも色々あったでように…
昨日、亡くなった方のブログ日記を資料保全したのですけど、「来年には・・・・するつもり」みたいな将来の希望がいろいろ書いてあって、なんだか切なくなりました。

>やっぱり、日々を悔いなきように
つくづくそう思います。
(2007年05月24日 11時54分49秒)
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Re:性転換(性別適合)手術の専門医、急死(05/23) kaorin さん
本当にびっくりしました…
LCでお注射していただいたこともあったので。
SRS受けたお友達も何人かいるし、これから大変ですね
(2007年05月24日 23時59分28秒)
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Re[1]:性転換(性別適合)手術の専門医、急死(05/23) 三橋順子 さん

kaorinさん、いらっしゃいま~せ。
>SRS受けたお友達も何人かいるし、これから大変ですね。

私の知人にも、和田「娘」は、片手で足りないくらいいます。
全国で推定250~300人といった感じだと思います。
その分の需要、どこが面倒みてくれるのでしょう。
結局は、海外頼みになりそうな・・・・。
(2007年05月25日 01時04分37秒)
-------------------------------------------
和田先生のブログ KATT さん
とても残念です。闇医師というイメージでしたがその信念は真面目で温かいものでした。先生の残されたブログを紹介させてください。
http://blog.goo.ne.jp/wd504/
(2007年05月26日 00時31分10秒)
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Re:和田先生のブログ(05/23) 三橋順子 さん

KATTさん、いらっしゃいま~せ。
>闇医師というイメージでしたがその信念は真面目で温かいものでした。

正直なところ、私も以前は、あまり良い印象はもっていませんでした。
その印象を一変させたのが、お書きになったブログの内容でした。
ご自分が行っている医療に対する信念がうかがえる内容ですね。
(2007年05月26日 00時38分11秒)
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順子さま、始めまして。 まりゅ さん
私は大阪在住のMTFです。

最近こそ私は通っていませんでしたが、初めて♀ホル投与の際からしばらくの間、和田先生にお世話になっていました。突然の訃報に驚きました。ご冥福をお祈りするばかりです。

私のFTMの友人も、突然の閉院にとても戸惑っていました。ずっと通院する形で投与を受けていたので心配しています。
また、お邪魔させてくださいませ。
(2007年05月28日 17時40分15秒)
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Re:順子さま、始めまして。(05/23) 三橋順子 さん
まりゅさん、いらっしゃいま~せ。

>私のFTMの友人も、突然の閉院にとても戸惑っていました。ずっと通院する形で投与を受けていたので心配しています。

関西はずいぶん影響が大きくたいへんなようですね。
早く落ち着くことを願っています。
(2007年05月29日 01時22分35秒)
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Re:性転換(性別適合)手術の専門医、急死(05/23) グリーンフラワー さん
わだ先生の訃報を知り、大変残念に思っています。
随分前にお世話になり出来れば墓前に献花したいと思っていますが、場所が分かりません。ご存知の方いらっしゃれば情報をお願いします。
(2007年09月11日 21時18分15秒)
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Re[1]:性転換(性別適合)手術の専門医、急死(05/23) 三橋順子 さん

グリーンフラワーさん、いらっしゃいま~せ。
>随分前にお世話になり出来れば墓前に献花したいと思っていますが、場所が分かりません。ご存知の方いらっしゃれば情報をお願いします。

急なことで、またいろいろ複雑な事情もお有りのようで、没後のこと、スムーズに運んでいるのか・・・?

ちょっと、聞いてみます。
もし、わかったら・・・。
(2007年09月11日 22時40分18秒)
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台湾で手術 玲子 さん
はじめまして。
私は台湾の台北に住んでいます。日本へ留学したことがあって、今は日本語通訳をやっています。そして、主人も医者です。
この間、日本の方に台湾の性転換手術の名医を紹介して、台北での国病院でFTMの手術を行うことを手伝っていました。
皆様がMTFかFTMの手術に関心を持っている方は、どうぞ私に連絡してください。
私のメールは:reiko6260jp@yahoo.co.jp
(2007年10月06日 01時19分03秒)
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元スタッフです。 マリア さん
グリーンフラワーさん
>わだ先生の訃報を知り、大変残念に思っています。
>随分前にお世話になり出来れば墓前に献花したいと思っていますが、場所が分かりません。ご存知の方いらっしゃれば情報をお願いします。

初めまして。荻窪(LC)に勤めていた、髪の長い方(看護師)です。こちらに、コメントされている方で、私をご存知の方もいらっしゃっるかも知れませんね。その節は、お世話になりました。大阪の患者様でしたら、看護師のTさん、kさんIさんですね。
和田先生は、5月22日急逝され、その後大阪で、親族、スタッフのみの密葬を行いました。
その後、親族間のいざこざ(遺産等…相当揉め)で、色々あったのですが、熊本(先生のご実家)に埋葬されていると思います。
先生の亡くなる半年前、実母を亡くして以来、精神的に参っていた様です。最後の顔は安らかだったのが救いです。お母様と、同じ墓前に入られたと聞きました。 きっと、グリンフラワーさんの優しいお気持ちは、墓前に行かなくとも伝わると思います。
  (2007年10月14日 01時31分41秒)
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Re:元スタッフです。(05/23) 三橋順子 さん

マリアさん、わざわざの書き込み、ありがとうございました。

私は、「親族間のいざこざ(遺産等…相当揉め)」のところまでは、知っていたのですが・・・。

改めて、和田先生のご冥福をお祈りいたします(合掌)。
(2007年10月19日 01時48分58秒)
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Re:元スタッフです。(05/23) マリア† さん
マリアさん
お久しぶりです。そして三橋さん、ここでは初めまして。

私もHNは素性がバレてしまうのでマリアさん同様に洗礼名で書き込みさせて頂きます。和田Drの死去を知った後に私の母教会でミサを主任神父さまにお願いして行なって頂きました。

今は和田Drは天国で安らかに過ごされている事でしょうね。

では失礼致しますね。
(2007年11月12日 14時09分09秒)
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Re[1]:元スタッフです。(05/23) 三橋順子 さん

マリア†さん、いらっしゃいま~せ。

>お久しぶりです。そして三橋さん、ここでは初めまして。
>私もHNは素性がバレてしまうのでマリアさん同様に洗礼名で書き込みさせて頂きます。

ああ、どなたかは詮索しません。

それにしても、半年以上前の記事に、まだコメントが付くとは・・・・。
それだけ、トランスセクシュアルの方にとっては、和田先生は大切な方だったのですね。
あたらめて、ご逝去を残念に思います。
(2007年11月13日 00時14分24秒)
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2007年05月23日  性転換(性別適合)手術の専門医、急死 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年05月23日  性転換(性別適合)手術の専門医、急死

5月23日(水)
1994年から最近まで、独自の立場で、MtFの性転換(性別適合)手術(SRS)やFtMの乳房切除手術を数多く行ってきた、大阪北区の美容・形成外科「わだ形成クリニック」の院長和田耕冶医師(53)が、5月22日、急死された。

和田医師は、最初は主にニューハーフ(商業系トランスジェンダー)のSRSを手がけ、その手で「女」になった有名ニューハーフも多いと聞く。

1997年5月に日本精神神経学会が「性同一性障害の診断と治療に関する指針」(ガイドライン)を策定した後も、それに拘束されることなくSRSを続け、90年代末頃からは、一般の性同一性障害者のSRSも積極的に行うようになった。

その手術数は、ガイドラインに則して国内の医療機関で行われた手術数をはるかに上回り、累計で数100件と推定される。
とりわけ、MtFのSRSでは、国内最高レベルの技量を誇り、非ガイドラインルート(裏ルート)の性転換手術専門医として、業界では広く知られた存在だった。
その独自に構築された高度のSRS技術が、継承されることなく消えるのは、大きな損失である。

和田医師の逝去により、国内のSRS需要の過半を担っていた医療機関が消えることになり、4月の埼玉医大のSRS撤退と合わせて、国内の性同一性障害医療システム、とくに手術体制に大きな穴があくことは確実で、深刻な影響が予想される。

理屈や建前でなく、性転換希望者の切実な願いに可能な限り沿う方向で持てる医療技術を駆使した臨床医としての姿勢は、たとえ学界や社会からは異端視されても、多くの当事者の信頼と共感を集めていたと思う。

生前、お目にかかる機会がなかったのは残念だが、心からご冥福を祈る(合掌)。


2007年04月06日 埼玉医大、GID関連手術「撤退」理由判明 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年04月06日 埼玉医大、GID関連手術「撤退」理由判明

埼玉医大が、突然、性同一性障害(GID)関係の手術予約をキャンセルした理由が、複数の非公式ルートからの情報で判明した。
原科孝雄教授(形成外科)の定年退職の後をうけて、GID関係の手術を担当する予定だった医師2名が、3月末に急遽退職したため、執刀医がいなくなるという異例の事態となったため。

こうした不自然かつ不可解な事態が生じた背景には、形成外科内部のGID医療に対する認識の分裂・対立があったことが推測される。
いずれにしても、埼玉医大がGID関連の手術を再開するためには、手術の技術をもった医師を他の医療機関から引き抜くか、これから時間をかけて育成するしかなく、「中止」が長期にわたることは決定的になった。

首都圏唯一の総合的なGID医療機関だった同大学がGID関連手術から事実上「撤退」したことにより、日本のGID医療に大きな空白が生じることになった。

それにしても、医師の退職という、きわめて個人的な事情で、医療システムに大穴があき、大勢の患者が治療を継続できなくなるという実態、日本のGID医療の脆弱さをあらためて痛感させられた。


