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2010年10月09日 インド南部のサードジェンダー「アラバニ」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2010年10月09日 インド南部のサードジェンダー「アラバニ」

10月9日(土)
東京の某大学のゼミ発表の場で、「サードジェンダー」という言葉を使った学生に対して、教授がこう発言したらしい。
「そもそも男女以外のジェンダーなどありえるのか?」
う~ん、大学の先生、しかも歴史・文化系の教授でも、まだまだジェンダーの男女二分を単純に信じている人がいるのだなぁ、と嘆息が出た。
そういう人に、私の本(『女装と日本人』)や論文を読んでくれ、と言っても無理だろうけど、せめて、以下のような新聞記事を読んで考えてほしい。

この記事、ブログにアップしたつもりでいたが、探してみたらなかった。
多忙で忘れたらしい。
幸いファイルは見つかったので、2年遅れでアップしておく。
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「第三の性」に公的支援 インド南部の州「アラバニ」15万人
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インド南部のタミルナド州政府が「アラバニ」と呼ばれる男でも女でもない「第三の性」を認め、生活支援を始めた。「体は男なのに心は女」であるがために不利な立場に置かれてきた人たちを対象に、身分証明書の性別欄の変更や専用トイレの設置などを進める。男女の二分法を超える世界でもまれな取り組みだ。  (チェンナイ〈インド・タミルナド州〉=小暮哲夫)

物ごい生活 根強い差別 
港湾都市チェンナイの中心部にあるスラム。簡素なれんが造りの一間だけの小屋に住むサンギタさん(40)の仕事は「押しかけの物ごい」だ。

髪の毛を束ね、女性の民族衣装サリー姿。耳には金色のピアスがきらびやかに光る。近くの小屋の「グル(指導者)」と呼ばれるサンカリさん(48)ら4人と家族のように行き来して暮らす。

毎朝、みんなで街に繰り出し、店の前で独特のしぐさで手拍子をとりながら腰をくねらせ、最後に「お金、くださいな」と手を差し出す。店主は早くいなくなって欲しいのが本音。1ルピー(約2.6円)前後を渡す。夕方までに100~150ルピー(260~390円)くらいの稼ぎになる。

サンギタさんが、体は男の自分が女の子と一緒にいる方が自然で、しぐさもしゃべり方も女の子のようだと気づいたのは小学時代。両親は男として生きるように望んだ。15歳のとき家を出てアラバニのグループに加わった。同じような人たちと暮らせば気が楽だと思った。「でも、物ごいの仕事に満足しているわけではない」。とにかく安定した仕事に就きたいと言う。

アラバニは社会的に差別され、疎んじられてきた。大学入学を拒まれる例も多く、企業も採用しない。街では好奇の視線が注がれる。警察官に追い払われたり、殴られたりするのは日常茶飯事だ。

「生きることそのものに問題を抱える存在。仕事は物ごいか売春という二つの選択肢しかない」。アラバニを支援するNGO「タミルナド・アラバニ協会」代表で、自らもアラバニのアーシャ・バラティさん(55)が説明する。

エイズウイルス(HIV)対策も課題だ。州政府の06年の調査では男性の同性愛者、売春婦のHIV感染率はそれぞれ一般の15倍、10倍。アラバニも最も感染率の高い集団の一つとみられている。

学校に専用トイレ・奨学金・融資
「アラバニを独立した性として認め、必要な施設を整えなければならない」。州政府は今年4月、州内のすべての学校にこう指示した。「必要な施設」とはトイレのこと。アラバニには男性用も女性用も使うのに勇気がいるのだ。

5月には「トランスジェンダー(アラバニ)福祉委員会」を発足させた。福祉、教育、保健、警察、財務など州政府の各部お門の長やNGOのメンバーらで構成する。

アラバニは人口6240万(01年国勢調査)の同州に15万人ほどいるとされるが、統計はない。9月までに人口や生活・教育実態を調べ、大学進学奨学金や職業訓練、起業の貸し付けなどについて検討する。調査後、身分証明書を発行。性別欄にはM(男)でもF(女)でもなく、Tと表記する。タミル語で「1より多い(男と女の両方)」を意味する文語「テルナンゲ」の略だ。

州政府は、仲間内で行われ、危険が伴う性器除去手術を州立病院で無料で受けられるようにするなど、昨年から支援策を実施。警官計5千人に「アラバニとは何か」という一日講習も受けさせた。

アラバニを「第三の性」と公式に認め、生活向上を支援する施策は「おそらく世界で初めて」(福祉委員会関係者)。後押ししたのはNGOだ。98年にアーシャさんがアラバニ協会を設立。支援の必要性を訴え始め、州内の支援NGOは25に増えた。その一つ「インド共同体福祉機構」のハリハラン代表は「支援団体がほとんどない周りの州とは対照的だ」と言う。

「当初は州政府は聞く耳を持たなかった」とアーシャさん振り返る。02年ごろから行政や政治家への働きかけを始め、06年にアラバニたちが1千人規模の街頭活動を始めると、地元メディアも取り上げ始め、風向きが変わった。

タミルナド州には選挙で票につながる社会福祉に積極的な政治土壌があるとされる。昨年来の急進展には、先駆的な施策を福祉の象徴的な成果として宣伝し、「得点」にしたいという地元有力政治家の思惑もささやかれる。

