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2006年04月20日 外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」(『新潮45』5月号) [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年04月20日 外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」(『新潮45』5月号)

4月20日(木) 曇りのち晴れ。昼前後、激しい風と雨

11時、起床。
朝昼食は、トースト1枚に、「まるぶん」の女将さん手作りのサルナシのジャム。
昼前後、激しい風と雨。
午後、来週月曜日の講義の準備。
メールのお返事を書く。

『新潮45』5月号掲載の外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」を読む。
1999年に名著『MISS・ダンディ-男として生きる女性たち-』(新潮社)を出した著者による「それから」のレポート。

メディアは、どうしても新奇なものを追い求めがちで、いったん注目しても、じきに忘れて顧みようとしないことが多いなかにあって、こうした「それから」取材は、とても大事なことだと思う。
彼らへの暖かい気持ちが伝わってくるようなレポートで、外山さんのような伝達者をもったMISS・ダンディたちは幸せだ。
私たち(ニューハーフ&女装者)には、外山さんのような方は誰もいないので、つくづくそう思う。

それにしても印象的なのは、MISS・ダンディたちの世界における「性同一性障害」の進行。
「性同一性障害」という概念による病理化の進行、そして当事者を「勝ち組」と「負け組」に選別・分断したGID特例法に批判的な私の立場からすると、MISS・ダンディの世界がどうのように「性同一性障害」に侵食されていったかという観点でとても興味深い。

レポートの中に出て来る「性同一性障害」ブームに乗り遅れた年配の男装者たちの姿が、私にはしみじみいとおしい。

どうも多方面で誤解されているようだが、私は「性同一性障害」という概念に批判的なのであって、「性同一性障害者」に批判的なのではない。
(一部の視野狭窄な教条的な人や、非GID系のトランスジェンダーを差別的する人は別)

性別違和感に苦しむ人たちが、「性同一性障害」概念や特例法によって救われ、幸せになっていくのなら、それは良いことだと思うし、素直に「おめでとう」と言える。
埼玉医大以前の状況を知る生き残りとしては、そうした意味では、つくづく「よい時代になったなぁ」と思う。

しかし、その一方で、特例法の要件をクリアーするために、必ずしも必要のない手術で身体を傷つけるケースが増加していること、性器の形だけ変えれば女になれる(男になれる)という現実生活軽視の考え方がはびこりはじめていること、そもそも「病気」にならない限り、性別越境者が自分らしく生きられないというシステムに、根本的な点で疑問を抱いている。

だから私は、「性同一性障害」という枠組みに乗らないトランスジェンダーとして、これからも「自分の性別は自分で選び、自分で決め、自分らしく生きる」ことを主張していきたいと思う。

15時半、家を出て皮膚科へ。
6度目の通院。
30分待ち。
注射の量が減る
今日はトラブルなし。

17時、仕事場に移動。
メールチェック、「日記」のアップ、お返事メールの送信。
宅急便を取りに来てもらう。

夜、簡単に身支度して、留守中に配達された本(『戦後日本女装・同性愛研究』)を、受け取りに郵便局に出向く。
またまた、受け渡しを拒否され入手できず。
すごく悔しい!
郵便局とは、相性が悪く、この1年ほど冷戦状態が続いている。

爪を藤色に塗って、お風呂に入る。
就寝、1時(仕事場)。

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