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2008年05月08日 フジテレビ「ラスト・フレンズ」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2008年05月08日 フジテレビ「ラスト・フレンズ」

5月8日(木) 曇り 東京 23.5度 湿度 27%(15時)

6時、目が覚める。
ベッドで、昨夜、読みかけで眠ってしまった、獨協大学の学生さんの感想文を読む(70枚)。
7時半、起床。
朝食は、アップルパイとコーヒー。
シャワーを浴びて、身体と髪を洗い、髪はブローしてポニーテールにまとめる。

「日記(4日分)」を書く。
旅行記なので、いろいろ調べながら書く。
だから、時間がかかる。

昼食は、お豆腐とモロヘイヤのお浸しで、ご飯を軽く1膳。

14時、化粧して身支度。
黒のプルオーバー(5分袖)、黒のコットンパンツ、黒のヒールパンプス、黒のトートバッグ。

15時10分、学芸大学駅西口の歯科医院へ。
左下奥の小臼歯2本と大臼歯1本を連続して充填する金属のはめ込み。
微調整しながら、まずまず違和感少なく納まる。

これでやっと左側上下の治療が完了。
あと、右上に2本、右下に1本、それと右下の親知らずの抜歯。
数えてみると、歯の治療を始めて6ヶ月が過ぎた。

先生(美人)に「もう少しですよ。頑張りましょう」と言われる。

「ドトール・コーヒー」で休憩した後、仕事場に戻る。
衣類(洋服)の整理。
冬物を仕舞い、夏物を出す。

18時過ぎ、帰宅。
夕食は、牛肉とにんにくの芽の炒め物、アスパラときのこのワイン炒め、湯葉と磯のりの味噌汁を作る。
それに、まぐろとほたる烏賊のお刺身。

フジテレビのドラマ「ラスト・フレンズ」を見る。
主人公のひとり瑠可(上野樹里)がメンタルクリニックを受診するシーン、どうやら知人(主治医)の針間克己先生がかかわっているようで、番組最後のテロップに「協力:はりまメンタルクリニック」と出ていた。

それはともかく、相変わらず、レズビアン(女性同性愛)と性同一性障害(FtM)のイメージが不明確。

瑠可の場合、現在までのストーリーでは、幼馴染の女性、美知留(長澤まさみ)への恋愛感情が強く意識されていて、自らの女性としての身体違和感や社会的違和感があまり表面化してないように思う。
私から見ると、性同一性障害というよりもレズビアンの範疇で納まりそうな気がする。

逆に言えば、もし、ドラマの中であっても、このパターンで性同一性障害ということになると、同様のレズビアンがどっとメンタルクリニックを受診するようになり、現在進行中のレズビアンのFtM化にいっそう拍車がかかりそうな気がする。

DV男宗佑(錦戸亮)は、気持ち悪いし、もう最悪。
そんな独占欲と暴力しかない男に、依存してしまう馬鹿女も、見ていて腹が立つ。

それにしても、上野樹里はうまいなぁ。
主演のはずの長澤ますみが霞んでいる。

個人的には、「のだめ」以来のファンの水川あさみが演じている瑠可のルームメイでキャビン・アテンダントのエリが、女の魅力を生かしながら自分らしく生きていて、すてきだなと思う。

お風呂に入って、髪を洗う。

夜中、「日記(5・7日分)」を書く。

就寝、4時半。



2007年09月10日 朝日新聞 「家族:性を超えて」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年09月10日 朝日新聞 「家族:性を超えて」

9月10日(月)
9日の『朝日新聞』朝刊に、友人の土肥いつきさん(45歳)が出てるということなので、昨夜遅く、自宅に戻って、早速探してみた。
たぶん、生活面だろうと思って、新聞の中ほどを探す。
出ていない。
おかしいな、と思いながら、もう一度チェック。
なんと第1社会面(後から2頁目)にデカデカと、しかも、ご夫妻のカラー写真入りで載っていて、びっくり。

「家族 性を超えて」という3回シリーズの第1回で「私の謙一郎君を返して」(井田香奈子)。

この見出しにも驚いた。
「謙一郎」とは、いつきさんが、3年前、性同一性障害を理由に改名する前の名前。
「私の謙一郎君を返して」というフレーズは、NHK教育テレビの「ハートをつなごう:性同一性障害」にご夫妻が出演したときに、奥様の淳子さん(43歳)が発した言葉。