しかし、教育機会や職業訓練を得ても、社会が人材として受け入れなければ意味がない。差別解消のための啓発はまだまだ大きな課題だ。

州政府のマニバサン社会福祉部長は「根深い差別はあり、ゆっくりとした変化になる。これが始まりだ」。アーシャさんも「道は一日にしてならず、ですよ」と話す。

【キーワード】
アラバニ  インド南部のタミル語で「男でも女でもない」存在の意。英語で「トランスジェンダー」、日本の「性同一性障害」の人に相当する。インド北部では「ヒジュラ」と呼ばれ、超自然の能力があるとされ、男児が生まれた家庭や結婚式に押しかけ、繁栄や多産を願う音楽や踊りを披露して謝礼で生計を立てる。南インドにはヒジュラの伝統はなく、物ごいか売春で収入を得る人が多い。身体的に男女の別がはっきりしない人はまれで、ほとんどが「体は男で心は女」の人たち。仲間内で性器の除去手術をする例が多い。グルの元で集団生活を送り、女装をする。

タミルナド州  住民の大多数は紀元前1500年ごろにインド北方から南下したアーリア人よりも前にインドに住んでいたドラビダ系のタミル人。インド独立直後の40年代末~60年代にかけて北インド中心の政治・経済やヒンディー語の押しつけに反対し、分離独立運動が起こるなど、中央への対抗心やタミル人の伝統や文化への自負は強い。政治も中央政党の国民会議派の影響力は小さく、地域政党が勢力を競ってきた。

『朝日新聞』2008年7月18日 朝刊

2010年09月 共同通信:ファッションとしての女装ブーム [現代の性(性別越境・性別移行)]

2010年09月 共同通信:ファッションとしての女装ブーム

2010年8月3日に取材を受けた共同通信の記事「ニッポン解析 ファッションとしての女装ブーム」が配信されて、『神戸新聞』(8月21日)、『京都新聞』(8月25日)をはじめ、いくつかの地方新聞に掲載されました。

写真もいい感じだし、文章もなかなかよくまとめてあり、良い記事になりました。
私のコメントは、3段目の末尾から最下段にかけて、かなり長く載っています。

ここでは『京都新聞』2010年8月25日号を紹介します。
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ニッポン解析 ファッションとしての女装ブーム
 ライトな感覚でかわいさ追求
女装をファッションとして楽しむ「男の娘(こ)」が東京・秋葉原を中心に増えている。男性が化粧をして“美”を競い合うコンテスト「東京化粧男子宣言!」も多くの観客を集める。ブームの背景には、アニメや漫画の影響に加え、日本人の伝統的な美意識もあるようだ。

「いらっしゃいませ!」秋葉原の雑居ビルにある女装メイドカフェ「NEWTYPE」を訪ねると、店員の「男の娘」たちが元気な声で迎えてくれる。いつもはメード服だが、この日は特別イベントで全員が浴衣姿。満員の客は男性が7割だが、女性に見える客の数人は女装した男性だ。

「以前働いていた女装メード喫茶が大人気だったけど期間限定だったので、独立して常設店を開きました」と笑顔で話すのは、同店代表の「茶漬け」さん。店員の中には女性の心を持つ人もいれば、コスプレの延長線上の人もいるといい「中身に関係なく、外見が」かわいいのが“男の娘”」。

世間では女装に否定的なイメージを抱く人も多いが、秋葉原ではアニメや漫画のキャラクターに向けるのと同じ“萌え”が大切にされていると語る。そんなライトな感覚がオタク系の男女に受け入れられているようだ。

茶漬けさんが女装を始めたのも、女性になりたいというより「SHAZNA(シャズナ)」などビジュアル系バンドの影響だという。「もっと女装文化を広めるため、ファッションリーダー的存在になる女装版AKB48をいつか作りたい」
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女装メイドカフェ「NEWTYPE」の店員たち。左から3人目が代表の茶漬さん=東京・秋葉原

化粧男子
「東京化粧男子宣言!」は「男の子もキレイになりたい!」をコンセプトに昨年スタート。7月に開かれた第2回大会は“化粧男子”12人がエントリーし、女性を中心に300人もの観客が声援を送った。

企画したMIYAさん=神戸市灘区出身=も化粧男子。「女性を装うのではなく、男性も女性のファッションを取り入れればおしゃれを楽しめることを提案したい」と趣旨を説明する。

司会のいがらし奈波(ななみ)さんは「キャンディ・キャンディ」で知られる漫画家いがらしゆみこさんの長男。昨年、コスプレで女性の服を着たとき「もともと競争ばかりの男性社会についていけないという思いがあったけど、こういう世界もあるんだと気づいた」と語る。

ゆみこさんは「息子の中身が百八十度変わったわけではないのでショックはなかった。おしゃれで『負けた!』と思うことはあるけど」と笑いながら「漫画では、かわいい女子が実は男子だった。またはその逆もよくある話。現実世界が漫画に近づいた気がしますが、若い世代には違和感がないのかも」と分析する。
012.JPG東京・銀座の目抜き通りをおしゃれして歩くMIYAさん(左)といがらし奈波さん

江戸から続く伝統的美意識
自信回復
「女装と日本人」の著書ががある早稲田大ジェンダー研究所客員研究員の三橋順子さんは「もともと『女装が似合うような男が美男子』という感覚を日本人はずっと抱いてきた」と指摘する。

江戸時代の絵師鈴木春信が「江戸三美人」を描いた錦絵で、評判の看板娘2人を従えて中央に立っているのは、豪華な衣装をまとった人気女形瀬川菊之丞(二世)。「当時は女形が女性ファッションのお手本になっていた」と三橋さん。

「明治時代以降に『男はもっと男らしく』と価値観の変容があったが、戦後の日本で受けている男性スターはやはり、伝統的な美男子系が多い。文化の深いところに擦り込まれた意識はそう簡単には変わらない」

