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2010年10月09日 インド南部のサードジェンダー「アラバニ」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2010年10月09日 インド南部のサードジェンダー「アラバニ」

10月9日(土)
東京の某大学のゼミ発表の場で、「サードジェンダー」という言葉を使った学生に対して、教授がこう発言したらしい。
「そもそも男女以外のジェンダーなどありえるのか?」
う~ん、大学の先生、しかも歴史・文化系の教授でも、まだまだジェンダーの男女二分を単純に信じている人がいるのだなぁ、と嘆息が出た。
そういう人に、私の本(『女装と日本人』)や論文を読んでくれ、と言っても無理だろうけど、せめて、以下のような新聞記事を読んで考えてほしい。

この記事、ブログにアップしたつもりでいたが、探してみたらなかった。
多忙で忘れたらしい。
幸いファイルは見つかったので、2年遅れでアップしておく。
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「第三の性」に公的支援 インド南部の州「アラバニ」15万人
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インド南部のタミルナド州政府が「アラバニ」と呼ばれる男でも女でもない「第三の性」を認め、生活支援を始めた。「体は男なのに心は女」であるがために不利な立場に置かれてきた人たちを対象に、身分証明書の性別欄の変更や専用トイレの設置などを進める。男女の二分法を超える世界でもまれな取り組みだ。  (チェンナイ〈インド・タミルナド州〉=小暮哲夫)

物ごい生活 根強い差別 
港湾都市チェンナイの中心部にあるスラム。簡素なれんが造りの一間だけの小屋に住むサンギタさん(40)の仕事は「押しかけの物ごい」だ。

髪の毛を束ね、女性の民族衣装サリー姿。耳には金色のピアスがきらびやかに光る。近くの小屋の「グル(指導者)」と呼ばれるサンカリさん(48)ら4人と家族のように行き来して暮らす。

毎朝、みんなで街に繰り出し、店の前で独特のしぐさで手拍子をとりながら腰をくねらせ、最後に「お金、くださいな」と手を差し出す。店主は早くいなくなって欲しいのが本音。1ルピー(約2.6円)前後を渡す。夕方までに100~150ルピー(260~390円)くらいの稼ぎになる。

サンギタさんが、体は男の自分が女の子と一緒にいる方が自然で、しぐさもしゃべり方も女の子のようだと気づいたのは小学時代。両親は男として生きるように望んだ。15歳のとき家を出てアラバニのグループに加わった。同じような人たちと暮らせば気が楽だと思った。「でも、物ごいの仕事に満足しているわけではない」。とにかく安定した仕事に就きたいと言う。

アラバニは社会的に差別され、疎んじられてきた。大学入学を拒まれる例も多く、企業も採用しない。街では好奇の視線が注がれる。警察官に追い払われたり、殴られたりするのは日常茶飯事だ。

「生きることそのものに問題を抱える存在。仕事は物ごいか売春という二つの選択肢しかない」。アラバニを支援するNGO「タミルナド・アラバニ協会」代表で、自らもアラバニのアーシャ・バラティさん(55)が説明する。

エイズウイルス(HIV)対策も課題だ。州政府の06年の調査では男性の同性愛者、売春婦のHIV感染率はそれぞれ一般の15倍、10倍。アラバニも最も感染率の高い集団の一つとみられている。

学校に専用トイレ・奨学金・融資
「アラバニを独立した性として認め、必要な施設を整えなければならない」。州政府は今年4月、州内のすべての学校にこう指示した。「必要な施設」とはトイレのこと。アラバニには男性用も女性用も使うのに勇気がいるのだ。

5月には「トランスジェンダー(アラバニ)福祉委員会」を発足させた。福祉、教育、保健、警察、財務など州政府の各部お門の長やNGOのメンバーらで構成する。

アラバニは人口6240万(01年国勢調査)の同州に15万人ほどいるとされるが、統計はない。9月までに人口や生活・教育実態を調べ、大学進学奨学金や職業訓練、起業の貸し付けなどについて検討する。調査後、身分証明書を発行。性別欄にはM(男)でもF(女)でもなく、Tと表記する。タミル語で「1より多い(男と女の両方)」を意味する文語「テルナンゲ」の略だ。

州政府は、仲間内で行われ、危険が伴う性器除去手術を州立病院で無料で受けられるようにするなど、昨年から支援策を実施。警官計5千人に「アラバニとは何か」という一日講習も受けさせた。

アラバニを「第三の性」と公式に認め、生活向上を支援する施策は「おそらく世界で初めて」(福祉委員会関係者)。後押ししたのはNGOだ。98年にアーシャさんがアラバニ協会を設立。支援の必要性を訴え始め、州内の支援NGOは25に増えた。その一つ「インド共同体福祉機構」のハリハラン代表は「支援団体がほとんどない周りの州とは対照的だ」と言う。