2007年04月05日 地方の女装者の実情 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年04月05日 地方の女装者の実情

4月5日(木) 晴れ 東京 14.6度 湿度 21%(15時)

11時、起床。
朝ご飯は、ミニクリームパン2個とコーヒー。
シャワーを浴びて、髪をお団子にまとめる。

13時半、仕事場に移動。
途中の住宅街で、昨日の雷雨にも耐えた残り桜が青空を背景にして美しい。

15時、身支度。
灰茶色の地に青色の平行四辺形模様が並ぶ伊勢崎銘仙。
黒・錆朱・樺色の帯を角出しに結ぶ。
長襦袢は、濃い芥子色の半襟を付けた濃緋色。
帯揚は緑色、帯締は深草色(福福堂)。
黒のカシミアのショール。
赤地に麻の葉模様の鼻緒の下駄。

16時過ぎ、家を出て、商店街で買い物。
ハイライト(目の下の隈隠し)用のアイカラーを探す。
カネボウ化粧品が3割引きだったので、T'ESTIMOのカラーアイズNシリーズのPK-42を購入(1050円→735円)。

駅前の本屋(恭文堂)で時間つぶし。
松井今朝子『吉原手引草』(幻冬舎 2007年3月)を購入。
いつか書きたい「変わり者の花魁と世慣れた振袖新造の物語」の参考にしようと思う。

17時、学芸大学駅で北関東の某県で、ランジェリーショップ&女装クラブを経営しているIさんと待ち合わせ。
駅前の喫茶店へ。
お昼抜きだったので、ケーキに手が出かかったが、なんとか堪える。

ランジェリーショップ&女装クラブ、残念ながら、4月で閉店とのこと。
地方の女装者の実情をいろいろ取材。

一口に言うと、状況はかなりきつい。
インターネットの普及で情報の流通量は格段に改善されたものの、地域コミュニティが成立するまでには至らず、女装者が孤立的に存在する状況に変わりがない。

孤立している、コミュニティがないということは、女装者が「女」としての社会性を養う場(機会)がないということ。
中でもいちばんの問題は、女装するという行為と性的興奮が直結している状態から抜け出せていない人が多いという現実。

私が講演などでよく言うことだが、女装と性的興奮が連動している状態では「女」としての社会性は獲得できない。
平たく言えば、そんな人、危なくて社会に出せないし、下手をしたら警察沙汰だからだ。

女装コミュニティでは、『エリザベス会館』のような閉鎖的な女装クラブであれ、新宿の女装スナックのような開放的な酒場であれ、まず、女装と性的興奮という回路をいったん断ち切ること(欲情の自己コントロール)を求められる。

実は、化粧がどうの、ファッションセンスがこうのという以前に、欲情の自己コントロールの修得こそが「女」修行の第一歩なのだ。
それができないと、いつまでも女装男のままで「女」にはなれない。
したがって、女装コミュニティの成員としてはやっていけず、淘汰されてしまう。

ところが、孤立している女装者は、その回路を断ち切る機会がなく、いつまでも女装と性的興奮が連動した女装男のままであることが多い。

東京や大阪の大都市部でも、以前はそういう孤立した女装者は多かった。
私もかってはその一人だった。
だから、地方の女装者の置かれている状況はよくわかる。

ただ、昔(15年前)と現代との大きな違いがひとつある。
それは、女装者の間での「薬」の蔓延だ。
昔は、よほど特殊な人でないかぎり、アマチュアの女装者が「薬」に手を出すことはなかった。
出したくても入手経路がきわめて限られていたからだ。
またコミュニティの先輩たちも、「薬」にまつわる怖い話(〇〇ちゃんは薬物肝炎で死にかかった)や悲惨な事例(〇〇さんはおっぱいが膨らんだのを奥さんにバレて離婚)を誇張して話してくれて、ブレーキ役になった。
いちばん効果的なのは「一生、「薬」と縁が切れない、あたしみたいな身体になったら、おしまいよ」という自嘲話。

ところが、インターネットが普及した現代では、個人輸入で誰でもいくらでも「薬」が手に入る。
孤立した女装者が、限られた情報・知識で、さしたる社会的制約(ブレーキ)もなく「薬」を好き勝手に使ったらどうなるか・・・・。
たとえば、「薬」は量を飲めば飲むほど女になれる(「魔法の薬」信仰)、なんて思ってる人、まだまだ多い。
そうした「薬」の乱用の結果としての悲惨な事例、地方でもかなり生じているらしい。

インターネットで得られる情報と、現実の社会での経験値のアンバランスが、地方の女装者の場合、より危ない形で現れているように感じた。
もちろん、すべての地方の女装者が「危ない状況」にあるのではなく、個人差がおおいにあることは、承知の上でだが。

取材が一段落した後は、共通の趣味の着物の話題に。
こちらは、気楽なおしゃべり。

19時半、Iさんと分かれて、行きつけの居酒屋「一善」に寄る。
グラスビール、ウーロン茶、各1杯。
肴は、ぶりのお刺身、春ごぼうの煮物。

21時半、帰宅。

夕食は、鶏の塩焼き、しじみのお味噌汁を作る。
それに、パートナーが買ってきた生ウニ。
作り置きのモロヘイヤのお浸し。
ご飯、今夜も1膳で我慢。

お風呂に入り、髪を洗う。

この数日、連絡がなく、ちょっと心配していた友達からメールがあり、一安心。
「日記」とお返事メールを書く。

寝る前に、松井今朝子『吉原手引草』を読みだしてしまう。

就寝、5時。

2007年03月18日  トランスジェンダー自助・支援グループ全国交流会 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年03月18日  トランスジェンダー自助・支援グループ全国交流会

3月18日(日) 快晴 東京 10.7度 湿度 19%(15時)

9時、起床(仕事場)
朝食は、コンビニで買ってきたパンとコーヒー。
シャワーを浴びて身支度。
髪は、お団子にまとめ、尻尾(付け毛)をつける。

黒地に銀と錆朱の折れ線模様の足利銘仙(きものACT)。
深草色にカタバミ柄の半襟をつけた黒地に更紗模様の長襦袢(紫織庵)。
錆朱に金彩の帯を角出しに結ぶ。
帯揚は芥子色、帯締は深草色(福福堂)。
黒のカシミアのショール。
赤地に麻の葉模様の鼻緒の下駄。

11時、家を出る。風が強くて寒い。
渋谷経由で、新宿東口へ。
ビルの上の電光温度計は8度。

アルタの前で、IさんとY子ちゃんらと待ち合わせ。
地下にもぐり、サブナードの奥の怪しい餃子屋へ。
Iさんとなので、中華料理を食べながら当然のように真っ昼間からお酒。
私は、ちょっと疲れが残っていたので、ビールはやめて、梅酒1杯とカシスオレンジ。
Iさん、ビールに加えて紹興酒で、ガソリン満タン状態に。
昨日ほとんどまともに話ができなかったので、今日はちょっと突っ込んだ話をしたかったのだけど、時間的、状況的にやっぱり駄目。

13時、コマ劇前の「ロフト・プラスワン」へ。
「トランスジェンダー自助・支援グループ全国交流会」(TNJ主催)に出席。
私は、グループ活動は一切しない人なので、参加する必要はないのだけど、昨日買い損ねた「交流誌」が資料として欲しかったので、Iさんについて行く。

次から次へと、各地の自助・支援グループの人が、挨拶と自己アピールのために登壇する。
いったいいくつあるのだろう?
「交流誌」に載っているのを数えたら、30団体もあった。

自助・支援グループなんて皆無、あっても西と東に1つずつという時代を長く過ごした私には、隔世の感がある。
Iさん、なんと5回も登壇する。
自助・支援グループに5つも関わっていたら忙しいはずだ。

この世界、老人の経験を聞いて生かそうという発想はないし、あとはもう若い人たちが、自分たちの流儀でやってくれるだろう。
「反面教師」役(「ああはなりたくない」)も疲れたし、「老兵は死なず、ただ消えさるのみ」(ダグラス・マッカーサー)。

15時、辞去。
実は、昨日からの精神的ストレス(孤立感)が、もう限界だった。
たとえて言うと、キリスト教徒の大集団の中に1人でいるイスラム教徒の心境かも。
いくら気を強く持っても、仲間が1人もいない状況はやっぱり精神的につらい。

2006年10月19日 メキシコ・ドキュメンタリー映画祭「ムーシェス:アタシたちの楽園を求めて」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年10月19日 メキシコ・ドキュメンタリー映画祭「ムーシェス:アタシたちの楽園を求めて」

渋谷円山町の「ユーロスペース」で開催中の「メキシコ・ドキュメンタリー映画祭」の参加作品「ムーシェス:アタシたちの楽園を求めて」(アレハンドラ・イスラス監督 2005年)を見る。

実は、この映画祭のことも、この作品のことも、まったく知らなかった。
ところが、今週の初め頃、私が昨年書いた「日記」の内容(世界各地のサード・ジェンダー)に、この映画祭に関連してトラックバックをつけてくださった方がいて、お陰で情報を得ることができた。

「ムーシェス:アタシたちの楽園を求めて」の舞台、メキシコ南部オアハカ州の小さな街フチタンには、母系制社会が色濃く残り、そこにはムーシェと呼ばれるサード・ジェンダーが、社会の成員として認められている。

その特異性は、アメリカの民族学者ヴェロニカ・ベンホルト=トムンゼンの『女の町フチタン-メキシコの母系制社会-』(藤原書店 1996年)で日本にも紹介され、「おんなの町 フチタン-南メキシコ・サポテカ族の陽気な人々-」(フジテレビ 2000年2月27日)というテレビ・ドキュメンタリー番組も放送された。