自分の理想の男性像だった夫が、性同一性障害の「治療」という形で、徐々に女性に移行していくことに対する、やり場のない怒りがこめられている。

以後、性同一性障害の夫をもつ妻の感情を表す言葉として、ネット上などで、一人歩きしている感がある。

この問題の関係者でまともな感性の人間なら誰でも、胸に突き刺さる鋭く強い言葉だ。
それを、見出しに使うとは・・・・(だから使ったのだろうが)。

記事は、そうした性同一性障害の夫とその妻の苦悩と葛藤、そして、妻が「私たちの結婚も間違いない」、夫が「この家族を続けたい」と思い至るまでをたどっている。
笑顔で背中を合わせて立つ夫妻のカラー写真を大きく掲げ、性同一性障害と向き合って、危機を克服した家族の姿を紹介する内容。

一読して、どうしようもない違和感が残った。
それが何なのか、今日一日、ずっと考えていた。

1つ目は、家族をここまでマスコミに晒すことへの違和感だろう。
私は、自分の性別の問題に関わることで、家族に対する取材は一切拒否している。
今日も、その種の取材依頼のメールが来たが、お断りした。
個人の問題で家族の平穏を乱すことはしたくないし、すべきでないと考えているからだ。
時代遅れの倫理観だと言われるかもしれないけども、それが家族を守る立場の者として最低限の責任だと思う。

ただ、家族のあり様は、それぞれだから、この点に関して土肥夫妻を批判するつもりはまったくない。
今回の取材にしても、奥様がマスコミに出ることを、ご自分の判断で(自由意志で)決めているのだろうから、他人がとやかく言うべきことでないだろう。

問題は、やはり記事のあり方、全体のトーンだろう。
自分の性別違和感、女性になりたいという気持ちを、妻に告白すること、つまりカミングアウトを美化(理想化)している印象がどうしてもぬぐえない。

カミングアウトというものは、する方は、してしまえば気持ちは軽くなる。
しかし、される側は、その分、気持ちが重くなるものだ。
だから、カミングアウトは、重い荷物を持って歩く人が、傍らを歩く人に荷物を分け持ってもらうことに例えられる。

性別に関わるカミングアウトは、される側の方がずっとたいへんなのだ。
とりわけ夫婦間では・・・。
土肥淳子さんのような聡明で気持ちのしっかりした女性でも、「私の謙一郎君はどこ?」「謙一郎君を返してよ」と叫んでしまうくらい。
並みの精神力の妻だったら、精神的に堪えられなくて当然だと、私は思う。

私の今までの見聞では、土肥夫妻のように、カミングアウトして、夫婦(家族)関係を維持、もしくは再構築できた例は、少数だと思う。
その多くは、夫婦関係の解消・破綻、つまり離婚・家庭崩壊に至っている。

土肥夫妻は、ある意味で、性同一性障害を抱えた夫婦の理想像になっている。
いや、マスコミがよってたかって理想化しようとしていると言うべきだろう。

だが、理想は理想であって、誰もが実現できるものではない。
そうした現実を見ずに、例外的にうまくいった夫婦を取り上げるとしたら、それはカミングアウトをいたずらに奨励することになりかねず、マスコミによるミスリードだと思う。

この連載、毎週日曜日の掲載らしい。
ぜひ、残り2回で、うまくいかなかった事例も取り上げてほしい。

性別違和の問題に関しては、専門家もマスコミも、カミングアウトを奨励する。
「早ければ早いほど良い」と明言する性同一性障害の専門医もいる。
隠すことは不誠実だし、「治療」の妨げになるということだろう。

しかし、私は、「言わぬが花」(世阿弥『風姿花伝』)という古い言葉を思い出す。
まあ、時代遅れの人間のたわ言としか、関係者には受け取られないだろうが。



2007年05月23日  性転換(性別適合)手術の専門医、急死 (コメント欄) [現代の性(性別越境・性別移行)]

コメント

えーーっ 爛々 さん
ホント....衝撃...
...急死の急死ね.....
心筋梗塞とか卒中とかかしら?

何れにせよ、ご冥福をお祈りします。
和田クリもLCクリも閉まっちゃうのかな....あと大変ソ...
(2007年05月23日 22時28分38秒)
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Re:えーーっ(05/23) 三橋順子 さん
爛々さん
>ホント....衝撃...