「当初は州政府は聞く耳を持たなかった」とアーシャさん振り返る。02年ごろから行政や政治家への働きかけを始め、06年にアラバニたちが1千人規模の街頭活動を始めると、地元メディアも取り上げ始め、風向きが変わった。

タミルナド州には選挙で票につながる社会福祉に積極的な政治土壌があるとされる。昨年来の急進展には、先駆的な施策を福祉の象徴的な成果として宣伝し、「得点」にしたいという地元有力政治家の思惑もささやかれる。

しかし、教育機会や職業訓練を得ても、社会が人材として受け入れなければ意味がない。差別解消のための啓発はまだまだ大きな課題だ。

州政府のマニバサン社会福祉部長は「根深い差別はあり、ゆっくりとした変化になる。これが始まりだ」。アーシャさんも「道は一日にしてならず、ですよ」と話す。

【キーワード】
アラバニ  インド南部のタミル語で「男でも女でもない」存在の意。英語で「トランスジェンダー」、日本の「性同一性障害」の人に相当する。インド北部では「ヒジュラ」と呼ばれ、超自然の能力があるとされ、男児が生まれた家庭や結婚式に押しかけ、繁栄や多産を願う音楽や踊りを披露して謝礼で生計を立てる。南インドにはヒジュラの伝統はなく、物ごいか売春で収入を得る人が多い。身体的に男女の別がはっきりしない人はまれで、ほとんどが「体は男で心は女」の人たち。仲間内で性器の除去手術をする例が多い。グルの元で集団生活を送り、女装をする。

タミルナド州  住民の大多数は紀元前1500年ごろにインド北方から南下したアーリア人よりも前にインドに住んでいたドラビダ系のタミル人。インド独立直後の40年代末~60年代にかけて北インド中心の政治・経済やヒンディー語の押しつけに反対し、分離独立運動が起こるなど、中央への対抗心やタミル人の伝統や文化への自負は強い。政治も中央政党の国民会議派の影響力は小さく、地域政党が勢力を競ってきた。

『朝日新聞』2008年7月18日 朝刊

2010年09月 共同通信:ファッションとしての女装ブーム [現代の性(性別越境・性別移行)]

2010年09月 共同通信:ファッションとしての女装ブーム

2010年8月3日に取材を受けた共同通信の記事「ニッポン解析 ファッションとしての女装ブーム」が配信されて、『神戸新聞』(8月21日)、『京都新聞』(8月25日)をはじめ、いくつかの地方新聞に掲載されました。

写真もいい感じだし、文章もなかなかよくまとめてあり、良い記事になりました。
私のコメントは、3段目の末尾から最下段にかけて、かなり長く載っています。

ここでは『京都新聞』2010年8月25日号を紹介します。
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ニッポン解析 ファッションとしての女装ブーム
 ライトな感覚でかわいさ追求
女装をファッションとして楽しむ「男の娘(こ)」が東京・秋葉原を中心に増えている。男性が化粧をして“美”を競い合うコンテスト「東京化粧男子宣言!」も多くの観客を集める。ブームの背景には、アニメや漫画の影響に加え、日本人の伝統的な美意識もあるようだ。

「いらっしゃいませ!」秋葉原の雑居ビルにある女装メイドカフェ「NEWTYPE」を訪ねると、店員の「男の娘」たちが元気な声で迎えてくれる。いつもはメード服だが、この日は特別イベントで全員が浴衣姿。満員の客は男性が7割だが、女性に見える客の数人は女装した男性だ。

「以前働いていた女装メード喫茶が大人気だったけど期間限定だったので、独立して常設店を開きました」と笑顔で話すのは、同店代表の「茶漬け」さん。店員の中には女性の心を持つ人もいれば、コスプレの延長線上の人もいるといい「中身に関係なく、外見が」かわいいのが“男の娘”」。

世間では女装に否定的なイメージを抱く人も多いが、秋葉原ではアニメや漫画のキャラクターに向けるのと同じ“萌え”が大切にされていると語る。そんなライトな感覚がオタク系の男女に受け入れられているようだ。

茶漬けさんが女装を始めたのも、女性になりたいというより「SHAZNA(シャズナ)」などビジュアル系バンドの影響だという。「もっと女装文化を広めるため、ファッションリーダー的存在になる女装版AKB48をいつか作りたい」
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女装メイドカフェ「NEWTYPE」の店員たち。左から3人目が代表の茶漬さん=東京・秋葉原

化粧男子
「東京化粧男子宣言!」は「男の子もキレイになりたい!」をコンセプトに昨年スタート。7月に開かれた第2回大会は“化粧男子”12人がエントリーし、女性を中心に300人もの観客が声援を送った。

企画したMIYAさん=神戸市灘区出身=も化粧男子。「女性を装うのではなく、男性も女性のファッションを取り入れればおしゃれを楽しめることを提案したい」と趣旨を説明する。