それらから得た知見として、私は、ムーシェを母系制社会に育まれた女性の相談役・互助者としてのサード・ジェンダー(MtFのトランスジェンダーを多く含む)と認識していた。

したがって、映画祭のパンフレットの解説の「サポテカ語で『ムーシェ』と呼ばれるゲイの男性たち」「フチタンの小さな町の中で、カミングアウトし、支え合いながら自らの楽園を築こうとしている」という文章を見たとき、かなりの違和感を覚えた。
えっ?「ゲイの男性たち」?、「カミングアウト」?、そういう文脈じゃないと思うけど・・・・。

ところが、実際に映像を見てびっくり。
ムーシェスたちのゲイ化が著しく進行している!。
男装のムーシェのカップルの言動は、メキシコ人的容貌を除けば、アメリカのゲイのカップルのそれとまったく変わりはない。
派手派手に着飾ってパーティーでパフォーマンスする女装のムーシェたちの在り様には、アメリカのドラァグ・クイーン(女装のゲイのマフォーマー)の影響が明らかに見られる。

さらにショックだったのは、女性たちとムーシェスの対立の激化。
映画では、ある女性による女装のムーシェス批判が、3度にわたって語られる。
批判の要点は、女装のムーシェスが、女性たちの祭に参加して、派手な衣装で目立ちまくるり、女性の影を薄くしていること、女装のムーシェスの行儀の悪さ、たしなみのなさ、女性の親密空間である女性トイレへの侵入etc。
結果として、女装のムーシェスは女の祭への参加を拒絶されてしまう。

過去における女性たちとムーシェスの親密な互助的関係、母系性社会に育まれたサード・ジェンダー的在り様を知るものには、信じられないような変化である。

その原因は、批判者の女性の「ムーシェスは変わってしまった。昔はもっとつつましやかだったのに」という言葉に見て取れる。
つまり、ゲイ・レボリューションの影響を受けた女装のムーシェスたちが、自分たちの存在に自信を持ち、女性たちの相談役、裏方から表舞台に出てきたことによって、女性たちとの軋轢、利害対立が増したのだろう。

また、女性の側、特にこの批判者の女性の言説には、男女の区分を明確に意識するフェミニズムの影響が感じられた。
その結果として、「あいまいな性」として女性たちに許容されてきた女装のムーシェスを、はっきり「女装した男性(ゲイ)」と見なす考え方が強まっているのだろう。

こうした変化は、「ムーシェス」という言葉が「ゲイ」という外来語(アメリカ語)に置き換えられた段階で、ムーシェスの在り様(文化)もゲイ化していったと考えることができる。
つまり、マイナー・セクシュアリティの世界におけるグローバリゼーションである。
ゲイ・レボリューション以後に確立したアメリカのゲイ文化が、何10年かしてメキシコの辺境の街にも及び、土着的なジェンダー/セクシュアリティの在り様(ムーシェス)に強い影響を与え、固有の文化を壊し、覆い尽くしていく過程とみることができる。

ラストは、女の祭への参加を拒絶されたムーシェスが、自らの手で自分たちの祭(ドラァグ・パーティ)を成功させ、レインボー・フラッグ(LGBTの連帯の象徴)を掲げて浜辺を行進するシーンで終わる。レインボー・フラッグは「アタシたちの楽園を求めて」の達成の表象として使われている。

こうしたフチタンのムーシェスの変化を「近代化・進歩・解放」と見るか(この監督をはじめ多くの人は、その立場)、「伝統と固有文化の破壊」と見るか(私はこちらの立場)は、評価が分かれるところだろう。

その一方で、映像は、母親から教わった刺繍の技術を生業として母親とともに生きる女装(伝統衣装)のムーシェ(かなり太めだけども笑顔がすてき、母親と瓜二つ)や、女性の相談に乗りながらウェディング・ドレスをデザインし製作する洋裁業の女装(洋装)のムーシェ(いちばん美形。ファッションセンスNo1)の姿も記録している。

フチタンのムーシェスの変質は、彼/彼女らがゲイ文化の受容を望んでいる以上、もう誰も止めることはできないだろう。
だからこそ、私は、母系制社会の中での、女性の相談役、互助者であるムーシェの伝統を守って生きる彼女たちの姿に、限りない共感と愛惜の思いを抱く。

ところで、フチタンのムーシェスの世界でもエイズ(AIDS)が深刻な影響を与えている。
この映画の後半の4分の1ほどは、エイズ予防の啓蒙運動に焦点が当てられているが、すでに何人もムーシェスが命を落としていることが語られる。
そうした文脈の中で、ある男装のムーシェが、エイズが家庭の女性たちにまで広まった原因について「バイセクシュアルが犯人だ」と断言するシーンがある。
まさに典型的なバイセクシュアル差別の言説で、驚いてしまった(後のシーンで、ヘテロセクシュアルな出稼ぎ男性たちが感染源であることが語られるが)。
バイセクシュアル差別もまたアメリカゲイ文化の影響=グローバリゼーションなのだろう。

固有のマイナー・セクシュアリティの在り様が、欧米の類似の「文化」が移入のされることによって影響され変質させられ固有の在り様が失われていくという過程は、過去の日本で何度も繰り返されたことである。
ムーシェスの変質は、かなりショックだった。
しかし、過去の日本で起こった同じような現象を振り返るという意味で、まさに現在それが進行しているフチタンの状況を知ることができたのは大きな収穫だった。

この映画、なんとかDVDを手に入れて、きちんとした紹介・研究批評をしてみたいと思った。
どなたか知りませんが、トラックバックをつけてくださった方、ありがとうございました。
勉強させていただき、感謝してます。

2006年05月19日 「性同一性障害の小2男児」報道に思う [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年05月19日 「性同一性障害の小2男児」報道に思う

5月19日(金) 曇り

11時、起床。
朝食は、カレーパン1個。
シャワーを浴びた後、「日記(17・18日分)」を書く。
15時、仕事場に移動。
メールチェック、お返事メールの送信、「日記」のアップ。

今朝の『朝日新聞』に兵庫県の小学2年生(7歳)の男児が、性同一性障害と診断されて、教育委員会の判断で女児扱いで公立小学校に通学していることが大きく報道されていた。

扱いの大きさに驚きながら、早速、駅で新聞を買い集めるなど資料収集。
その結果、一般紙だけでなくスポーツ新聞も含めて主要新聞の全部が大きく報道していることが判明。
各紙の見出しは以下のとおり。
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性同一性障害の小2男児 「女児」で通学OK 兵庫の教委
(『毎日新聞』2006年5月18日夕刊一面)

性同一性障害 男児 診断早すぎる/現実的対応 「先駆的判断」に賛否
(『毎日新聞』2006年5月18日夕刊社会面解説)

小2男児 性同一性障害 女児として学校生活 兵庫 希望尊重、受け入れ
(『『読売新聞』2006年5月18日夕刊)

性同一性障害 男児、「女児」として生活 兵庫の小学校 入学前に診断
(『日本経済新聞』2006年5月18日夕刊)

「性同一性障害」小2男児 女児として通学 兵庫・公立小
(『朝日新聞』2006年5月19日朝刊)

性同一性障害の小2男児 「女児」で通学 兵庫 診断受け保護者と決定
(『産経新聞』2006年5月19日朝刊)

男の子 「女の子」で学校生活 兵庫・性同一性障害の小2 学校 入学時から対応 「さん」付け、スカート通学 身体測定もトイレも水着も出席簿も
(『スポニチ』2006年5月19日)

小2男児が女児として通学 性同一性障害、学校側が受け入れ 兵庫県在住
(『日刊スポーツ』2006年5月19日)

性同一性障害の小2「男児」 「女児」として通学する・・・・ スカート登校、教諭は「さん」呼び、友達は女の子
(『スポーツ報知』2006年5月19日)

小2男児が性同一性障害 低学年で異例の診断 女児として通学
(『サンケイスポーツ』2006年5月19日)
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通読して「う~ん」とうなってしまった。
なんとも複雑な気持ち。

まず、基本的なこととして、教育委員会が、児童と保護者の強い希望を門前払いせず、希望に沿う方向で柔軟に対応したことは、とても良いことだと思う。
今までの教育委員会にありがちな杓子定規な姿勢からしたら、大きな進歩だ。

ただ、手放しでは歓べないのは、次の2点。

一つは、小学校低学年の子供を「性同一性障害」と診断することの問題。
症状としての性別違和は認められるにしても、「性同一性障害」という診断を下すことが可能だろうかという疑問。
この点ついては、針間克己医師(武蔵野病院:精神科)が、自分が女の子だと思っている6歳前後の男の子約70人のうち、成長しても女性だと思い続けていたのはわずか1人というイギリスの調査結果を紹介しながら、早期診断への慎重論を述べている。

(註)正確には、66人の小児MTFの追跡調査で、追跡できた44名のうち、33名が性的空想において同性愛(男好き)かバイセクシュアルで、性転換を真剣に望んだのは1名だけというGreenの研究。

私の知人でも、小学生の頃、自分は男の子だと言い張り、坊主頭に近い短髪で黒いランドセルを背負って通学していた女児が、長じてとても魅力的なセクシーな女性になった例がある。
子供の性自認はかなり不安定で、周囲の状況や親の誘導に左右されやすいということだと思う。

そもそも、このまま「女児」扱いで数年たてば、次にどうするかという話に必然的になる。
小学校を卒業し、中学に進学する頃になれば、第2次性徴の問題が出てくる。
早期診断の流れからすれば、「早期治療を」ということになる可能性が高い。
学齢期の子供に、医師が性ホルモン操作(この児の場合なら、男性ホルモンの抑制、女性ホルモンの投与)をしていいのか?という判断を迫られることになるる。