こうした日本人の美意識に加え、近年は女性の社会的立場が向上。一方で「草食系男子」に見られるように「男らしさ」「女らしさ」という概念が失われつつある。「男性が虚勢を張れない時代。『かわいい』という女の子の価値観に乗っかる形だが、努力してきれいになることで男の子たちが自信を回復しようとしているのかもしれない」と三橋さんは話した。
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鈴木春信「お仙と菊之丞とお藤」


2010年9月28日 ジュリア安田さんについて [現代の性(性別越境・性別移行)]

2010年9月28日 ジュリア安田さんについて

9月28日(火)

先日、コメント欄でご教示いただいた、ジュリア安田さんについて、少しだけ調べてみました。
英語がいたって不得手なので、ちゃんと翻訳できてないかもしれませんが・・・。
どなたか、英語が得意な方、パフオーマンス芸術に詳しい方、リサーチしていただけないでしょうか。
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ジュリア安田(Julia Yasuda 1943~ )
http://zagria.blogspot.com/2008/08/julia-yasuda-1943-set-theorist.html
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アメリカ在住の日本人。数学者、記号論理学者、パフォーマー。
1943年、旧満州国奉天(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)の生まれ。
クラインフェルター症候群(Klinefelter's Syndrome)。
1973年、数学博士号を取得。
1970年後半、東京のSMバーで写真家・ヤスエリカ(?~1987:漢字表記不明)と出会い、専属モデルをするようになり、後、パートナーとなる。
1984年、客員教授として招かれ渡米、ニューヨーク大学などで数学者としてのキャリアを重ね、記述集合論への貢献で名古屋大学から理学博士号を与えられる。
1987年、パートナーであるエリカが死去、社会的性別を女性に移行して、Juliaとなる。
1995年、Antony and the Johnsonに会い、パフォーマーとしての活動を開始。
またTransistersのグループの設立と運営にかかわる。
1996年、 Rosa von Praunheimのフィルム「Transsexual Menace」に出演。
1999年、女性として米国市民権を取得。
ミルトン・ダイアモンド博士(ハワイ大学教授)のクラインフェルター症候群研究会に参加。
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化粧と日本人 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2010年07月10日 化粧と日本人

以下は、私が「東京化粧男子宣言!2010」に提供した文章です。
記録のために、ここに載せておきます。
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  化粧と日本人            三橋順子(性社会・文化史研究者)

日本神話の英雄ヤマトタケルは、叔母さんにもらった衣装を身につけ、叔母さんに教えてもらった(←たぶん)化粧をして美しい少女の姿になり、難敵クマソタケル兄弟を討ちはたしました。弥生時代のシャーマンも、特別な化粧をし、豪華なアクセサリーを身につけて神を祀りました。中世戦乱期の武士たちも合戦に赴くときには化粧をし、きらびやかな甲冑を身にまとって出陣しました。江戸の元禄時代、振袖で美しく装い、髪を結いあげた少年は、女性からも男性からも愛されました。

私たちの先祖は、化粧をし、装うことによって、単に美しくなったり、身ぎれいになるだけでなく、普段の自分にはない特別なパワーが備わると考えたと思われます。つまり、化粧とは、日常の自分とは異なるパワフルな存在になれるマジカル・アイテムだったのです。現代でも女性たちはこうした化粧のもつ力を知っていて、ここぞという時には有効に使っています。

では、本来、男女を問わないものだった化粧が、女性だけのものになってしまったのは、いつなのでしょうか? それは、近代(明治)以降のこと、西欧の文化の影響によって作られた認識で、たかだか百数十年のことなのです。

男子がきれいに美しくなって何か不都合があるでしょうか? 今こそ、二千年の日本の伝統に立ち返って、化粧という素敵なマジカル・アイテムを、再び男子の手に取り戻しましょう。 


2009年12月01日 「化粧男子」か「女装男子」か [現代の性(性別越境・性別移行)]

2009年12月01日 「化粧男子」か「女装男子」か

12月1日(火)
11月26日の「第1回 東京化粧男子宣言!」について、「結果的に女装コンテストになってしまった」という批判があるらしい。

「化粧男子」か「女装男子」かということについては、会場でショーを見て、審査しながら、ずっと考えていた。
そのときに考えてみたことを整理して、まとめてみたい。

男性が、女性の化粧テクニックやファッション・アイテムを身に付けていく、つまり女性のジェンダー記号を重ねていけば、女性の性別表現に近づいていくのは当然のことだ。

「化粧男子」と「女装男子」の関係で言えば、「化粧男子」が女性の化粧テクニックやファッション・アイテムを流用する以上、見かけ上「女装男子」になっていくのは、ほとんど避けられない、必然的なことだと思う。
それを避ける、つまり女装にならないようにするのは、かなり難しい。

敢えて方法を考えれば、重ねた女性ジェンダー記号を打ち消す(中和する)ような決定的な男性ジェンダー記号(髭とか)を付けることだろうか。

しかし、そうした男女のジェンダー記号が対抗しているような自己表現を、どういう視点で「美」として評価するかは、かなりは難しいだろう。

あるいは、そもそも女性の化粧テクニックやファッション・アイテムを使わないということも考えられる。
つまり、男性が男性のジェンダー・イメージのまま、化粧と衣装により美しさを競うということ。

理念としてはわからないわけではない。
しかし、衣装はともかく、女性の化粧テクニックを流用しない化粧というものが、現実の問題として、果たして成り立つだろうか?
私の頭に浮かぶのは、歌舞伎の立役の隅どりくらいだ。
「化粧男子」が見かけ上「女装男子」にならない可能性を否定するわけではないが、かなり難しい細い道筋のように思う。

