2008年10月18日 石川武志写真展「HIJRAS」を見に行く [現代の性(性別越境・性別移行)]
2008年10月18日 石川武志写真展「HIJRAS」を見に行く
10月18日(土) 晴れ 東京 21.2度 湿度 38%(15時)
11時、起床。
朝食は、アップルデニッシュとコーヒー。
髪染め(部分)。
シャワーを浴びて髪を洗う。
よくブローして、あんこを入れたポニーテールにまとめる。
「日記(17日分)」を書く。
14時、化粧と身支度。
黒地に茶色と白の花柄の長めのチュニック(7分袖)、黒のスパッツ(5分)、黒網膝下ストッキング、黒のサンダル、黒のトートバッグ。
15時、家を出る。
東急目黒線で目黒に出て、JR山手線で有楽町駅へ。
南口の「有楽町電気ビル」北棟20階の「日本外国特派員協会」で開催中の石川武志写真展「HIJRAS The Third Gender of India」を見に行く。
会場がわからなくて、受付のお姉さんに尋ねると、バーラウンジの中とのこと。
ラウンジに入っていくと、カウンター席に石川武志さんがいらしたのでご挨拶。
名著『ヒジュラ インド第三の性』(青弓社 1995年10月)の著者である写真家石川武志さんと私とは、1997年12月に行われた石井達朗先生(慶應義塾大学教授)を中心とする座談会「ヒジュラに学べ!-トランス社会の倫理と論理-」でご一緒して以来のお付きあい。
でも、お会いするのは、ずいぶん久しぶり。
(注)この座談会は『ユリイカ』1998年2月号(青土社)に掲載され、後に、石井達朗著『異装のセクシュアリティ(新版)』 2003年3月 新宿書房 に収録。
広いラウンジの壁面に20点ほどのヒジュラの写真が展示されている。
石川さんに説明していただきながら、1点ずつ見てまわる。
どれも、ヒジュラの伝統的な習俗とその現状を伝える迫力に満ちたものばかり。
ヒジュラは、元々、シヴァの神に仕える両性具有者を名乗る人々で、ヒンドゥー教を信仰するインドの人々の誕生・結婚・出産などの儀礼に深くかかわってきた宗教・芸能集団。
そのあり様は、かって世界各地に広範に存在し、特有の社会的役割をになってきたサード・ジェンダーの姿を現在に伝えるものとして、文化人類学、性社会史的に注目されている。
石川さんは、1982年からヒジュラの取材を続け、その回数はなんと60回に及ぶ。
排他的なヒジュラ集団の奥深くまで入りこんで撮影するのは、ヒジュラの人々の信頼を得ないとできる仕事ではない。
そうして撮影された写真の数々は、失われゆくヒジュラ文化の記録としても、学術資料としても、たいへん価値がある。
中でも印象的だったのは、カルカッタの街で撮影された1枚。
祭礼の日、1人のヒジュラの足元に数人の女性が五体投地している。
女性たちはヒジュラの足で衣を踏まれることによって、豊饒(子孫繁栄)を授かろうとしている。
日ごろ、賤視されているヒジュラが、祭礼の日に限ってシヴァの神の化身として、人々の崇拝の対象になることを、1枚の写真がしっかり捉えている。
10年前に石川さんの写真を見せていただき、座談会でいろいろ意見を交換した。
そのときに得た示唆は、私が『女装と日本人』(講談社現代新書)で日本の女装史をまとめる際に柱にした「双性原理」という形で結実する。
それが、間違いでないことを改めて感じた。
まだ2週間ほど会期がありますので、インド好きの方、ジェンダー/セクシュアリティに興味がお有りの方は、ぜひ、ご覧になってください。
石川さんの奥様にもご挨拶。
コーヒーを飲みながら、いろいろお話。
ヒジュラを、Indian Transgender と翻訳することの問題。
ヒジュラの人々は、自分たちは、男でも女でもないヒジュラであり、生まれついての両性具有者であると主張する。
しかし、現実には、両性具有者がそんなに存在するはずはなく、ヒジュラのほとんどはMtFのトランスジェンダー(男性から女性へのトランスジェンダー)と考えられる。
しかし、ヒジュラのアイデンティティは両性具有者であり、トランスジェンダーではない。
またヒジュラの文化の根源も両性具有者(双性)であることにある。
それを無視して、外的観察からトランスジェンダーであると解説することが、はたして適切だろうか?と石川さんは言う。
私も基本的に同じ意見だ。
世界各地のサードジェンダーは、西欧的な概念に翻訳・解釈されることによって、固有の形態を失っていった。
例えば、北アメリカ先住民の「ベルターシュ」や、南太平洋タヒチ諸島の「マフ」が、欧米人によってホモセクシュアルと解釈されたことによって、固有のアイデンティティと文化が失われ、ゲイ化してしまったように。
ヒジュラもまた、カルカッタやムンバイ(ボンベイ)など、近代化・西欧化が進んだ大都市では、固有の社会的役割(宗教・芸能的職掌)を失い、単なる女装のセックスワーカーとして、社会的に賤視されている。
それらを考えると、ヒジュラを、Indian Transgender と翻訳することいは躊躇せざるを得ない。
とは言え、学術的に分析する際には、ヒジュラの自己主張だけを記すわけにはいかない。
やはり、ヒジュラについて記述する際には、何がヒジュラのアイデンティティで、何が観察に基づく学術的な解釈なのかを、はっきり分別すべきだろう。
あの座談会から流れた10年の時を忘れるような、とても有益な時間だった。
18時、辞去。
↑ 石川武志さんと
↑ 私が好きな1枚
↑ 踊るヒジュラの手のポーズがちょっと異なる同じ場所・同じ時の写真を『女装と日本人』(329頁)で使わせていただいた。
↑ ヒジュラの写真と日本のヒジュラ