二つ目は、全国紙がそろいもそろって、こんなに大きく扱う問題かということ。
個人の性別の扱いなんて、本来はできるだけ内輪で済ますべきことだと思う。
やはり私の知ってる範囲で、過去にも校長さんの判断で、男児を私立小学校卒業時まで女児扱いで通学させたという例はある。
内輪で処理しておけば、もし男の子に戻ってしまった時だって対応しやすい。

これだけ大きく報道されれば、必ず「どこの学校の誰?」とい動きは出て来る。
それは本人のために良い結果につながらないと思う。
もっと、そっとしてあげることはできないのだろうか。

どうも、親も含めて周囲の大人が「性同一性障害」という「型にはめる」ことをしすぎているように思える。
少なくともしばらくは「女の子みたいな男の子」「男の子だけど女の子」でいいのではないだろうか?
昔だってそんな子はいたはずだ。

なぜ「性同一性障害」という型にはめるのか?
その方が周囲の大人が安心だからだろう。
苦情が来ても「病気だから仕方ない」ということにできるから。

私の感じた違和感は、どうもそこらへんにあるようだ。

21時半、帰宅。
夕食は、お刺し身(あじ・ひらめ)、後は昨夜の残り物。

古い講演ファイルを整理する。
2000年以前の分。
先日、いろいろ捜索していたら、所在不明だった資料が出てきたので、記録のために整理しておく。
当時をあらためて振り返ると、トランスジェンダーがトランスジェンダーとして(病気ではなく)社会に受け入れてもらう方向性で、けっこうそれなりに成果が上がりつつあったのではないかと思う。

それが、なんでこんなことになってしまったのか?
今日の大報道と合わせて、つくづく「病理化の罠」の恐ろしさを思う。

お風呂に入る。
夜中、古い『AERA』から、保存しておくべき記事を切り抜く。
2年分くらいを一括処理すると、「負け犬女」も「電車男」も話題になっていたのは案外短かったことがわかる。

就寝、5時。

2006年04月20日 外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」(『新潮45』5月号) [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年04月20日 外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」(『新潮45』5月号)

4月20日(木) 曇りのち晴れ。昼前後、激しい風と雨

11時、起床。
朝昼食は、トースト1枚に、「まるぶん」の女将さん手作りのサルナシのジャム。
昼前後、激しい風と雨。
午後、来週月曜日の講義の準備。
メールのお返事を書く。

『新潮45』5月号掲載の外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」を読む。
1999年に名著『MISS・ダンディ-男として生きる女性たち-』(新潮社)を出した著者による「それから」のレポート。

メディアは、どうしても新奇なものを追い求めがちで、いったん注目しても、じきに忘れて顧みようとしないことが多いなかにあって、こうした「それから」取材は、とても大事なことだと思う。
彼らへの暖かい気持ちが伝わってくるようなレポートで、外山さんのような伝達者をもったMISS・ダンディたちは幸せだ。
私たち(ニューハーフ&女装者)には、外山さんのような方は誰もいないので、つくづくそう思う。

それにしても印象的なのは、MISS・ダンディたちの世界における「性同一性障害」の進行。
「性同一性障害」という概念による病理化の進行、そして当事者を「勝ち組」と「負け組」に選別・分断したGID特例法に批判的な私の立場からすると、MISS・ダンディの世界がどうのように「性同一性障害」に侵食されていったかという観点でとても興味深い。

レポートの中に出て来る「性同一性障害」ブームに乗り遅れた年配の男装者たちの姿が、私にはしみじみいとおしい。

どうも多方面で誤解されているようだが、私は「性同一性障害」という概念に批判的なのであって、「性同一性障害者」に批判的なのではない。
(一部の視野狭窄な教条的な人や、非GID系のトランスジェンダーを差別的する人は別)

性別違和感に苦しむ人たちが、「性同一性障害」概念や特例法によって救われ、幸せになっていくのなら、それは良いことだと思うし、素直に「おめでとう」と言える。
埼玉医大以前の状況を知る生き残りとしては、そうした意味では、つくづく「よい時代になったなぁ」と思う。

しかし、その一方で、特例法の要件をクリアーするために、必ずしも必要のない手術で身体を傷つけるケースが増加していること、性器の形だけ変えれば女になれる(男になれる)という現実生活軽視の考え方がはびこりはじめていること、そもそも「病気」にならない限り、性別越境者が自分らしく生きられないというシステムに、根本的な点で疑問を抱いている。

だから私は、「性同一性障害」という枠組みに乗らないトランスジェンダーとして、これからも「自分の性別は自分で選び、自分で決め、自分らしく生きる」ことを主張していきたいと思う。

15時半、家を出て皮膚科へ。
6度目の通院。
30分待ち。
注射の量が減る
今日はトラブルなし。

17時、仕事場に移動。
メールチェック、「日記」のアップ、お返事メールの送信。
宅急便を取りに来てもらう。

夜、簡単に身支度して、留守中に配達された本(『戦後日本女装・同性愛研究』)を、受け取りに郵便局に出向く。
またまた、受け渡しを拒否され入手できず。
すごく悔しい!
郵便局とは、相性が悪く、この1年ほど冷戦状態が続いている。

爪を藤色に塗って、お風呂に入る。
就寝、1時(仕事場)。

2006年03月24日 ある女装者の幕引 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年03月24日 ある女装者の幕引
3月24日(金) 曇り

12時、起床。
朝昼ご飯は、トースト1枚、生ハム4枚、きゅうり&レタス。
14時、仕事場に移動。
メールチェック、お返事メールの送信。
「舞妓」「花魁」変身写真の画像取込と編集作業。
それらを入れて「日記」をアップ。

18時半、身支度。
焦げ茶と黒のアニマル柄のプルオーバー、黒のタイトミニスカート、黒の網タイツ、黒のショートブーツ。
今日は寒いので、雪豹柄の冬のコート。

新宿3丁目の女装スナック「びびあん」へ。
さつきママとおしゃべりしていたら、なんとS香姐さんがご来店。

S香姐さんにお会いするのは「ジュネ」(新宿歌舞伎町区役所通りにあった女装スナック。2004年12月閉店)が健在だったころだから2年半ぶりくらいだろうか。
風の便りでお身体がお悪いと聞いていたし、私も最近は夜の新宿には数カ月に1度くらいしか行かないので、お目にかかるのはもうむずかしいかなと思っていた。

まして「びびあん」はエレベーターのないビルの3階にある。
肺気腫を病まれているお身体では、階段を上ってくるのは、相当に辛いはずだ。
実際、お店に入ってしばらく相当に荒い息をされていた。

ママと3人で、まずは久しぶりの再会に乾杯。
ところが、S香姐さん、いきなり「今夜がたぶん私の女装納めになる」とおっしゃる。
肺気腫に加えて、食欲不振で体重が15kgも落ちて夜の街に出るのが体力的に難しくなったのだそうだ。
お話をうかがうと、女装支度部屋「907」に置いてあった荷物(女装用具)を全部整理し、かなりの量、持っていらした着物もすべて処分され、支度部屋の鍵も返却したとのこと。

S姐さんは、新宿女装世界では着物派として最も有名な方だ。
着物への愛着は、ひとしおだと思う。
その思いは同じ着物愛好者の私にはよくわかる。
また姐さんは、「ジュネ」の閉店後、「ジュネ」附属の支度部屋だった「907」の維持に最大限の尽力をされてきた方だ。
その着物と「907」に別れを告げたのだから、「女装納め」のご覚悟はほんとうだと思う。
だからこそ、「ジュネ」に次いで多く訪れた「びびあん」に最後の挨拶をするために、苦しい息をこらえて階段を上ってらしたのだろう。

普通なら「そんなこと言わずに、お身体を直してまだまだ頑張ってくださいよ」と接客トークを言うところなのだが、そのご覚悟が伝わってくるだけに、ママも私も言葉がなくなってしまった。

1998年4月17日に新宿ワシントンホテルで開かれたS姐さんの「女装50周年パーティ」の思い出話になる。
あの時、私は司会をさせていただいたが、あれからもう8年が経とうとしている。
あの頃は、S姐さんもまだまだお元気だったし、「ジュネ」もまだ活気があったころで、今から思えば、楽しい時代だった。

S姐さんに初めてお会いしたのは、まだ私が「エリザベス会館」(当時は神田須田町にあった女装クラブ)に在籍していたころ、たぶん、1990年12月のクリスマス・パーティだったと思う。
私はそのパーティのコンテストで新人賞をいただいた駆け出し、その時、S姐さんはコンテストの審査員をつとめるクラブの重鎮だった。
そこから数えると15年以上のお付き合いということになる。

1995年以降は、「ジュネ」をはじめとする夜の新宿のお店で同席するようになった。
私が主催する「大お花見」にも、何度もいらしてくださった。
女装の世界のことをいろいろ教えていただいたし、貴重な体験談をうかがうこともできた。時には厳しい批判もいただいたが、私が女装世界の先輩と仰ぐ数少ない方だ。

そのS姐さんの60年近い女装人生の最後となる「女装納め」の夜に、まったく偶然に出会い、同じ女装の後輩として見送ることになるなんて、つくづく不思議なご縁を感じてしまう。

日付が変わり、S姐さんがお帰りになる。
店のドアのところまでお見送りする。
「S姐さん、どうかお身体をお大事に。ありがとうございました」
それしか言えなかった。

人間、執着のあるものに自分で幕を引くことはなかなか難しい。
最後まで思い切れずに醜態をさらしてしまうことは間々あることだ。
S姐さんは「生きがい」だった女装に、ご自分で最後の始末をつけられ、舞台を降りられた。
ご立派だったと思う。