逆に言えば、「化粧男子」から「女装」の要素を取り去ってしまったら、自己表現の幅はずいぶん狭くなってしまうだろう。
今回のような多様な自己表現になったかは疑問だ。

また、「化粧男子」から「女装」の要素を抜いた時、多くの観衆がそれに魅力を感じるかも疑問に思う。
つまり、「女装」という要素抜きでは、「化粧男子」は成り立たないとは言わないが、多様性も魅力も大きく減じてしまうだろう。

どうしても「女装男子」では嫌だというのなら、たとえ、外見上、女装に見えたとしても、あくまでも「『女装男子』ではない。『化粧男子』です」と開き直って言い張ることだ。

つまり、性他認的には「女装男子」であっても、性自認的には「化粧男子」だということ。
結局、「化粧男子」か「女装男子」かは、突き詰めればアイデンティティ(自己認識)の問題だと思う。

次に、それをどう評価するかだ。

女性の化粧テクニックやファッション・アイテムを使っていれば、それらをどうこなして自己表現をしているか、あるいは身体との適合度やバランスを見ることになるのは、やはり当然の観点だと思う。

「それでは『女装男子』の審査基準であって『化粧男子』の審査基準ではない」
と言われれば、正直、私は困ってしまう。

「女装男子」の価値基準を持ち込むな、と言われるのなら、私は審査員の任ではない。

「化粧男子」の審査基準とは、いったいなんなのか?
ぜひ、ご教示いただきたい。

ちなみに、「女装男子」の評価は、必ずしも女性への成り切り度だけではない。
それに加えて、女性では表現できない、「女装男子」特有の美があることが望ましい。
というか、そうでなければ「女装」の意味がない。

今回、「グランプリ」をとられた方には、そうした女装特有の美の片鱗が感じられたから、私は高く評価した。

こうした審査に、異論があるのは仕方がないことだ。
たしかに「結果的に女装コンテストになってしまった」という側面があることは私も認める。

では、なぜ「女装コンテスト」ではいけないのか?
たとえ「女装コンテスト」であっても、今回、新しい自己表現の可能性が、いろいろ芽ぶいていたと思う。
それでは、いけないのだろうか?

私は、長年「女装」の世界で生きてきた私の審美基準に従って審査した。
ただ、それだけだ。


第1回 東京化粧男子宣言!(その2) [現代の性(性別越境・性別移行)]

第1回 東京化粧男子宣言!(その2)

(続く)
ショーが終わった時、審査員の間で「これは、審査が難しい」という声。

女の子らしさやモデルの変身度を評価するか?、
コンセプトの企画力を評価するか?

休憩時間に審査員室で、審査基準について擦り合わせ。

第1回ということも考えて、突出した感性よりも、誰もが納得するようなバランスの良さ、具体的に言えば「東京の街に、こんな女装男子がいたらいいなぁ」というような感覚を大切にして、審査しようという方針になる。

ステージ再開。
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↑ 司会の にしだ奈波さんは、審査員のいがらし ゆみこ先生の息子さん。
奈波さんが、ちょっとトチったり噛んだりする度に、私の隣席のいがらし先生がハラハラしてるのがわかってほほえましい。

実は、今回のイベント、関係者に親子が2組(見掛け上、母-「娘」、父-「娘」)。
つくづく時代は変わったと言うか、うらやましいと言うか・・・。

第2部は、トーク・ライブ。
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私はトークライブの間、会話内容もだが、モデルさんの姿勢&しぐさに注目していた。
最初は気をつけて坐っていても、30分ほどのトークライブの間に、どうしても脚の開きなどに「男」が出てくるはず。

ところが、1人だけ、ほとんど「女のコ」ポーズが崩れなかったモデルがいた。
これには、谷本さんも私も大いに感心。
これが、審査の決めてになったと言ってもいい。

控え室に戻って「審査員特別賞」の審査。

4人の審査員が順位を付けて2名を選ぶ。
私が集計役をしたのだが、全員ほぼ同意見で、まったく揉めることもなく、ほとんど即決。

審査員が会場に戻り、いよいよ「第1回 東京化粧男子宣言!」の「グランプリ」の発表。

審査員(各10票)と入場者(各1票)の投票合計で選ばれる「グランプリ」は、
エントリーNo.7 るるさん(モデル)&ひなどりさん(スタイリスト)のペアに決定。
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いがらしさんから賞状、谷本さんからトロフィーが授与される。
モデルさんもスタイリストさんもほんとうにうれしそうだ。
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会場投票でもダントツだったようだが、審査員の評価でも、1位とする者3人、2位とする者1人、でほとんど満票に近かった。

モデルショーの段階ですでに高評価だったのに加えて、トーク・ライブの間、女のコポーズが崩れなかった「成り切り度」が高く評価された。
さらに、ビフォアー(化粧前)の男の子写真とのギャップの大きさ(変身度の高さ)も、このコンテストの「グランプリ」にふさわしいと思う。

続いて、審査員特別賞の発表。

審査員特別賞は、
エントリーNo.2 みなみさん(モデル)&ペキ子(スタイリスト)のペア。

審査員特別賞の審査では、1位1人、2位3人で、るるさんには及ばなかったものの、文句なしの次点評価。
ももさんが会場投票で「グランプリ」になったので、すんなり繰り上がって「審査員特別賞」に決定。

私が賞状を読み、月野姫さんがトロフィーを授与。
「東京の街に、こんな女装男子がいたらいいなぁ」という審査基準に、そのままのコンセプトとバランスの良さを高く評価された。

審査員としては、企画(コンセプト)を重点に評価するような賞を出せたら良かったと思う。

私個人としては、花魁に挑戦したエントリーNo.3 モルガンさん(モデル)&麻也(スタイリスト)のペアに「企画努力賞」をあげたかった。

21時、閉会。

閉会後、ホールで、モデル&スタイリストと観衆が交流。
こういう場の設定もGood。
私も、持って行った『女装と日本人』5冊が、全部売れてうれしい。

審査員控室で、審査員同士で記念撮影。
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↑ 谷本龍哉さんと。
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↑ 月野姫さんと。
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↑ いがらしゆみこさんと。
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↑ いがらしゆみこ先生に色紙を描いていただく(わ~ぃ!)

