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2006年09月23日 陰間茶屋の地方分布 [性社会史研究(陰間)]

2006年09月23日 陰間茶屋の地方分布

9月23日(土) 晴れ 東京 24.4度 湿度 44%(15時)

14時、起床(仕事場)。

朝昼ご飯は、コンビニのサンドイッッチとコーヒー。

メールチェックの後、少し調べもの。
地名を調べているのだが、2つほどどうしても、ネットではヒットしない。
書架の奥から地名大辞典を引っ張り出して、表記が違っていることに気づき、やっと解決。
紙屋→神谷(かみや)、禿→学文路(かむろ)だった。

調べていたのは、江戸時代中期の陰間茶屋の地方分布。
明和五年(1768)刊行の『男色細見 三の朝』によると、三都(江戸、京、大阪)以外の地方にも陰間茶屋があったことが記されている。

列記すると、
尾張名古屋、駿河府中、伊勢古市、相模伊勢原、下総銚子、紀伊三日市、同禿宿、同紙屋宿、備中玉島、同宮内、安芸宮島、讃岐金毘羅
となる。

この中、名古屋、府中(静岡市)、仙台、会津(会津若松市)などは、大大名もしくは幕府直轄の城下町で三都に次ぐ主要都市。

銚子、玉島(倉敷市)は港町。

古市は伊勢神宮の、三日市、禿宿(学文路)、紙屋宿(神谷辻)は高野山の、宮内は吉備津神社の、伊勢原は大山(石尊権現)の参詣の人々にぎわった街。宮島、金毘羅などと合わせて門前町が目立つ。
これらの街は、寺社参詣後の「精進落し」の場として、遊女屋があった場所だが、それに混じって陰間茶屋もあった。
「精進落し」の遊興にも、「女色」と「男色」がちゃんと用意されていたことがわかり、とてもおもしろい。

このほかにも、芝居とともに地方を廻ったり、街道筋を移動しながら稼ぐ「飛子」と呼ばれる陰間がいた。
「男色」の場は、大都市に限られたものではなかったのだ。





2005年05月15日 江戸の陰間茶屋の分布 [性社会史研究(陰間)]

2005年05月15日 江戸の陰間茶屋の分布

5月15日(日)曇り

10時起床(仕事場)。

もう少しゆっくり寝てようと思ったのに、なぜか目が覚めてしまった。
朝ご飯を食べながら、昨日の「日記」を書く。
その後、サイトの更新原稿を作る。

14時頃、急激に眠くなり、耐えられず、昼寝。
2時間ほど倒れていて、やっと気分回復。

18時、早目に帰宅。
夕食は、まぐろとみる貝のお刺し身、鯛のアラの潮汁。

テレビ「義経」などを見た後、早目にお風呂に入る。

23時頃から研究発表用の地図作り。
明治20年の地図に、江戸の陰間茶屋の所在地を貼り込む。
江戸は現在の東京に比べて狭いとはいえ、思っていたより散在している。

日本橋界隈の芝居町(堺町・葺屋町、芳町、木挽町)や大寺院の近隣地(芝神明、湯島天神)は立地的にわかるが、山の手の寺社地(麹町天神、市ヶ谷八幡、赤城明神)に散在する陰間茶屋は誰が利用したのだろう?。
周囲は武家屋敷が多いから、やっぱり武士なのだろうか?

作図作業は1時頃に終え、あとはひたすらレジュメの原稿書き。
4時間ほどかけて、戦後混乱期の男娼とゲイバーについてまとめる。
戦前の女装の男娼は判る限り単独行動のようなので、集団化(組織化)したのは、戦後の上野(ノガミ)が初めてのようだ。

就寝5時半。

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