私にも遠からず「幕引」の時は来る。
その時には、かく潔くありたいと思うが、はたしてできるだろうか。

3時、「びびあん」を辞去。
靖国通りのコンビニで朝ご飯を買って、タクシーで仕事場に帰る。

就寝、4時半(仕事場)。

2005年10月17日 歌舞伎町の夜 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2005年10月17日 歌舞伎町の夜
10月17日(水) 曇り

8時半、起床。
寝不足で眠い。
朝ご飯は、いつものように、トースト1枚、生ハム3枚、きゅうり&レタス。

午前中、講義。
仕事場に戻る途中の喫茶店で、校正ゲラを1パート分をチェックする。
これで2パート分をチェック、残りは4パート。

14時半、仕事場へ。
メールチェック、「日記」のアップ、お返事メールの送信。
15時半すぎから、1時間ほど、お昼寝。
少し元気になり、写真の整理を少々。

17時半、シャワーを浴びて身支度。
今夜は洋装。
黒のトップ、黒のベロベット風のタイトスカート、薄茶に黒の動物縞のジャケット。
黒と灰色の網タイツ、黒のショートブーツ。

19時過ぎ、家を出て新宿へ。
今夜は、何か用があるというわけではなく、どうもこの数日、心理的ストレスが溜まり気味だったので、その発散。
20時、新宿3丁目の女装スナック「びびあん」へ。
昔なじみの店だが、4月2日以来、約半年ぶり。
私が最初の客で、ママ(純女)とゆっくりおしゃべり。
考えてみると、私のことを「順子ちゃん」と呼んでくれるのは、もう、ここのママくらいになってしまった。
もっとも「50歳になって、〇〇ちゃんもないだろう」と言われればそれまでだが。

20時44分ころ、地震(震源は鹿島灘、M=6.3。茨城県鉾田市で震度5弱、東京は震度3)。
ずいぶん長い横揺れで、さつきママと二人、びっくり、どっきり。
地震をパズルにたとえると、周辺からピース(中規模地震)が埋まっていき、最後の中央の空白部(東京中心部)にドガンと大きなピース(直下型の大地震)が入るという感じになる。
ただし、それが明日なのか10年後なのかはわからない。

21時すぎに来店した「びびあん」の会員さんの女装の方2人も交え、4人で閉店までいろいろおしゃべり。

0時、「びびあん」を辞去して、久しぶりに夜の新宿の街をトコトコ歩く。
区役所通りは、呼び込みが法律で規制された影響で、人少なですごく寂れた感じ。
平日の水曜日とはいえ、0時前後という時間帯の区役所通りは、一昔前なら、終電車に乗ろうと新宿駅に急ぐ人と、電車で帰るのをあきらめてもう1軒飲みに行こうとする人、そして酔客を店に呼び込もうとするキャッチのお兄さんが狭い歩道で交錯し、私などはそれを縫うように車道に降りたり、また歩道に戻ったりして歩いたものだ。
あの頃は、それが当たり前の歌舞伎町の夜だった。

悪質なキャッチは困るが、こう徹底的に規制してしまっては、街がさびれる一方だ。
東京都(石原知事)は、どうも本気で歌舞伎町を潰す気らしい。
歌舞伎町を潰しても、そこに集まる男たちの欲望が潰せるわけでなく、周辺地域に拡散したり、地下(アンダーグラウンド)に潜ったり、余計、やっかいなことになるだけなのに。
歌舞伎町のような一定のエリアに囲い込んで、適度に規制を加えた特殊地域を作っておいた方が、お上としても管理しやすいと思うのだが。
ともかく、お城(都庁)のお膝下の「目障り」を掃除したいらしい。
勘ぐれば、歌舞伎町の歓楽街を潰して、その跡地に「都営カジノ」を作ろうというのだろうか。

以前、お手伝いしていた「風林会館」斜め前のニューハーフ・パブ「ミスティ」へ。
案の定、歌舞伎町の街と同様、店内も閑散。

エルママに「あれ~ぇ、どうしたの、珍しい格好で。そんな洋服まだ持ってたんだ」と言われる。
珍しがられるのも無理はない。
こんな格好で店に出たのは、たぶん4年ぶりくらいだろう。

男性客はだれも居ない無人のカウンター席に腰掛ける。
ボックス席に、なかなか美形のニューハーフさんと、それほどでもない初心者風の女装娘が座っていて、ママが話相手をしている。

ほとんど常勤ホステスのK美さん(純女)に「何? 面接?」と尋ねると、「そうみたいです。一人の方は2丁目の店に決まっているみたいですけど」という返事。
私は、てっきり美形のニューハーフさんが2丁目の店に入店が決まり、初心者風の娘が「この店に雇ってくれ」と面接を受けているのだと思った。
ところが、聞き耳を立てていると、どうやら逆・・・・。
ちょっと、びっくり。
まあ、ここの店に入る(可能性がある)のがニューハーフさんの方なら、上々だから良いのだけど。

ママが「踊りができないのなら、歌くらい唄えなくちゃ」と、まるで試験をするかように、就職が決まっている女装娘にマイクを渡す。
彼女、さんざん選曲に迷う(ほんとうは、もうそれで落第)。
やっと唄ったものの、私の評価はC(5段階で)。
まあ、お客さんとしてはまずまず(並)だけど、お客さんに聞かす側(プロ)としては合格点には達しない。

ママの評価も私と同じだったようで、首をかしげながらサッと選曲して次の曲を入れる。
歌上手のママが自分でお手本を示すのかと思ったら、「はい」とマイクを渡される。
心の準備ができていないし、唄うのは2カ月ぶり?
仕方なく、美川憲一「さそり座の女」を7割くらいの力で唄う。
ママとしては、私でプロとしての最低水準を示したかったのだろう。

長いこと、お店に出入りしていると、こういう、ホステス面接のような場に時々出合う。
面接者は、大きく分けて、今夜のニューハーフさんのようにある程度、経験がある即戦力になる娘と、今夜の初心者風の彼女のように新人(もしくはそれに近い)娘とに分けられる。

経験がある娘の場合、容姿や技量は水準に達していることが多いので、面接のポイントは、性格(協調性)と、どれだけ個人客をもっているかになる。
新人さんの場合は、将来性をみることになるが、容姿もだが、ポイントは頭の回転だろう。
顔は切ったり貼ったりすれば後からなんとかなる。
足りない知識や技術は後から勉強すればいい。
でも、頭の回転力は直しようがない。
頭の回転の程度は、おしゃべりしてみれば、すぐわかる。
しゃべりかたがモサモサしている娘や、身体の動きに切れがない娘は、概して頭の回転がトロいものだ。

ホステスさんの採用も、野球の新人ドラフトと同じで、10人採用して、そこそこの戦力になる娘が1人いればいいほう。
まして、店の看板になるような娘は、50人に1人、100人に1人だろう。
だから、ママにしてみたら、ホステスの採用には年がら年中、頭を悩ますことになる。

結局、お客らしい客が来ないまま閉店。
「まあ、こんな夜もあるわよ」とママ。

4時半、区役所通りをトコトコ新宿駅に向かう。
立待ちの日(月齢17)が西空に輝いている。

始発(4時42分)の山の手線、始発(5時00分)の東急東横線を乗り継いで帰宅。
昔、お店を手伝っていたころは、よくこのパターンで帰ったものだ。
最近は、着物のことが多く、加齢による体力低下もあって、タクシーで帰ることが多かったので、ほんとうに久しぶり。

5時半、仕事場に帰着。
身体は疲れたけども、精神的にはリラックスできた夜だった。
6時半、就寝(仕事場)。

2005年09月16日 『サラ、神にそむいた少年』(アメリカの女装少年男娼) [現代の性(性別越境・性別移行)]

2005年09月16日 『サラ、神にそむいた少年』(アメリカの女装少年男娼)

9月16日(金) 晴れ時々曇り

11時半、目が覚める。
今日は、明日からの京都出張にそなえて休養日のつもり。
そのままベッドで読みかけのJ.T.リロイ『サラ、神にそむいた少年』(2000年9月 角川書店)を読了。

人気娼婦である母親の真似をして女装をはじめ、母親のような娼婦になることを目指し、女装男娼として売春宿で働き始めたアメリカの12歳の少年を主人公にした自伝風小説。
この小説を購入した時は、少年への性的行為に対する嫌悪感が強くて、途中で読むのを放棄してしまった。
その思いは今も変わりがないが、1990年代前半のアメリカにおける女装の少年男娼の実態を示す資料として、冷静に読むことにつとめる。

その結果、いくつかのことに気が付いた。
長距離トラック運転手相手の売春システム(娼婦は女性)が存在し、その中に女装の少年男娼が混在する形であること。
日本でも、女装男娼の場合、女性の娼婦集団と付かず離れずの微妙な距離をとることが多い。
独自のシステムを作る男性の姿のままの男娼とその点で違いがあるように思う。

女装の少年男娼の客は、少女性愛者の男性(相手が少年とは気づいていない)、少年性愛者の男性(相手が少年であることに気づいた上で性的欲望を感じている)、確信的な女装者愛好の男性(「ペニスのある女の子」に性的欲望を感じる)、自己の女装趣味(フェティシズム)への理解者役として少年男娼を利用する男性など、いくつかのタイプがあることがわかる。

