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2006年05月19日 「性同一性障害の小2男児」報道に思う [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年05月19日 「性同一性障害の小2男児」報道に思う

5月19日(金) 曇り

11時、起床。
朝食は、カレーパン1個。
シャワーを浴びた後、「日記(17・18日分)」を書く。
15時、仕事場に移動。
メールチェック、お返事メールの送信、「日記」のアップ。

今朝の『朝日新聞』に兵庫県の小学2年生(7歳)の男児が、性同一性障害と診断されて、教育委員会の判断で女児扱いで公立小学校に通学していることが大きく報道されていた。

扱いの大きさに驚きながら、早速、駅で新聞を買い集めるなど資料収集。
その結果、一般紙だけでなくスポーツ新聞も含めて主要新聞の全部が大きく報道していることが判明。
各紙の見出しは以下のとおり。
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性同一性障害の小2男児 「女児」で通学OK 兵庫の教委
(『毎日新聞』2006年5月18日夕刊一面)

性同一性障害 男児 診断早すぎる/現実的対応 「先駆的判断」に賛否
(『毎日新聞』2006年5月18日夕刊社会面解説)

小2男児 性同一性障害 女児として学校生活 兵庫 希望尊重、受け入れ
(『『読売新聞』2006年5月18日夕刊)

性同一性障害 男児、「女児」として生活 兵庫の小学校 入学前に診断
(『日本経済新聞』2006年5月18日夕刊)

「性同一性障害」小2男児 女児として通学 兵庫・公立小
(『朝日新聞』2006年5月19日朝刊)

性同一性障害の小2男児 「女児」で通学 兵庫 診断受け保護者と決定
(『産経新聞』2006年5月19日朝刊)

男の子 「女の子」で学校生活 兵庫・性同一性障害の小2 学校 入学時から対応 「さん」付け、スカート通学 身体測定もトイレも水着も出席簿も
(『スポニチ』2006年5月19日)

小2男児が女児として通学 性同一性障害、学校側が受け入れ 兵庫県在住
(『日刊スポーツ』2006年5月19日)

性同一性障害の小2「男児」 「女児」として通学する・・・・ スカート登校、教諭は「さん」呼び、友達は女の子
(『スポーツ報知』2006年5月19日)

小2男児が性同一性障害 低学年で異例の診断 女児として通学
(『サンケイスポーツ』2006年5月19日)
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通読して「う~ん」とうなってしまった。
なんとも複雑な気持ち。

まず、基本的なこととして、教育委員会が、児童と保護者の強い希望を門前払いせず、希望に沿う方向で柔軟に対応したことは、とても良いことだと思う。
今までの教育委員会にありがちな杓子定規な姿勢からしたら、大きな進歩だ。

ただ、手放しでは歓べないのは、次の2点。

一つは、小学校低学年の子供を「性同一性障害」と診断することの問題。
症状としての性別違和は認められるにしても、「性同一性障害」という診断を下すことが可能だろうかという疑問。
この点ついては、針間克己医師(武蔵野病院:精神科)が、自分が女の子だと思っている6歳前後の男の子約70人のうち、成長しても女性だと思い続けていたのはわずか1人というイギリスの調査結果を紹介しながら、早期診断への慎重論を述べている。

(註)正確には、66人の小児MTFの追跡調査で、追跡できた44名のうち、33名が性的空想において同性愛(男好き)かバイセクシュアルで、性転換を真剣に望んだのは1名だけというGreenの研究。

私の知人でも、小学生の頃、自分は男の子だと言い張り、坊主頭に近い短髪で黒いランドセルを背負って通学していた女児が、長じてとても魅力的なセクシーな女性になった例がある。
子供の性自認はかなり不安定で、周囲の状況や親の誘導に左右されやすいということだと思う。

そもそも、このまま「女児」扱いで数年たてば、次にどうするかという話に必然的になる。
小学校を卒業し、中学に進学する頃になれば、第2次性徴の問題が出てくる。
早期診断の流れからすれば、「早期治療を」ということになる可能性が高い。
学齢期の子供に、医師が性ホルモン操作(この児の場合なら、男性ホルモンの抑制、女性ホルモンの投与)をしていいのか?という判断を迫られることになるる。

二つ目は、全国紙がそろいもそろって、こんなに大きく扱う問題かということ。
個人の性別の扱いなんて、本来はできるだけ内輪で済ますべきことだと思う。
やはり私の知ってる範囲で、過去にも校長さんの判断で、男児を私立小学校卒業時まで女児扱いで通学させたという例はある。
内輪で処理しておけば、もし男の子に戻ってしまった時だって対応しやすい。

これだけ大きく報道されれば、必ず「どこの学校の誰?」とい動きは出て来る。
それは本人のために良い結果につながらないと思う。
もっと、そっとしてあげることはできないのだろうか。

どうも、親も含めて周囲の大人が「性同一性障害」という「型にはめる」ことをしすぎているように思える。
少なくともしばらくは「女の子みたいな男の子」「男の子だけど女の子」でいいのではないだろうか?
昔だってそんな子はいたはずだ。

なぜ「性同一性障害」という型にはめるのか?
その方が周囲の大人が安心だからだろう。
苦情が来ても「病気だから仕方ない」ということにできるから。

私の感じた違和感は、どうもそこらへんにあるようだ。

21時半、帰宅。
夕食は、お刺し身(あじ・ひらめ)、後は昨夜の残り物。

古い講演ファイルを整理する。
2000年以前の分。
先日、いろいろ捜索していたら、所在不明だった資料が出てきたので、記録のために整理しておく。
当時をあらためて振り返ると、トランスジェンダーがトランスジェンダーとして(病気ではなく)社会に受け入れてもらう方向性で、けっこうそれなりに成果が上がりつつあったのではないかと思う。

それが、なんでこんなことになってしまったのか?
今日の大報道と合わせて、つくづく「病理化の罠」の恐ろしさを思う。

お風呂に入る。
夜中、古い『AERA』から、保存しておくべき記事を切り抜く。
2年分くらいを一括処理すると、「負け犬女」も「電車男」も話題になっていたのは案外短かったことがわかる。

就寝、5時。

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