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2009年06月17日 新宿歌舞伎町夜話 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2009年06月17日 新宿歌舞伎町夜話

6月のある夜、歌舞伎町のレトロなスナックで、某お姉さま(「姉」の字に留意)との会話。

某姉「(嬉しそうに)ねえねえ、順子さん、あたし、来週の土曜日、合コンなんですよぉ」
順子「(あまり興味さそうに)ほう、それは、それは、けっこうなことで」
某姉「ある伝手で、ニューハーフでもOKという30代の男性4人に来てもらえるんですぅ」
順子「へ~ぇ、で、こちらは?」
某姉「このお店のみきちゃんでしょう、ウチのさやかちゃんでしょ、それと、ほらお花見に来ていた美紀ちゃん」
順子「なるほど、きれいどころを揃えましたね。これなら男性陣も文句なしでしょう。ん?人数が合ってないような・・・」
某姉「合ってますよ。4対4のフィーリング・カップルですよぉ」
順子「もしもし、お姉さま、もしかして、ご自分を人数に入れてませんか?」
某姉「え?もちろん入れてますよ。こんなチャンス逃す手、ないじゃないですかぁ」
順子「あっ、わかりました。男性陣にもちゃんとお姉さまと釣り合う50、60代の方を入れてある・・。」
某姉「いやだ、そんなオヤジなんか・・・。30代のピチピチのイケメンばかりですよぉ」
順子「あの~ぉ、たいへん申し上げにくいんですけど、それって娘や息子の集団お見合いの席にお母さま1人が混じっているようなもので・・・」
某姉「(聞こえないふり)すいません、ウーロン茶、お願いしま~すぅ」
順子「やはりセッティングされたお母さまは、向かい合わせじゃない議長席に座って、双方をお引き合わせしたら、『後は、お若い方たちで・・・(オホホホホ)』なんて言いながら座を外すのが普通かと・・・・」
某姉「(まったく聞こえてないふり)何着て行きましょう、土曜日が楽しみだわ~ぁ。30代イケメン・・・うふふふ(涎)」

いやもう、なんと言うか・・・・。
私が「お姐さま」じゃなくて「お姉さま」と表記していることからわかるように、この方、「アラフィフ」というより「アラカン」に近い方です。
それでなお、恋愛戦線の前線に立ち続けるこのバイタリティ、エネルギー、執念、執着・・・まさに脱帽です。

たぶん「あたしの辞書に『枯れる』という文字はありません」とおっしゃる方なのでしょう。
このお姉さまの爪の垢を煎じて、最近流行りの「草食男子」に飲ませたいぐらいです。

ところで、「性」の重要な要素に「性的指向」(Sexual Orientation)という概念があります。
男が好きか、女が好きか、というような、性愛の対象、方向性(ベクトル)です。
簡単に言えば、男性で女性が好き、あるいは女性で男性が好きならヘテロセクシュアル(Hetero-Sexual)、男性で男性が好き、あるいは女性で女性が好きならホモセクシュアル(Homo-Sexual)です。
この場合、男性のホモセクシュアルをゲイ(Gay)、女性のホモセクシュアルをレズビアン(Lesbian)と呼んでいます。

私がいつも疑問に思うのは、そうした性愛の方向性は重視されても、性愛への執着の強さ(パワー)みたいなものはほとんど問題にされないことです。
どの性別の人間に対しても恋愛感情や性的欲求を抱かない人をさすエイセクシャル(A-sexual)という概念はありますが、エイセクシャルほどではない、性愛への執着の強弱というものは、あまり論じられていないように思います。

スケール化しにくいため、学問的論議になりにくいからかもしれません。
あるいは、同じ人でも、年齢とか環境によって変化するので、本質的なものと考えられていないのかもしれません。
でも、現実の社会の中で、人の「性」を語るときには、この強弱がけっこう効いているように私は思うのです。

私の場合は・・・。
「枯れる」というのとはちょっと違って、性愛に関しては「見るべきほどのものは見つ」(『平家物語』平知盛の最後の言葉)という心境です。
現実の性愛に対する、ある種の「諦観」でしょうか。
でも、この年齢で(45歳くらいから、そういう心境になった)、そういう「諦観」に至るということは、そもそも性愛への執着が弱いのだろうと思います。

今はもう、縁側で日向ぼっこしながら、伏せ籠で魅力的な野猫をとらまえるくらいが・・・。
「ビュッ」(←すばしこい野猫が餌のほっけの開きだけを取って、逃げていく音)


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