少女・少年性愛者の比重が高いのはアメリカの特徴かもしれないが、後の2つについては日本でもしばしば観察される。

日本の場合、こうした若年の女装志望者(少年)の受け皿としては、伝統的に飲食接客業(ニューハーフ・パブなど)が主で、一気にセックスワークの世界へ行ってしまう例は稀である。
そうした社会的受け皿がないアメリカ社会では、女装行為がダイレクトにセックスワークにつながっていくことがよくわかる。

ちなみに、先輩の女装男娼が主人公に語る「ペニスのあるチアリーダーが好きなフットボール選手って、びっくりするほど多いんだ」という言葉には笑ってしまった。
やっぱりアメリカなんだなぁ、と思う。

13時半、起き出してシャワーを浴びる。
昼ご飯は、トースト1枚、生ハム3枚。きゅうり&レタス。それにヨーグルト。

午後は、メールのお返事を書き、サイトの更新の原稿を作る
前髪だけ染髪(ダークブラウン)。

17時過ぎ、早めに夕ご飯の支度。
サーモンマリネ、焼き茄子を作り、ご飯を炊く。
夕食の前に、付け合わせの野菜(人参、茄子、エリンギ)と牛肉(薄切り)を塩・コショウで焼く。
久しぶりに子供といっしょの食事。

23時、仕事場に移動。
メールチェック、メールの返信、「日記」のアップをする。
シャワーを浴びて、顔のお手入れをしてベッドへ。

就寝、2時(仕事場)。

2005年08月24日 都立中央図書館へ/トランスジェンダーはいない? [現代の性(性別越境・性別移行)]

2005年08月24日 都立中央図書館へ/トランスジェンダーはいない?

8月24日(水) 曇り
10時、起床。
朝昼ご飯は、いつもの通り、トースト1枚、生ハム3枚、きゅうり&レタス、ヨーグルト。
午前中「日記」(23日分)とメールの返信を書く。
12時半、仕事場に移動。
メールチェックと「日記」のアップ、メールの送信。

13時、身支度。
化粧を終えたところで、鏡の前でボディチェック。
お腹の脂肪は、まずまず落ちたけど、背中の脂肪が・・・・なかなか落ちない。
洋服をすっきり着るには、あと4kgくらい落としたい(第2次目標)。

黒と白の大きな市松のトップに黒のタイトスカート(ちょっとラメ入り)。
髪は自毛をセット。

広尾の都立中央図書館へ。
久しぶりに新聞記事のコピー作業。
ほとんどの新聞情報は、インターネットでも見ることができるが、資料としての保存を考えると、やはりオリジナルのコピーが欲しくなる。
都立中央図書館の新聞資料室は、開架閲覧が当月を含めて3カ月で、それを過ぎると閉架になる(書庫にしまわれる)ので、適当なタイミングで訪れることにしている。

主に性同一性障害・同性愛関係の記事をコピーする。
「下野新聞」が6月から週1連載している「月たちのパズル-性的マイノリティー-」も10回分をコピーする。
こうした地方新聞が、性的マイノリティーの特集を組むようになったのは、とても有意義なことなのだが、問題はその内容。
連載は、性同一性障害(1~5・9)、レズビアン(6・9)、ゲイ(7~9)と続いて、高齢者の性(10)。
トランスジェンダーは見事なまでに無視。

栃木県にはトランスジェンダーはいないのか(← いないのだろう)。
あるいは存在しても、トランスジェンダーは性的マイノリティーの範疇に入らないという認識なのか(← 入らないのだろう)。
まあ、無視されること、存在を消されることには、私はもう慣れっこなのだが。

ところで、こうした資料収集作業、性同一性障害の人にとっては、なかなか難しいことに改めて気付く。
性別にいささかなりとも怪しいところがある人が、性同一性障害の記事ばかりをコピーしていたら、まずもってバレバレになるからだ。
自分の生来の性別を知られたくない性同一性障害の人には、きっとキツイ作業だろう。
「厚顔無恥」(← 以前、性同一性障害の人に言われた言葉)な私だからこそ、できる作業なのかも。

少し腹が立ったので、気分直しに、『美しいキモノ』隔号連載の山下悦子「メモワール・シリーズ」をコピーする。
「半衿のメモワール」「帯〆・帯留のメモワール」「着つけの移り変わりのメモワール」の3回分。
こうした地道で良質な仕事が、着物世界であまり顧みられないのはなぜなのだろう?

コピー作業の後、コンピューターで最近の関係図書を検索。
「性同一性障害」をキーワードにして検索をかけたが、今年になっての本は1冊もヒットしなかった。「性同一性障害」ブームは過ぎ去ろうとしてるのか。
ちなみに「トランスジェンダー」は1冊ヒットしたが、自分の本(共著)だった。

2時間半ほど頑張って退館。
有栖川公園で、10年後が楽しみな超かわいい金髪の少女が遊んでいた。
でもたぶん10年後には彼女は日本にいないだろう。
私も生きてないかもしれないし・・・・。

公園下の通り沿いの「Segafredo」という喫茶店で休息。
ここのサンドイッチ、なかなかおいしいので、中央図書館に来たときにはよく寄る。
いつもお客の半分くらいが外国人。その多国籍さがいかにも広尾らしい。

広尾の街に比べたら超庶民的な地元の駅前商店街のドラッグ・ストアーで、シャンプーとコンディショナー、化粧コットンに綿棒など、いろいろ買い物。
シャンプーとコンディショナーは、Laxスーパー・リッチ。
きれいなお姉さんの長い髪の上に猫が寝ていて、お姉さんが髪をシュルシュル抜いても猫が目を覚まさないほど、滑らかな髪質になるというコマーシャルのあれ。
寝てる間に髪に猫が乗っても気づかないというのはどういう状況なのか?とか、あの猫は撮影の時、麻酔薬をかがされてるのでは?などという突っ込みを入れたくなるが、ともかく、あのコマーシャルに影響されて買ってしまったのだから、コマーシャル制作者の勝ち。

18時半、仕事場に戻る。

2005年07月01日「異業種交流会」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2005年07月01日 異業種交流会

7月1日(金) 曇り時々小雨 蒸し暑い
10時半、起床。
朝昼ご飯は、トースト1枚、スモークサーモン3枚、きゅうりとタマネギのスライス。

「市民の日」とかで学校が休みの子供と、フジTV「笑っていいとも」を見ながらおしゃべり。
このまま遊んでいてやりたかったが、仕事だから仕方が無い。

午後、短大の講義。

17時半、仕事場に戻る。
シャワーを浴びて、大急ぎで身支度。

昨日と同じ、薄緑色に笹模様の綿紅梅。下は萌黄色吸い上げ暈しの麻の半襟をつけた半襦袢。
赤と黒の半幅帯を角出しに結ぶ。今日は、角を開いて、少しかわいくしてみる。
若草色の吸い上げ暈しの帯締でアクセント。

19時、支度完了。
正味50分!
昔は、2時間かかってたのだから、ずいぶん早くなった。

東横線、山の手線を乗り継いで新宿へ。
西口のサラリーマン客が群れている居酒屋で、京都から東京にわざわざお酒を飲みに来たIさんを囲んで、異業種交流会。
メンバーは、教員2名、公務員(含 財団)2名、テレビ関係者2名、医師1名、怪しい人(私)1名。
性別は、女性2名、男性3名、MTFGID2名、怪しい人(私)1名。

4時間近く、歓談、放談、密談。
大いに盛り上がり、「性」という文字を連発して、店や周囲のおじさんたちに迷惑をかける。

話の途中、脈絡無く思い付いたこと。

女装者は(たぶんニューハーフも)泳ぐのが好きな人が多いように思う。
私が以前、主催していた旅行でも、夏はプールのあるホテルをセレクトしたし、私は参加したことがないが、少し前まで毎年、知多半島(愛知県)で海水浴するイベントがあった。
それに対して性同一性障害者(MTF 男性から女性へ)は泳ぐ話をほとんど聞かないように思う(あくまで主観)。

なぜだろう?
やっぱり性同一性障害者の方が、身体違和感が強いからだろうか?

なんて考えていたら、MTFGIDの人から「えっ? 水着は?」と質問された。
「そんなの当たり前じゃん。女装の娘が男の水泳パンツで泳いだって意味ないでしょう。ワンピースだったり、セパレーツだったり、ビキニだったりいろいろだけど、ちゃんと女性水着で泳ぐわよ」と答えたら、怪訝な顔をされた。
981114-1.JPG
↑ 昔の写真で恐縮ですが・・・ 1998年11月 伊豆伊東「サン・ハトヤ」のプールで。

まあ、確かに水着で泳ぐというのは、ジェンダーの転換技術の中でも、かなり高度な部類かもしれないが、ウチのグループの「姐ちゃん」たちは、皆それほど苦も無くこなしてた。
(ちなみに、誤解の無いように付け加えると、着替えは、ホテルの部屋で済ますか、仕方ない場合は男性更衣室を使います → たいてい大騒ぎになるけど)

どうも、女装者と、GIDの人との間には、いろいろ文化(ジェンダーの転換技術)に差があるようだ。

さらに考える。
では、なぜ女装者は、ジェンダーの転換技術=女性ジェンダーの獲得に強く執着するのか?