10月18日(土) 晴れ 東京 21.2度 湿度 38%(15時)
11時、起床。
朝食は、アップルデニッシュとコーヒー。
髪染め(部分)。
シャワーを浴びて髪を洗う。
よくブローして、あんこを入れたポニーテールにまとめる。
「日記(17日分)」を書く。
14時、化粧と身支度。
黒地に茶色と白の花柄の長めのチュニック(7分袖)、黒のスパッツ(5分)、黒網膝下ストッキング、黒のサンダル、黒のトートバッグ。
15時、家を出る。
東急目黒線で目黒に出て、JR山手線で有楽町駅へ。
南口の「有楽町電気ビル」北棟20階の「日本外国特派員協会」で開催中の石川武志写真展「HIJRAS The Third Gender of India」を見に行く。
会場がわからなくて、受付のお姉さんに尋ねると、バーラウンジの中とのこと。
ラウンジに入っていくと、カウンター席に石川武志さんがいらしたのでご挨拶。
名著『ヒジュラ インド第三の性』(青弓社 1995年10月)の著者である写真家石川武志さんと私とは、1997年12月に行われた石井達朗先生(慶應義塾大学教授)を中心とする座談会「ヒジュラに学べ!-トランス社会の倫理と論理-」でご一緒して以来のお付きあい。
でも、お会いするのは、ずいぶん久しぶり。
(注)この座談会は『ユリイカ』1998年2月号(青土社)に掲載され、後に、石井達朗著『異装のセクシュアリティ(新版)』 2003年3月 新宿書房 に収録。
広いラウンジの壁面に20点ほどのヒジュラの写真が展示されている。
石川さんに説明していただきながら、1点ずつ見てまわる。
どれも、ヒジュラの伝統的な習俗とその現状を伝える迫力に満ちたものばかり。
ヒジュラは、元々、シヴァの神に仕える両性具有者を名乗る人々で、ヒンドゥー教を信仰するインドの人々の誕生・結婚・出産などの儀礼に深くかかわってきた宗教・芸能集団。
そのあり様は、かって世界各地に広範に存在し、特有の社会的役割をになってきたサード・ジェンダーの姿を現在に伝えるものとして、文化人類学、性社会史的に注目されている。
石川さんは、1982年からヒジュラの取材を続け、その回数はなんと60回に及ぶ。
排他的なヒジュラ集団の奥深くまで入りこんで撮影するのは、ヒジュラの人々の信頼を得ないとできる仕事ではない。
そうして撮影された写真の数々は、失われゆくヒジュラ文化の記録としても、学術資料としても、たいへん価値がある。
中でも印象的だったのは、カルカッタの街で撮影された1枚。
祭礼の日、1人のヒジュラの足元に数人の女性が五体投地している。
女性たちはヒジュラの足で衣を踏まれることによって、豊饒(子孫繁栄)を授かろうとしている。
日ごろ、賤視されているヒジュラが、祭礼の日に限ってシヴァの神の化身として、人々の崇拝の対象になることを、1枚の写真がしっかり捉えている。
10年前に石川さんの写真を見せていただき、座談会でいろいろ意見を交換した。
そのときに得た示唆は、私が『女装と日本人』(講談社現代新書)で日本の女装史をまとめる際に柱にした「双性原理」という形で結実する。
それが、間違いでないことを改めて感じた。
まだ2週間ほど会期がありますので、インド好きの方、ジェンダー/セクシュアリティに興味がお有りの方は、ぜひ、ご覧になってください。
石川さんの奥様にもご挨拶。
コーヒーを飲みながら、いろいろお話。
ヒジュラを、Indian Transgender と翻訳することの問題。
ヒジュラの人々は、自分たちは、男でも女でもないヒジュラであり、生まれついての両性具有者であると主張する。
しかし、現実には、両性具有者がそんなに存在するはずはなく、ヒジュラのほとんどはMtFのトランスジェンダー(男性から女性へのトランスジェンダー)と考えられる。
しかし、ヒジュラのアイデンティティは両性具有者であり、トランスジェンダーではない。
またヒジュラの文化の根源も両性具有者(双性)であることにある。
それを無視して、外的観察からトランスジェンダーであると解説することが、はたして適切だろうか?と石川さんは言う。
私も基本的に同じ意見だ。
世界各地のサードジェンダーは、西欧的な概念に翻訳・解釈されることによって、固有の形態を失っていった。
例えば、北アメリカ先住民の「ベルターシュ」や、南太平洋タヒチ諸島の「マフ」が、欧米人によってホモセクシュアルと解釈されたことによって、固有のアイデンティティと文化が失われ、ゲイ化してしまったように。
ヒジュラもまた、カルカッタやムンバイ(ボンベイ)など、近代化・西欧化が進んだ大都市では、固有の社会的役割(宗教・芸能的職掌)を失い、単なる女装のセックスワーカーとして、社会的に賤視されている。
それらを考えると、ヒジュラを、Indian Transgender と翻訳することいは躊躇せざるを得ない。
とは言え、学術的に分析する際には、ヒジュラの自己主張だけを記すわけにはいかない。
やはり、ヒジュラについて記述する際には、何がヒジュラのアイデンティティで、何が観察に基づく学術的な解釈なのかを、はっきり分別すべきだろう。
あの座談会から流れた10年の時を忘れるような、とても有益な時間だった。
18時、辞去。
↑ 石川武志さんと
↑ 私が好きな1枚
↑ 踊るヒジュラの手のポーズがちょっと異なる同じ場所・同じ時の写真を『女装と日本人』(329頁)で使わせていただいた。
↑ ヒジュラの写真と日本のヒジュラ
2013-02-18 23:58
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