はい、びっくりでした。
第1報が入ったときは、デマだと思ったくらい。
死因の詳細は、不明ですが、過労による突然死の可能性が高いとのことです。
(2007年05月23日 22時35分08秒)
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ビックリです! 洋子 さん
この前、東京から転勤で、こちらに来られた方を紹介したところなのに・・・
病院は廃院の手続きをとるそうです・・・
大阪の仲間達は、行き場が無くなるって、困ってる状態です!
(私も含めて・・・)
(2007年05月24日 05時24分33秒)
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??? 晴はる さん
まだ、53歳ですよね?
これからなのに……
私と5つしか違わないのに…
やりたいことも色々あったでように…
やっぱり、日々を悔いなきように生きていかなくっちゃですね
(2007年05月24日 10時39分52秒)
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Re:ビックリです!(05/23) 三橋順子 さん

洋子さん、いらっしゃいま~せ。
>大阪の仲間達は、行き場が無くなるって、困ってる状態です!
>(私も含めて・・・)

なにしろ急なことでしたからね。
大阪の業界では大騒動のようですね。
通院者の皆さんは、たいへんでしょう。
切実な問題だし。

たしか10年ほど前だったと思うけど、
東京で大久保病院というホル投与をしてくれる病院が突然、閉院したときの騒動を思い出しました。
基本的には、10年間ほとんど変わってないのだなぁ、と思います。
(2007年05月24日 11時51分32秒)
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Re:???(05/23) 三橋順子 さん

晴はるさん、いらっしゃいま~せ。
>私と5つしか違わないのに…
そうです。私とは1つしか違わない・・・・。

>やりたいことも色々あったでように…
昨日、亡くなった方のブログ日記を資料保全したのですけど、「来年には・・・・するつもり」みたいな将来の希望がいろいろ書いてあって、なんだか切なくなりました。

>やっぱり、日々を悔いなきように
つくづくそう思います。
(2007年05月24日 11時54分49秒)
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Re:性転換(性別適合)手術の専門医、急死(05/23) kaorin さん
本当にびっくりしました…
LCでお注射していただいたこともあったので。
SRS受けたお友達も何人かいるし、これから大変ですね
(2007年05月24日 23時59分28秒)
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Re[1]:性転換(性別適合)手術の専門医、急死(05/23) 三橋順子 さん

kaorinさん、いらっしゃいま~せ。
>SRS受けたお友達も何人かいるし、これから大変ですね。

私の知人にも、和田「娘」は、片手で足りないくらいいます。
全国で推定250~300人といった感じだと思います。
その分の需要、どこが面倒みてくれるのでしょう。
結局は、海外頼みになりそうな・・・・。
(2007年05月25日 01時04分37秒)
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和田先生のブログ KATT さん
とても残念です。闇医師というイメージでしたがその信念は真面目で温かいものでした。先生の残されたブログを紹介させてください。
http://blog.goo.ne.jp/wd504/
(2007年05月26日 00時31分10秒)
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Re:和田先生のブログ(05/23) 三橋順子 さん

KATTさん、いらっしゃいま~せ。
>闇医師というイメージでしたがその信念は真面目で温かいものでした。

正直なところ、私も以前は、あまり良い印象はもっていませんでした。
その印象を一変させたのが、お書きになったブログの内容でした。
ご自分が行っている医療に対する信念がうかがえる内容ですね。
(2007年05月26日 00時38分11秒)
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順子さま、始めまして。 まりゅ さん
私は大阪在住のMTFです。

最近こそ私は通っていませんでしたが、初めて♀ホル投与の際からしばらくの間、和田先生にお世話になっていました。突然の訃報に驚きました。ご冥福をお祈りするばかりです。

私のFTMの友人も、突然の閉院にとても戸惑っていました。ずっと通院する形で投与を受けていたので心配しています。
また、お邪魔させてくださいませ。
(2007年05月28日 17時40分15秒)
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Re:順子さま、始めまして。(05/23) 三橋順子 さん
まりゅさん、いらっしゃいま~せ。

>私のFTMの友人も、突然の閉院にとても戸惑っていました。ずっと通院する形で投与を受けていたので心配しています。

関西はずいぶん影響が大きくたいへんなようですね。
早く落ち着くことを願っています。
(2007年05月29日 01時22分35秒)
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Re:性転換(性別適合)手術の専門医、急死(05/23) グリーンフラワー さん
わだ先生の訃報を知り、大変残念に思っています。
随分前にお世話になり出来れば墓前に献花したいと思っていますが、場所が分かりません。ご存知の方いらっしゃれば情報をお願いします。
(2007年09月11日 21時18分15秒)
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Re[1]:性転換(性別適合)手術の専門医、急死(05/23) 三橋順子 さん

グリーンフラワーさん、いらっしゃいま~せ。
>随分前にお世話になり出来れば墓前に献花したいと思っていますが、場所が分かりません。ご存知の方いらっしゃれば情報をお願いします。

急なことで、またいろいろ複雑な事情もお有りのようで、没後のこと、スムーズに運んでいるのか・・・?