答えは、そうしなければ「女」として認めてもらえなかったから。
平均的な女性以上の化粧テクニック、ファッションセンス、しぐさ、気配り(Gender Role)、言い寄ってくる男の性欲に対応する技術を身につけ、「あんた、女らしいね」と言われない限り、だれも石をぶつけこそすれ、「女」とは認めてくれなかった。
だから、「女」とは認めてほしい人は必死の思いで技術を身に付けた。

私たちの時代なんてまだまだ甘い方で、座った時、膝頭に隙間があっても竹の物差しでピシャと叩かれるようなことはなかった。せいぜい手のひらで叩かれるぐらいだ。

基本的にはアマチュア~セミプロの私たちの世界ですらそうだったのだから、ジェンダーの縛りがきつかったもう一つ二つ上の世代のプロフェッショナルな「お姐さん」たちの時代は、文字通り血の出るような修行だったらしい。
日本舞踊は必須課目だし(女性的な身のこなしを身に付けるため)、着物の着付が自分でできるのも当たり前、嘘ではなく内股に紙を挟んで落とさないように歩く練習をした世代だ。

現代の性同一性障害者の場合、極端な例で言えば、ジェンダーの転換技術=女性ジェンダーの獲得をほとんどしていなくても、医者が「あなたは性同一性障害です。あなたの心は女性です」と認めてくれる。
診断書を示せば、世間も人権的配慮から当事者の望みの性(女性)として扱ってくれることになっている(←本当だろうか?)。
それで、性別違和感を満たされる人は、なにも苦労して化粧のテクニックを覚えたり、大股開いてすわらないよういつも注意していたりする必要はない。
最終的に、性器の外形を女性に似せる手術をして、医師の診断書をもらって家裁に提出して戸籍も女性に変えてしまえば、もう世間の誰もが女性だと認めるしかない。

つまり、女装者が「女」になるためには、女性ジェンダーの獲得は必須だが、性同一性障害者が女性になるためには、女性ジェンダーの獲得は必須条件とはされていないということ。

つくづく「良い時代」になったものである。

さらに思う。
これは、フィギアスケートとか体操競技なので、ときどきある「採点基準」の変更にたとえることができる。
私たちの時代の採点基準は、芸術点(どれだけ美しいか)+技術点(どれだけ「女らしいか」=女性ジェンダーの獲得度)だった。
採点配分は6対4くらいだろうか。審判は一般の人(世間)だった。

現在の採点基準は、認定点(専門医の診断)と技術点(女性ジェンダーの獲得度)で、採点配分は8対2くらいだろう。審判は医師と家庭裁判所の審判官である。
これだけ採点基準が異なれば、結果(成績順位)も変わってきて当然だ。
以前の採点基準では予選落ちでも、新しい採点基準なら表彰台に上がれる。
もちろん逆のこともあるだろう。

誤解のないように付け加えれば、私はどちらのやり方が正しいとか、間違っているとか言っているわけではない。
そもそも性同一性障害というシステムが、お上(政府)や学問的権威(医師・法学者)に裏付けられて確立してしまった以上、古い時代のやり方を主張したところで受け入れられるはずがない。

私はもうあきらめている。
私たちのようなジェンダーの転換技術=女性ジェンダーの獲得を重視する旧世代は、もう死に絶えていくだけなのだ。
そして、弥生時代以来少なくとも二千年の伝統をもつ日本の性別越境の文化は消えていく。
私は、せめてその最後の光芒を記録にとどめる仕事をしたいと思う。

0時過ぎ、やっとお開き。
0時30分の山の手線で目黒駅まで行き、1時過ぎ、タクシーで仕事場へ戻る。
メールチェックをして、この「日記」を書き、シャワーを浴びて寝る。
就寝3時(仕事場)。


2005年05月17日  『セクシュアル・サイエンス』の座談会 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2005年05月17日  『セクシュアル・サイエンス』の座談会
5月17日(火) 晴れ

10時起床。
少し寝坊。眠い。

朝ご飯もそこそこに、仕事場に移動。
メールチェックの後、身支度。
だいぶ暖かなので、今年初めて単を着る。
でも夜のことを考えて、長襦袢は袷。

黒地に青緑の牡丹柄の伊勢崎銘仙(単)、赤字に銀糸で薔薇の模様の帯。帯揚は薄緑、帯締は萌黄。

14時、家を出て日比谷経由で有楽町線の麹町駅へ。
15時前、日本テレビ近くのメディカル・トリビューン社に着く。
今日は、オンラインマガジン『セクシュアル・サイエンス』の座談会。
メンバーは、杉浦郁子さん(中央大学講師)、石田仁さん(中央大学大学院)と私の3人。
テーマは「戦後日本トランスジェンダー社会史研究会」について。
司会は編集部の川辺金蔵さん。

杉浦さん、石田さんは、座談会は初体験だそうだ。
駆け出しの頃から、対談や座談会の仕事が多かった私にはかなり意外。
でも、普通の(まともな)研究者はそうなのだろう。

ということで、出だしは、なかなかスムーズにいかず、どうなることかと思ったが、後半はまずまず話が出たので一安心。
3時間ほど録音を取った後、近くのカレー料理の名店「アジャンタ」でご馳走になる。
インド料理でビールを飲みながら、また3時間ほどオフレコのおしゃべり。

川辺さんにご挨拶して、3人で市ヶ谷駅まで歩く。
今回の座談会は、研究会の「中締め」のような意味で私が企画した。
矢島教授と杉浦さん、それに私の3人で「戦後日本トランスジェンダー社会史研究会」を作って6年、それなりにがんばって成果(報告書や論文)を出すことができた。
杉浦さんと二人で神楽坂の風俗文献資料館に通い詰めたことや、石田さんを含めた3人で名古屋近郊の美島弥生さんのお宅に何度も調査出張したことを思い出す。
これからも研究会は続けるし、研究ももっと深化させなければならないが、少し感慨深かった。

22時半、南北線目黒経由で仕事場に戻る。
たまっている「日記」を書こうと思いながら、新聞を読んでいる内に、ビールの酔いが残っていたせいか眠くなり、そのまま寝てしまう。

就寝1時(仕事場)。

2005年04月26日 「女装サロン bambina cafe」訪問 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2005年04月26日 「女装サロン bambina cafe」訪問
4月26日(火) 晴れ 午後雷雨

8時半に目覚しをかけたのに起きられず、9時半にやっと起床。
まだ慢性睡眠不足、解消できず。

急いで朝ご飯を食べて仕事場に移動。
11時、身支度。
卍崩しの伊勢崎銘仙、縞の帯、帯揚は緑、帯締は若草。

12時半、家の近くからタクシーに乗り、渋谷の並木橋の手前で下車。
道端で地図を広げて目的地までの道を確認していたら、学生風の男の子が「どうしました?道に迷いましたか?」と声を掛けてくれた。「大丈夫です。ありがとう」と応じたが、まだまだ日本の若者、捨てたものではない。

13時、今日の訪問先「女装サロン bambina cafe」の入っているビルの前に到着。渋谷ということになっているが、周囲の環境は、もともと閑静な住宅街にアパレル系の会社や各種学校が入り込んでいて、代官山の延長という感じ。
「bambina cafe」は、この3月にオープンしたばかりの新しい女装サロン。4月の初めに、サロン担当の月影麻優(まや)さんから相互リンク希望のメールをいただいた。

私のサイト(女装家 三橋順子Homepage)は、商業サイトとのリンクは、私が利用したお店に限定してるので、本来ならお断りするところなのだが、サロンのコンセプトに新しい魅力を感じたのと、場所が私の仕事場から割と近そうだったので、例外的に相互リンクをすることになった。
そんなやりとりをメールでしているうちに、思い付いて「もし、雑誌の取材をご希望なら、ご紹介できますが」と申し入れたら「ぜひお願いします」というお返事をいただいた。

早速、私が連載エッセーを持っている『ニューハーフ倶楽部』の編集部に連絡すると、トントン拍子に取材話がまとまり、私も紹介した責任上の「取材立ち会い」と「bambina cafe」さんへの表敬を兼ねて、今日の訪問になった。

月影さんに迎えられ、サロンに入ると、すでに北斗出版の編集者とカメラマンが到着していて、まずはご挨拶。
ちなみに、『ニューハーフ倶楽部』は、最近、創刊10周年をむかえたニューハーフ&女装専門誌(季刊)で、発行元はエロ雑誌の最大手三和出版になっているが、実際の編集は北斗出版という会社が請け負っている。

月影さんは、私より二世代くらい下の女装の方で、「エリザベス会館」(東京浅草橋にある老舗の女装クラブ)や新宿の女装スナックとはまったく縁がなく、独自の活動をしてこられた方らしい。もの静かな雰囲気ではあるが、なかなかしっかりした方とお見受けした。

月影さんといろいろお話していたら、黒い服を着た長い髪の小柄な女性がお茶をもって入っきた。それが「bambina cafe」のスタッフで、別に「paradiso(パラディソ)」というSMサークル?をやっている日向可憐(ひなた かれん)さんだった。

月影さんが取材スタッフを案内している間、SMについていろいろお話。可憐さん、見かけは「お嬢さま」「お姫さま」という感じで「Sの女王様」というイメージには程遠いが「人は見掛けで判断してはいけない」という典型。SMプレイについて、豊富な実践に基づいたしっかりした考えを持っている方で、実に興味深かった。いずれじっくりお話をうかがいたいと思った。

月影さんに案内していただいて見学。
マンションの一室なので、けっして広いスペースではないが、明るい照明の機能的なメイクルーム、使い勝手がよさそうな撮影ルーム、そして居心地が良さそうなサロンから構成されている。豪華ではないが、手作り感覚のセンスの良さが伝わってくる。
ただ、サロンの窓際に据えられた太い材木を組んだ大きな門型の謎の構造物が気になる。

備品も見せていただく。お衣装は、収納スペースの関係でまだ豊富とは言えないが、今、今、若い女装者の間で人気のメイドファッション、ゴスロリ系、そしてボンデージ系と、しっかりツボを押さえているように思った。