22時、二次会会場に移動して、懇親会。
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↑ 「グランプリ」受賞のるるさん(左から2人目)を囲んで。

主催の井上魅夜さんから「有料入場者は113名、関係者を入れると133名」という報告。
「大入り袋」をいただく。

審査員という立場を超えて、見ていてほんとうに楽しいイベントだった。
そして、性別越境は「明るく、楽しく、社会性をもって」という私の長年の主張を、若い人たちがリニューアルしながら、現実化してくれたことが、とてもうれしかった。

入場者も当座の目標だった100名を超え、大手メディア(TBSテレビ)の取材も入り、第1回としては、大成功だったと思う。
これをスタート台に、「化粧男子」のコンテスト・イベントとしてさらに発展していって欲しい。
「化粧道」の先輩として、今後の展開に大いに期待したい。

主催の井上魅夜さん、スタッフの皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。
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23時20分、二次会から辞去。

帰路は、東京メトロ千代田線-(表参道)→半蔵門線-(渋谷)→東急東横線。
0時半、仕事部屋に戻る。

着物の世話をして、髪をほどいて、お風呂に入る。
就寝、2時(仕事部屋)


2009年11月26日 第1回 東京化粧男子宣言!(その1) [現代の性(性別越境・性別移行)]

2009年11月26日 第1回 東京化粧男子宣言!(その1)

11月26日(木)
多摩大学の講義を終え、大急ぎで帰り仕度をして、16時30分、大学を出る。
バス→小田急→東京メトロ千代田線を乗り継ぎ、東京を西から北東に大横断。

17時50分、町屋駅(荒川区)に到着。
18時過ぎ、審査員控室の楽屋に入る。
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間に合った~ぁ。

審査員の方々、いがらし ゆみこさん(漫画家)、谷本龍哉さん(ミス・ユニバース・ジャパン企画運営、元衆議院議員)、月野 姫さん(ニューハーフ・セクシータレント)にご挨拶。

化粧を直して、主催の井上魅夜さんから説明を受ける。
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↑ 審査員控室で。
左2人目から、いがらし ゆみこさん、月野 姫さん、谷本龍哉さん、井上魅夜さん。
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19時、「第1回東京化粧男子宣言!」開幕。
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↑ 左から、井上魅夜さん(主催)、月野姫さん(審査員)、にしだ奈波さん(司会)。
もちろん?全員、男のコです。

いよいよモデル・ショーの開幕。
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↑ エントリーNo.1「ゴスロリ系」(モデル:じゅん、スタイリスト:三条伊織)
(コメント)こういうアピールしなければならないショーの場合、黒は難しい、と言うか、はっきり言って損。
それともともと細い男のコが3kgもダイエットしたため、顔の線がよけいに鋭角になってしまったのも逆効果。

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↑ エントリーNo.2「カジュアル系」(モデル:みなみ、スタイリスト:ペキ子)
(コメント)カジュアルだけどハイセンスなファッシュンでバランスが良い。
メガネを取ったら、とてもかわいかった。
「化粧男子」というネーミングにいちばん即していたように思う。
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↑ エントリーNo.3「花魁道中」(モデル:モルガン、スタイリスト:麻也)
(コメント)専門的にはともかく、難しいテーマにチャレンジして、それなりにまとめたスタイリストさんの努力は、すばらしい。
長身・面長なモデルの個性にも合っていたと思う。
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↑ エントリーNo.4「ギムナジウム探偵」(モデル:maki、スタイリスト:蒼来)
(コメント)女装でボーイッシュな少女を表現する難しいテーマにチャレンジして、形にしたのはそれなりに評価できる。
しかし、モデルの個性(小柄)からして、もっと女性的なスタイルに挑戦したら、華が開いたように思う。
「もったいない」というのが率直な実感。
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↑ エントリーNo.5「セクシー美女」(モデル:Tomco、スタイリスト:グラニータ)
(コメント)ダンス・パフォーマンスを取り入れた構成・演出は出色。
ただ、セクシー系は、簡単なようで表現としての難度は高く、けっこう年期がいる。
モデルがまだそれをこなし切れていないのが惜しかった。
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↑ エントリーNo.6「男装の麗人」(モデル:milk-roll、スタイリスト:めい)
(コメント)女装で男装の麗人を表現するのは、いわば「2回捻り」で高難度。
チャレンジ精神は評価するが、難度的に無理があった。
結果、No7の「女のコらしさ」の引き立て役になってしまった。
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↑ エントリーNo.7「小悪魔なお嬢さん」(モデル:るる、スタイリスト:ひなどり)
(コメント)登場したとき、審査員の間に「ほ~っ」という声が漏れた。
張りのあるミニスカートで、男のコの腰の寂しさをカバーするなど、スタイリングも適切。
スカートとストッキングを同系のイメージでまとめたファッション感覚も鋭い。
しゃぼん玉を吹くパフォーマンスも可愛らしかった。
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↑ エントリーNo.8「ビジュアル系花嫁」(モデル:暮浩平、スタイリスト:凛)
(コメント)ウェディングドレスは、豪華だけど意外と変化がつけにくい。
その点、ファッション的に、もう一工夫(捻り)が欲しかった。
結果、コンセプトの表現がやや曖昧になり、観衆に十分に伝わってこなかった。
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さて、皆さんが「グランプリ」を選ぶとしたら、どの「化粧男子」に投票しますか?