ちょっと、聞いてみます。
もし、わかったら・・・。
(2007年09月11日 22時40分18秒)
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台湾で手術 玲子 さん
はじめまして。
私は台湾の台北に住んでいます。日本へ留学したことがあって、今は日本語通訳をやっています。そして、主人も医者です。
この間、日本の方に台湾の性転換手術の名医を紹介して、台北での国病院でFTMの手術を行うことを手伝っていました。
皆様がMTFかFTMの手術に関心を持っている方は、どうぞ私に連絡してください。
私のメールは:reiko6260jp@yahoo.co.jp
(2007年10月06日 01時19分03秒)
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元スタッフです。 マリア さん
グリーンフラワーさん
>わだ先生の訃報を知り、大変残念に思っています。
>随分前にお世話になり出来れば墓前に献花したいと思っていますが、場所が分かりません。ご存知の方いらっしゃれば情報をお願いします。

初めまして。荻窪(LC)に勤めていた、髪の長い方(看護師)です。こちらに、コメントされている方で、私をご存知の方もいらっしゃっるかも知れませんね。その節は、お世話になりました。大阪の患者様でしたら、看護師のTさん、kさんIさんですね。
和田先生は、5月22日急逝され、その後大阪で、親族、スタッフのみの密葬を行いました。
その後、親族間のいざこざ(遺産等…相当揉め)で、色々あったのですが、熊本(先生のご実家)に埋葬されていると思います。
先生の亡くなる半年前、実母を亡くして以来、精神的に参っていた様です。最後の顔は安らかだったのが救いです。お母様と、同じ墓前に入られたと聞きました。 きっと、グリンフラワーさんの優しいお気持ちは、墓前に行かなくとも伝わると思います。
  (2007年10月14日 01時31分41秒)
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Re:元スタッフです。(05/23) 三橋順子 さん

マリアさん、わざわざの書き込み、ありがとうございました。

私は、「親族間のいざこざ(遺産等…相当揉め)」のところまでは、知っていたのですが・・・。

改めて、和田先生のご冥福をお祈りいたします(合掌)。
(2007年10月19日 01時48分58秒)
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Re:元スタッフです。(05/23) マリア† さん
マリアさん
お久しぶりです。そして三橋さん、ここでは初めまして。

私もHNは素性がバレてしまうのでマリアさん同様に洗礼名で書き込みさせて頂きます。和田Drの死去を知った後に私の母教会でミサを主任神父さまにお願いして行なって頂きました。

今は和田Drは天国で安らかに過ごされている事でしょうね。

では失礼致しますね。
(2007年11月12日 14時09分09秒)
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Re[1]:元スタッフです。(05/23) 三橋順子 さん

マリア†さん、いらっしゃいま~せ。

>お久しぶりです。そして三橋さん、ここでは初めまして。
>私もHNは素性がバレてしまうのでマリアさん同様に洗礼名で書き込みさせて頂きます。

ああ、どなたかは詮索しません。

それにしても、半年以上前の記事に、まだコメントが付くとは・・・・。
それだけ、トランスセクシュアルの方にとっては、和田先生は大切な方だったのですね。
あたらめて、ご逝去を残念に思います。
(2007年11月13日 00時14分24秒)
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2007年05月23日  性転換(性別適合)手術の専門医、急死 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年05月23日  性転換(性別適合)手術の専門医、急死

5月23日(水)
1994年から最近まで、独自の立場で、MtFの性転換(性別適合)手術(SRS)やFtMの乳房切除手術を数多く行ってきた、大阪北区の美容・形成外科「わだ形成クリニック」の院長和田耕冶医師(53)が、5月22日、急死された。

和田医師は、最初は主にニューハーフ(商業系トランスジェンダー)のSRSを手がけ、その手で「女」になった有名ニューハーフも多いと聞く。

1997年5月に日本精神神経学会が「性同一性障害の診断と治療に関する指針」(ガイドライン)を策定した後も、それに拘束されることなくSRSを続け、90年代末頃からは、一般の性同一性障害者のSRSも積極的に行うようになった。