ついでに、可憐さんが使っている縄を見せていただく。
縄の処理を見れば、女王様のレベルはだいたい推測できる(← なぜ私はそんな推測ができるのだろう?)。
人肌の脂をたっぷり吸い込んで薄い黒茶色に染まったケバがほとんど感じられない滑らかなロープは、この縄の主が「本物」であることを語っていた。

さて、サロンの謎の構造物、建物の壁や天井とはまったく独立した構造で、10数cm角の硬い木材をがっちり組んであり、約100kgほどの重量物を吊り下げられるくらいの強度は十分にありそう。
訳知りの方にはすでにお解りの通り、この構造物は人を吊り下げるためのもの。つまり、このサロンは、テーブルとかを片づければ、たちまち可憐女王様の吊責めプレイルームに変身するらしい。なかなか楽しい?システムだなぁ、と思う。

ところで、私がこの「bambina cafe」に、今までの女装クラブに無い、新しいものを感じたのは、女装サロン「bambina cafe」、出張型女装フォトサロン「bambina」、SMプレイの「paradiso」という3つの営業形態をリンクしたスタイルにだった。それは、インターネットでいう「相互リンク」をイメージさせる。

こうした形は、インターネット、Eメール、デジタルカメラという新しい「道具」を当たり前のように使いこなす月影さんの世代には、取りたてて新規な発想ではないのかもしれない。しかし、今までの女装クラブの経営を担ってきた旧世代の人たち(私を含む)には、それは当たり前のことでない。理屈ではインターネットの利便性を解っていっても、根本的な部分では発想が転換できないのだ。

例えば、女装者の嗜好にSMが根強くあることはよくわかっていても、SMサロンとしっかり提携関係をもつような発想はなかなか生まれてこない。

考えてみれば、「エリザベス会館」にしろ新宿の女装スナックにしろ、25年以上の歴史をもっている。節目節目でマイナーチェンジはしてきても、基本的には4半世紀前のシステムなのだ。もうそろそろ根本的に新しいシステムが出てきてもいい頃だと思う。

「bambina cafe」は、まだ船出したばかりで、正直、海のものとも山のものとも知れないところはある。ただ、私はそこに新しい可能性のようなものを確かに感じた。
月影さんと日向さんのこれからの健闘を祈りたい。

取材が終わり、私だけ残って、月影さんと日向さんとお話していたら、外が異様な気配、雷鳴がとどろき、いきなりドシャ降りの雨。

小止みになるまで待って、可憐さんのかわいい傘を借りてタクシーで、16時半仕事場に戻る。
やはり本調子でなく、着物を脱いで化粧を落としたところで、またダウン。
2時間ほど眠り、やっと回復。

2005年03月15日 フジTV スーパーニュース「母になった“父”」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2005年03月15日 フジTV スーパーニュース「母になった“父”」
3月15日(火) 晴れ

10時半、起床。
昼から、郵便局、銀行、旅行代理店などを巡り、いろいろ雑用を済ます。

この数日、杉花粉の飛散量がすさまじいらしい。
私は、ときどき目が痒くなったり、軽い鼻水が出る程度で、幸いそれほどひどい症状にはなっていない。
5年くらい前は、時には寝込むくらいひどかったのだけど、少しずつ免疫ができたのか?
それとも歳とともに体質が変ったのか?。
それにしても、個人個人の対処療法だけでなく、もっと根本的な対策はないのだろうか?

15時、仕事場へ。
いつものようにメール・チェックと「日記」書き。
夕方から、明日の講義の準備。

21時、帰宅。
夕ご飯は、昨夜の鯛アラ汁をアラ煮に改造したものと、作り置きの豚バラの角煮&レタスサラダ。

夕食後、録画しておいた、フジテレビの夕方のスーパーニュース「母になった“父”」を見る。
密着取材されてるのは、岐阜県在住の水野淳子さん一家。
水野さんは、離婚後、性同一性障害(GID)を理由に男性から女性への性転換手術を受け、2人のお子さんの母親として、また女性社員として、地域社会にしっかり受け入れられている。
それにもかかわらず、「子どもがいる」ということがネックになって、戸籍の性別変更が認められない。

番組では、水野さんの周囲の人たち、2人のお子さんやご両親、お子さんの学校の先生などが、水野さんの戸籍性別変更の許可を求める家庭裁判所への上申書を集める様子が報道されていた。

しかし、法律(2004年7月施行の「性同一性障害者の戸籍の取扱い特例法」)に、性別変更の要件として「現に子がいないこと」と明記されている以上、家裁が法律に反する判断をするとは思えず、残念ながら現状では、水野さん一家の望みがかなう可能性はほとんどないだろう。

いったい何が問題なのだろう?
2人のお子さんは、元お父さんの「お母さん」が、名実ともに「母」になることを強く希望しているのに。
ある一家が必死に家族関係を築き直そうとしているのを妨げる権利が法律にあるのだろうか?

今、目の前にいる我が子を殺さなければ条件をクリアーできないという非人間的な条項をもつ法律を作成した議員や官僚、それに同調したGID団体の幹部たち、それに疑問を抱かなかったGID当事者たちは、この番組をどう見たのだろうか。

番組を録画保存したことで、思い立って溜まっていたビデオの整理を始める。
報道特集だのドラマだの、取りっぱなしになっていたものを10数本ほど、チェックして、保存するかどうかで分別。
メモを取りながら、巻き戻したり、早送りしたり、ともかく時間がかかる。

その後、性同一性障害/トランスジェンダー/女装関係の記録ビデオを、1996年から現在まで、年月日順に並べて番号を貼る作業。
驚いたことに、No1〜18までになった。
これ以外にテレビ局からもらったビデオ(私が出演した番組)が、別扱いで6〜7本ある。
さらに1995年以前のニューハーフ系の番組のビデオがやはり同じくらいある(未整理)。

もちろん録画し損ねた番組も多いが、これだけまとめてある所も少ないかも。

ビデオの整理にすっかり時間を取られてしまい、就寝3時。

2005年02月15日 女装支度部屋を見学 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2005年02月15日 女装支度部屋を見学
2月15日(火) 晴れ

10時半、起床。
食欲は徐々に改善。ただまだ胃が重い感じで、身体に力が入らない。
風邪で寝込んでいる子供の様子を確認。
熱は37度代でそれほどひどくはならないようなので、義父母に頼んで、11時半、仕事場へ。

身支度。薄茶に青の変形市松模様の伊勢崎銘仙。錆朱に金の帯。
長襦袢のコウリンベルトが緩い。伊達締めもいつもより4cmくらい余る。二重回しだから、胴回りが2cmくらい痩せた計算になる。
帯もいつもの具合で結んだら、ユルユルのズルズルで結び直し。
日ごろ太り過ぎだから、このくらい痩せた方がいいのだけで、やはり一気にやつれると、いろいろ調子が狂う。

14時半、家を出て新宿3丁目の女装スナック「アクトレス」へ。
ここで、旧知の女装の方M子さんの紹介で、シンガポールのテレビ・ディレクター氏と会う。
M子さんとそのお知り合いの女装の方(計3人)、「アクトレス」のオーナー滝氏、それに私の5人で、2時間ほど日本のトランスジェンダー世界についていろいろレクチャーする。

言葉の壁もあり、どうも要領を得ない。そもそも取材意図が明確でないような気がする。
シンガポールは放送検閲も厳しいとのことでもあるし、私の印象では、はたして取材が実現して番組になるかどうか、良くて半々という気がした。

17時、滝氏の案内で、昨年末に移転したばかりの「アクトレス」の会員クラブ「グッピー」のロッカールーム(女装支度部屋)を見学させていただく。
「グッピー」は女装会員100人を越える新宿最大の(ということは日本最大の)支度部屋を経営している。

新宿2丁目の中心部のビルのワンフロアー全部が、ロッカールームとメイク室になっている。
85基の(他に20基ほどが別のビルにある)大型ロッカーがまるで迷路の壁のように複雑に並び、空間という空間に衣装ケースやさまざまな収納ケースが置かれている。

もっと乱雑かと思ったら、けっこう整理が行き届いていて、感心する。オーナーの教育の賜物だろう。
ロッカーの名札(もちろん全部女名前)を見ていると、しばらく会っていない友人・知人の名前があって、懐かしくなる。

入口に近いスペースには、ずらりと鏡台が7つ並んでいた。
週末などは、これでも足りないそうだ。

オーナーの滝さんは「体育会系の部室みたいなものだよ」と言うが、臭いが違う。
男くさい汗の臭いでなく、化粧品と香水の甘い匂いが満ちている。
あちこち見せていただいて、何かに似ているな?と思ったいたら、「ドンキホーテ」の店内にそっくりだった。(ということは、火事になったらたいへんだ)

私は、新宿ではずっと一匹狼のはぐれ者だったので、こういく支度部屋には1度も所属したことがない。
だから、こういう場所は物珍しい。

1時間たらずの見学だったが、その間にも、すらりと背の高い美青年が、セクシーでエキゾチックな美女に変身していた。
ここが、夜の新宿を彩る妖花たちの「出撃基地」であることが実感できる。

3丁目の「アクトレス」に戻り、滝氏とちょっと世間話をして、18時過ぎに辞去。
たった3時間ほどの外出なのに、体の奥に疲れを感じる。
やはり、まだ身体が本調子ではないのだろう。

どこにも寄らず、まっすぐに仕事場に帰り、明日の講義の準備を少しして、21時、帰宅。

夕食は、胃の状態を考えて、湯豆腐とお刺し身少々。
お風呂に入ったら、急激に眠くなる。
もう少し調べものをしたかったが、駄目。

0時半、就寝。

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