2009年09月11日 女子選手のインターセックス問題 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2009年09月11日 女子選手のインターセックス問題

9月11日(金)
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「セメンヤは両性具有」豪紙報道 男女の生殖器持つ

陸上の世界選手権ベルリン大会女子800メートルで優勝し、男性ではないかという疑惑が浮上したキャスター・セメンヤ(18)=南アフリカ=について、医学的検査の結果、男性と女性の生殖器を持つ両性具有であることが分かったと、11日付のオーストラリア紙シドニー・モーニング・ヘラルド(電子版)が報じた。

同紙によると、セメンヤには卵巣がなく、男性ホルモンのテストステロンを大量に分泌する精巣が体内にあることが医学的報告で示されたという。同選手は先月のベルリン大会の後、血液や染色体のほか婦人科の検査を受けていた。国際陸上競技連盟(IAAF)はこれらの報道を受けて「IAAFの公式見解ではない」との声明を出し、最終判断は11月20、21日の理事会以降となる見通しを示した。

IAAFのデービス広報部長はAP通信の取材に対し、「もし男性ホルモンのおかげで有利であることが証明されれば、欺いたのではなく、生まれつきなのだから、メダルを剥奪(はくだつ)することは極めて難しいだろう」と語った。豪紙もメダルを剥奪されることはないものの、2位のジャネット・ジェプコスゲイ(ケニア)に別の金メダルが与えられる可能性があると報じている。

『朝日新聞』2009年9月11日 19時55分
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報道が事実とすればだけど・・・、「ああ、やっぱりなぁ」というのが正直な感想。
ただ、「両性具有」という表記(翻訳)はちょっといただけない。

「卵巣がなく」「精巣が体内にある」のなら、性腺の性はまったく男性で、「両性具有」(真性半陰陽)ではない。
なんらかの理由で、外性器の形態が女性的だったため、女子と誤認されたケース(男性仮性半陰陽)なのではないだろうか?

せめて、インター・セックス(半陰陽)と表記してほしかった。

とはいえ、今回のセメンヤ選手のようなケース、それほど驚くべきことでもない。
女子スポーツ界で、インターセックスが問題になることは、過去にもしばしばあったから。

古くは、1935~36年の「コウベック選手事件」。
女子陸上800m(←今回と同じ競技)世界記録保持者であるゼニカ・コウコバ嬢(チェコ)が男性仮性半陰陽であることが判明し、男性への転換手術を受けて、ゼネック・コウベック氏になった事件。
男性への転向過程が、センセーショナルかつ詳細に報道され、国際的なニュースとして世界を駆け巡った。
ちなみに、この時の新聞記事が、人間に対して「性転向(性転換)」という言葉を用いた日本で最初の事例となる(それまでの「性転換:は魚や鶏の話)。

日本では、戦後の1950年代に、集中的に顕在化した。
1953年12月、女子やり投げで日本選手権を2連覇していたT・T選手が、マニラ・アジア大会出場のためのセックス・チェックで男性仮性半陰陽(本来の性別は男性であるが性器の外観が女性的で女性と誤認されたケース)であることが判り、1955年1月に男性への転換手術を受けた。

続いて、1954年3月には、前年に女子陸上200mと走り幅跳びで国内第1位記録を、走り高跳びで高校新記録を出し、将来を嘱望されていたN・T選手が、心臓疾患を理由に突然競技を引退している。

T・T選手とN・T選手が残した記録は、1956年2月に「転性」を理由に抹消されている。

男性への移行が比較的うまくいった両選手の場合と違って、いろいろ問題が生じたのは、1957年9月に男性仮性半陰陽が判明した女子砲丸投げの第一人者だったM・T選手の場合。

女子選手時代から男性としてのジェンダー・アイデンティティ(性自認)が強かったT・T選手と違って、M・T選手は女性アイデンティティを持っていたため、男性への転向が受け入れられなかった。

さらに、T・T選手の場合、女子社員として勤務していた八幡製鉄(現在の新日本製鉄の前審)が男性社員としての雇用継続を認め、再出発を祝福するムードがあったのに対し、M・T選手の場合は、勤務先の大日本紡績(現在のユニチカの前身)が転性を理由に雇用契約の無効を主張し退社を迫まり、社会問題になった。

再び海外に目を転じると、1966年の世界スキー選手権の女子滑降と、1967年の女子大回転で優勝したエリカ・シュネッガー選手(オーストリア)が、セックス・チェックで不合格になり、1968年に男性への転向選手を受けた。
その後、エリック・シュネッガーとして、女性と結婚し父親になっている。

1970年以降、セックス・チェックが厳格化され、不合格者は事前に隠密裏に処置(競技からの強制的引退。理由づけは心臓疾患がほとんど)されるようになると、女子選手のインターセックス問題が顕在化することは少なくなった。

ところが、1990年代から、女子選手たちの人権意識が向上するにともない、国際大会でのセックス・チェックが簡略化・廃止の方向になった。
その結果、再び(特に発展途上国の女子選手の中から)問題になるケースが顕在化するようになる。

最近の例では、2006年12月のドーハ・アジア大会、陸上女子800m(←またまた同じ競技)で、銀メダルを獲得したサンティ・ソウンダラジャン(インド)が試合後の性別検査の結果、「女性としての性的特徴を持っていない」と結論づけられ、メダルを剥奪されている。