司会のいがらし奈波(ななみ)さんは「キャンディ・キャンディ」で知られる漫画家いがらしゆみこさんの長男。昨年、コスプレで女性の服を着たとき「もともと競争ばかりの男性社会についていけないという思いがあったけど、こういう世界もあるんだと気づいた」と語る。

ゆみこさんは「息子の中身が百八十度変わったわけではないのでショックはなかった。おしゃれで『負けた!』と思うことはあるけど」と笑いながら「漫画では、かわいい女子が実は男子だった。またはその逆もよくある話。現実世界が漫画に近づいた気がしますが、若い世代には違和感がないのかも」と分析する。
012.JPG東京・銀座の目抜き通りをおしゃれして歩くMIYAさん(左)といがらし奈波さん

江戸から続く伝統的美意識
自信回復
「女装と日本人」の著書ががある早稲田大ジェンダー研究所客員研究員の三橋順子さんは「もともと『女装が似合うような男が美男子』という感覚を日本人はずっと抱いてきた」と指摘する。

江戸時代の絵師鈴木春信が「江戸三美人」を描いた錦絵で、評判の看板娘2人を従えて中央に立っているのは、豪華な衣装をまとった人気女形瀬川菊之丞(二世)。「当時は女形が女性ファッションのお手本になっていた」と三橋さん。

「明治時代以降に『男はもっと男らしく』と価値観の変容があったが、戦後の日本で受けている男性スターはやはり、伝統的な美男子系が多い。文化の深いところに擦り込まれた意識はそう簡単には変わらない」

こうした日本人の美意識に加え、近年は女性の社会的立場が向上。一方で「草食系男子」に見られるように「男らしさ」「女らしさ」という概念が失われつつある。「男性が虚勢を張れない時代。『かわいい』という女の子の価値観に乗っかる形だが、努力してきれいになることで男の子たちが自信を回復しようとしているのかもしれない」と三橋さんは話した。
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鈴木春信「お仙と菊之丞とお藤」


2010年9月28日 ジュリア安田さんについて [現代の性(性別越境・性別移行)]

2010年9月28日 ジュリア安田さんについて

9月28日(火)

先日、コメント欄でご教示いただいた、ジュリア安田さんについて、少しだけ調べてみました。
英語がいたって不得手なので、ちゃんと翻訳できてないかもしれませんが・・・。
どなたか、英語が得意な方、パフオーマンス芸術に詳しい方、リサーチしていただけないでしょうか。
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ジュリア安田(Julia Yasuda 1943~ )
http://zagria.blogspot.com/2008/08/julia-yasuda-1943-set-theorist.html
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アメリカ在住の日本人。数学者、記号論理学者、パフォーマー。
1943年、旧満州国奉天(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)の生まれ。
クラインフェルター症候群(Klinefelter's Syndrome)。
1973年、数学博士号を取得。
1970年後半、東京のSMバーで写真家・ヤスエリカ(?~1987:漢字表記不明)と出会い、専属モデルをするようになり、後、パートナーとなる。
1984年、客員教授として招かれ渡米、ニューヨーク大学などで数学者としてのキャリアを重ね、記述集合論への貢献で名古屋大学から理学博士号を与えられる。
1987年、パートナーであるエリカが死去、社会的性別を女性に移行して、Juliaとなる。
1995年、Antony and the Johnsonに会い、パフォーマーとしての活動を開始。
またTransistersのグループの設立と運営にかかわる。
1996年、 Rosa von Praunheimのフィルム「Transsexual Menace」に出演。
1999年、女性として米国市民権を取得。
ミルトン・ダイアモンド博士(ハワイ大学教授)のクラインフェルター症候群研究会に参加。
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化粧と日本人 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2010年07月10日 化粧と日本人

以下は、私が「東京化粧男子宣言!2010」に提供した文章です。
記録のために、ここに載せておきます。
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  化粧と日本人            三橋順子(性社会・文化史研究者)

日本神話の英雄ヤマトタケルは、叔母さんにもらった衣装を身につけ、叔母さんに教えてもらった(←たぶん)化粧をして美しい少女の姿になり、難敵クマソタケル兄弟を討ちはたしました。弥生時代のシャーマンも、特別な化粧をし、豪華なアクセサリーを身につけて神を祀りました。中世戦乱期の武士たちも合戦に赴くときには化粧をし、きらびやかな甲冑を身にまとって出陣しました。江戸の元禄時代、振袖で美しく装い、髪を結いあげた少年は、女性からも男性からも愛されました。

私たちの先祖は、化粧をし、装うことによって、単に美しくなったり、身ぎれいになるだけでなく、普段の自分にはない特別なパワーが備わると考えたと思われます。つまり、化粧とは、日常の自分とは異なるパワフルな存在になれるマジカル・アイテムだったのです。現代でも女性たちはこうした化粧のもつ力を知っていて、ここぞという時には有効に使っています。