インターセックスは、まったく先天性のもので、意図的な不正行為(性別詐称や薬物投与)とは異なり、本人にはなんの責任はない。

しかし、睾丸を体内持ち、骨量の増大・筋肉量の増強に寄与する男性ホルモンが大量に分泌されている身体状態は、競技能力という点では、明らかに有利である。

女子という枠組みでの競技である以上、やはり他の女子選手との公平、競技の公正さの維持という観点から、女子競技からの除外は、やむを得ないと思う。

それまでの女子スポーツ選手としての競技人生で積み上げた努力とキャリア(名声)が水泡に帰すという点では、おおいに同情に値する。
しかし、インターセックスだったからと行って、その人の人間としての尊厳には何ら変わりはない。

セメンヤ選手も、これからの人生、女性として生きるにしろ、男性として生きるにしろ、胸を張って生きて欲しいと切に思う。

【参考文献】
三橋順子「性転換の社会史(1)-日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950~60年代を中心に-」
三橋順子「性転換の社会史(2) -「性転換」のアンダーグラウンド化と報道、1970~90年代前半を中心に-」
(いずれも、『戦後日本女装・同性愛研究』 中央大学出版部 2006年3月)

2009年08月03日  「GID(性同一性障害)シンポジウム2009」第1回 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2009年08月03日  「GID(性同一性障害)シンポジウム2009」第1回

8月3日(月) 曇り  東京 30.0度 湿度 66%(15時)

10時、起床。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて、頭頂部で結び、シュシュを巻く。
朝ご飯は、ソーセージパンとコーヒー。

化粧と身支度。
焦茶色に白のひび割れ模様のキャミソール・ワンピース、黒のシースルー・カーディガン(3分袖)、黒のサンダル、黒のトートバッグ。

12時過ぎ、家を出る。
東急東横線-(中目黒乗換)→東京メトロ日比谷線-(霞が関乗換)→同丸の内線というルートで、東京駅(丸の内口)へ。
改札からすぐの「丸ビル」へ。

今日はこの後が時間がなさそうなので、昼食を取る。
地下の「永楽」というラーメン屋さんに入る。
角煮ラーメン(950円)を注文。
スープは、とんこつ系と魚介系のダブル(混合)スープ。
麺は、ストレートのやや太麺。
トッピングは、豚の角煮、(生)ほうれん草、しなちく、煮玉子(半分)。
やや薄味(塩気が足りない)。
麺も、スープの絡みが良くない。
角煮はやわらかく煮えていておいしかったが、生ほうれん草は合わない。
やはり、ここはキャベツでしょう。
お値段がやや高目なのは場所柄仕方がないにしても、バランスの悪さからして、評価は5段階のD(たぶん、二度目はないでしょう)。

13時半、8階のコンファレンススクエアへ。
14時過ぎ、「この夏、GID(性同一性障害)&トランスジェンダーについて考える GID(性同一性障害)シンポジウム2009」第1回「大切な人が悩んでいる。そのときあなたは・・・?」開会。
会場は、メディア関係者20席、一般60席で、どちらも少し空席があり、9割方の入り。
一般席の半分くらいは、GID当事者か?

このシンポジウム、開催日の6日前の7月29日に突然、広報された。
しかも、事実上、主催の「株式会社インテグレート」という会社の開催意図が良くわからない。
「統合マーケティング・コミュニケーション(IMC)の領域で専門ソリューションを提供しているプランニング・ブティック」だそうだが(片仮名ばかりで、よくわからん、一私企業が、GID問題に関わって、いったいどういうメリットがあるのだろう?

しかも、シンポジウムと言ってもわずか1時間のプログラム。
そんな短時間で、何をしようというのだろう?
いろいろ疑問が多いので、ともかく様子を見る意味で出席。

壇上には、左から政井マヤさん(司会:アナウンサー)、
椿姫彩菜さん(コメンテーター・モデル)、
大島俊之氏(GID学会理事長/九州国際大学教授/弁護士)、
針間克己氏(GID学会理事/はりまメンタルクリニック院長)、
野宮亜紀さん(「Trans-Net Japan:TSとTGを支える人々の会」運営メンバー/和光大学非常勤講師)
という順で並ぶ。

生椿姫を見るのは初めて。
身体もきゃしゃだし、顔も小さい、声もまったく女性で、うらやましい限り。
カメラマンのフラッシュは、98%くらい椿姫さんに集中。

私的には、大島先生の気合の入ったファッションと、針間先生のご近所からチャリ(自転車)で来ました的なラフなスタイルが好対照。

また、種類(染色体の性、身体の性、戸籍の性)が微妙に違うきれいなお姐さん3人(政井さん、椿姫さん、野宮さん)を並べて見られたのも眼福。
社会的の中で機能している性別というのは、早い話、壇上の5人の性別をどう分けるか?ということ。

誰が見たって、(政井さん、椿姫さん、野宮さん)と(大島先生、針間先生)という2グループに分けるだろう。
そうじゃない人は、目が悪い(視覚認識が変)だと思う。
つまり、「それでいいのだ」(バカボンのパパ)。

内容的には、まず「性同一性障害に関する意識調査」(1000人アンケート)。
・「性同一性障害という言葉を知っていますか? 99.5%」
・「性同一性障害という言葉の意味を知っていますか? 95%」

まあ、これだけメディアが流布していれば、世捨て人でもない限り、聞いたことはあるだろう。
でも、問題は、正しく認識ているかということ?
残念ながら、95%という数字は、正しい理解を示していないと思う。

・「性同一性障害者を受け入れる社会になっていると思いますか?」
なっている      0.7%
ある程度なっている  35.6%
あまりなっていない  56.0%
なっていない     7.7%

司会の政井さんが「6割以上の人が、社会的受け入れが不十分と思っているということは、もっと社会的受け入れを進めるべきだということで、今後に期待が・・・・」みたいなコメントしていたが、それは甘いと思う。