では、本来、男女を問わないものだった化粧が、女性だけのものになってしまったのは、いつなのでしょうか? それは、近代(明治)以降のこと、西欧の文化の影響によって作られた認識で、たかだか百数十年のことなのです。

男子がきれいに美しくなって何か不都合があるでしょうか? 今こそ、二千年の日本の伝統に立ち返って、化粧という素敵なマジカル・アイテムを、再び男子の手に取り戻しましょう。 


2009年12月01日 「化粧男子」か「女装男子」か [現代の性(性別越境・性別移行)]

2009年12月01日 「化粧男子」か「女装男子」か

12月1日(火)
11月26日の「第1回 東京化粧男子宣言!」について、「結果的に女装コンテストになってしまった」という批判があるらしい。

「化粧男子」か「女装男子」かということについては、会場でショーを見て、審査しながら、ずっと考えていた。
そのときに考えてみたことを整理して、まとめてみたい。

男性が、女性の化粧テクニックやファッション・アイテムを身に付けていく、つまり女性のジェンダー記号を重ねていけば、女性の性別表現に近づいていくのは当然のことだ。

「化粧男子」と「女装男子」の関係で言えば、「化粧男子」が女性の化粧テクニックやファッション・アイテムを流用する以上、見かけ上「女装男子」になっていくのは、ほとんど避けられない、必然的なことだと思う。
それを避ける、つまり女装にならないようにするのは、かなり難しい。

敢えて方法を考えれば、重ねた女性ジェンダー記号を打ち消す(中和する)ような決定的な男性ジェンダー記号(髭とか)を付けることだろうか。

しかし、そうした男女のジェンダー記号が対抗しているような自己表現を、どういう視点で「美」として評価するかは、かなりは難しいだろう。

あるいは、そもそも女性の化粧テクニックやファッション・アイテムを使わないということも考えられる。
つまり、男性が男性のジェンダー・イメージのまま、化粧と衣装により美しさを競うということ。

理念としてはわからないわけではない。
しかし、衣装はともかく、女性の化粧テクニックを流用しない化粧というものが、現実の問題として、果たして成り立つだろうか?
私の頭に浮かぶのは、歌舞伎の立役の隅どりくらいだ。
「化粧男子」が見かけ上「女装男子」にならない可能性を否定するわけではないが、かなり難しい細い道筋のように思う。

逆に言えば、「化粧男子」から「女装」の要素を取り去ってしまったら、自己表現の幅はずいぶん狭くなってしまうだろう。
今回のような多様な自己表現になったかは疑問だ。

また、「化粧男子」から「女装」の要素を抜いた時、多くの観衆がそれに魅力を感じるかも疑問に思う。
つまり、「女装」という要素抜きでは、「化粧男子」は成り立たないとは言わないが、多様性も魅力も大きく減じてしまうだろう。

どうしても「女装男子」では嫌だというのなら、たとえ、外見上、女装に見えたとしても、あくまでも「『女装男子』ではない。『化粧男子』です」と開き直って言い張ることだ。

つまり、性他認的には「女装男子」であっても、性自認的には「化粧男子」だということ。
結局、「化粧男子」か「女装男子」かは、突き詰めればアイデンティティ(自己認識)の問題だと思う。

次に、それをどう評価するかだ。

女性の化粧テクニックやファッション・アイテムを使っていれば、それらをどうこなして自己表現をしているか、あるいは身体との適合度やバランスを見ることになるのは、やはり当然の観点だと思う。

「それでは『女装男子』の審査基準であって『化粧男子』の審査基準ではない」
と言われれば、正直、私は困ってしまう。

「女装男子」の価値基準を持ち込むな、と言われるのなら、私は審査員の任ではない。

「化粧男子」の審査基準とは、いったいなんなのか?
ぜひ、ご教示いただきたい。

ちなみに、「女装男子」の評価は、必ずしも女性への成り切り度だけではない。
それに加えて、女性では表現できない、「女装男子」特有の美があることが望ましい。
というか、そうでなければ「女装」の意味がない。

今回、「グランプリ」をとられた方には、そうした女装特有の美の片鱗が感じられたから、私は高く評価した。

こうした審査に、異論があるのは仕方がないことだ。
たしかに「結果的に女装コンテストになってしまった」という側面があることは私も認める。

では、なぜ「女装コンテスト」ではいけないのか?
たとえ「女装コンテスト」であっても、今回、新しい自己表現の可能性が、いろいろ芽ぶいていたと思う。
それでは、いけないのだろうか?

私は、長年「女装」の世界で生きてきた私の審美基準に従って審査した。
ただ、それだけだ。


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