「そんな奴らは社会的に受け入れるべきではない(現状のままでよい)」と思っている人(多くは男性)は、けっこう多いと思う。

新味があったのは、針間先生が示したご自分のクリニックの「国内のSRS(性別適合手術)割合」のデータ。。
2005年:国内8名/全体33名(国内割合24%)
2006年:国内16名/全体43名(国内割合37%)
2007年:国内12名/全体43名(国内割合27%)
2008年:国内21名/全体106名(国内割合19%)
2009年:国内8名/全体43名(国内割合19%)
合 計:国内65名/全体268名(国内割合24.3%)

2008年以降、国内のSRS割合が急落したことがはっきりわかる。
2007年3月に埼玉医大がSRSを中止し、5月に大阪の「わだクリニック」の和田耕冶院長が亡くなって、国内のSRSの2本柱が崩壊した影響がはっきり見てとれる。
あれだけ、性同一性障害を煽っておいて、面倒なSRSは外国任せという現状、日本の医学界は恥ずかしいと思わないのだろうか?

14時15分、閉会。

針間先生のデータ以外、内容的になにか意味があったのかというと、はなはだ疑問。
最後まで、会の性格がよくわからなかった。
まあ、開催したことに意味があったということだろうか?

2009年06月17日 新宿歌舞伎町夜話 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2009年06月17日 新宿歌舞伎町夜話

6月のある夜、歌舞伎町のレトロなスナックで、某お姉さま(「姉」の字に留意)との会話。

某姉「(嬉しそうに)ねえねえ、順子さん、あたし、来週の土曜日、合コンなんですよぉ」
順子「(あまり興味さそうに)ほう、それは、それは、けっこうなことで」
某姉「ある伝手で、ニューハーフでもOKという30代の男性4人に来てもらえるんですぅ」
順子「へ~ぇ、で、こちらは?」
某姉「このお店のみきちゃんでしょう、ウチのさやかちゃんでしょ、それと、ほらお花見に来ていた美紀ちゃん」
順子「なるほど、きれいどころを揃えましたね。これなら男性陣も文句なしでしょう。ん?人数が合ってないような・・・」
某姉「合ってますよ。4対4のフィーリング・カップルですよぉ」
順子「もしもし、お姉さま、もしかして、ご自分を人数に入れてませんか?」
某姉「え?もちろん入れてますよ。こんなチャンス逃す手、ないじゃないですかぁ」
順子「あっ、わかりました。男性陣にもちゃんとお姉さまと釣り合う50、60代の方を入れてある・・。」
某姉「いやだ、そんなオヤジなんか・・・。30代のピチピチのイケメンばかりですよぉ」
順子「あの~ぉ、たいへん申し上げにくいんですけど、それって娘や息子の集団お見合いの席にお母さま1人が混じっているようなもので・・・」
某姉「(聞こえないふり)すいません、ウーロン茶、お願いしま~すぅ」
順子「やはりセッティングされたお母さまは、向かい合わせじゃない議長席に座って、双方をお引き合わせしたら、『後は、お若い方たちで・・・(オホホホホ)』なんて言いながら座を外すのが普通かと・・・・」
某姉「(まったく聞こえてないふり)何着て行きましょう、土曜日が楽しみだわ~ぁ。30代イケメン・・・うふふふ(涎)」

いやもう、なんと言うか・・・・。
私が「お姐さま」じゃなくて「お姉さま」と表記していることからわかるように、この方、「アラフィフ」というより「アラカン」に近い方です。
それでなお、恋愛戦線の前線に立ち続けるこのバイタリティ、エネルギー、執念、執着・・・まさに脱帽です。

たぶん「あたしの辞書に『枯れる』という文字はありません」とおっしゃる方なのでしょう。
このお姉さまの爪の垢を煎じて、最近流行りの「草食男子」に飲ませたいぐらいです。

ところで、「性」の重要な要素に「性的指向」(Sexual Orientation)という概念があります。
男が好きか、女が好きか、というような、性愛の対象、方向性(ベクトル)です。
簡単に言えば、男性で女性が好き、あるいは女性で男性が好きならヘテロセクシュアル(Hetero-Sexual)、男性で男性が好き、あるいは女性で女性が好きならホモセクシュアル(Homo-Sexual)です。
この場合、男性のホモセクシュアルをゲイ(Gay)、女性のホモセクシュアルをレズビアン(Lesbian)と呼んでいます。

私がいつも疑問に思うのは、そうした性愛の方向性は重視されても、性愛への執着の強さ(パワー)みたいなものはほとんど問題にされないことです。
どの性別の人間に対しても恋愛感情や性的欲求を抱かない人をさすエイセクシャル(A-sexual)という概念はありますが、エイセクシャルほどではない、性愛への執着の強弱というものは、あまり論じられていないように思います。

スケール化しにくいため、学問的論議になりにくいからかもしれません。
あるいは、同じ人でも、年齢とか環境によって変化するので、本質的なものと考えられていないのかもしれません。
でも、現実の社会の中で、人の「性」を語るときには、この強弱がけっこう効いているように私は思うのです。

私の場合は・・・。
「枯れる」というのとはちょっと違って、性愛に関しては「見るべきほどのものは見つ」(『平家物語』平知盛の最後の言葉)という心境です。
現実の性愛に対する、ある種の「諦観」でしょうか。
でも、この年齢で(45歳くらいから、そういう心境になった)、そういう「諦観」に至るということは、そもそも性愛への執着が弱いのだろうと思います。

今はもう、縁側で日向ぼっこしながら、伏せ籠で魅力的な野猫をとらまえるくらいが・・・。
「ビュッ」(←すばしこい野猫が餌のほっけの開きだけを取って、逃げていく音)


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