その手術数は、ガイドラインに則して国内の医療機関で行われた手術数をはるかに上回り、累計で数100件と推定される。
とりわけ、MtFのSRSでは、国内最高レベルの技量を誇り、非ガイドラインルート(裏ルート)の性転換手術専門医として、業界では広く知られた存在だった。
その独自に構築された高度のSRS技術が、継承されることなく消えるのは、大きな損失である。

和田医師の逝去により、国内のSRS需要の過半を担っていた医療機関が消えることになり、4月の埼玉医大のSRS撤退と合わせて、国内の性同一性障害医療システム、とくに手術体制に大きな穴があくことは確実で、深刻な影響が予想される。

理屈や建前でなく、性転換希望者の切実な願いに可能な限り沿う方向で持てる医療技術を駆使した臨床医としての姿勢は、たとえ学界や社会からは異端視されても、多くの当事者の信頼と共感を集めていたと思う。

生前、お目にかかる機会がなかったのは残念だが、心からご冥福を祈る(合掌)。


2007年04月06日 埼玉医大、GID関連手術「撤退」理由判明 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年04月06日 埼玉医大、GID関連手術「撤退」理由判明

埼玉医大が、突然、性同一性障害(GID)関係の手術予約をキャンセルした理由が、複数の非公式ルートからの情報で判明した。
原科孝雄教授(形成外科)の定年退職の後をうけて、GID関係の手術を担当する予定だった医師2名が、3月末に急遽退職したため、執刀医がいなくなるという異例の事態となったため。

こうした不自然かつ不可解な事態が生じた背景には、形成外科内部のGID医療に対する認識の分裂・対立があったことが推測される。
いずれにしても、埼玉医大がGID関連の手術を再開するためには、手術の技術をもった医師を他の医療機関から引き抜くか、これから時間をかけて育成するしかなく、「中止」が長期にわたることは決定的になった。

首都圏唯一の総合的なGID医療機関だった同大学がGID関連手術から事実上「撤退」したことにより、日本のGID医療に大きな空白が生じることになった。

それにしても、医師の退職という、きわめて個人的な事情で、医療システムに大穴があき、大勢の患者が治療を継続できなくなるという実態、日本のGID医療の脆弱さをあらためて痛感させられた。


2007年04月05日 地方の女装者の実情 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年04月05日 地方の女装者の実情

4月5日(木) 晴れ 東京 14.6度 湿度 21%(15時)

11時、起床。
朝ご飯は、ミニクリームパン2個とコーヒー。
シャワーを浴びて、髪をお団子にまとめる。

13時半、仕事場に移動。
途中の住宅街で、昨日の雷雨にも耐えた残り桜が青空を背景にして美しい。

15時、身支度。
灰茶色の地に青色の平行四辺形模様が並ぶ伊勢崎銘仙。
黒・錆朱・樺色の帯を角出しに結ぶ。
長襦袢は、濃い芥子色の半襟を付けた濃緋色。
帯揚は緑色、帯締は深草色(福福堂)。
黒のカシミアのショール。
赤地に麻の葉模様の鼻緒の下駄。

16時過ぎ、家を出て、商店街で買い物。
ハイライト(目の下の隈隠し)用のアイカラーを探す。
カネボウ化粧品が3割引きだったので、T'ESTIMOのカラーアイズNシリーズのPK-42を購入(1050円→735円)。

駅前の本屋(恭文堂)で時間つぶし。
松井今朝子『吉原手引草』(幻冬舎 2007年3月)を購入。
いつか書きたい「変わり者の花魁と世慣れた振袖新造の物語」の参考にしようと思う。

17時、学芸大学駅で北関東の某県で、ランジェリーショップ&女装クラブを経営しているIさんと待ち合わせ。
駅前の喫茶店へ。
お昼抜きだったので、ケーキに手が出かかったが、なんとか堪える。

ランジェリーショップ&女装クラブ、残念ながら、4月で閉店とのこと。
地方の女装者の実情をいろいろ取材。

一口に言うと、状況はかなりきつい。
インターネットの普及で情報の流通量は格段に改善されたものの、地域コミュニティが成立するまでには至らず、女装者が孤立的に存在する状況に変わりがない。

孤立している、コミュニティがないということは、女装者が「女」としての社会性を養う場(機会)がないということ。
中でもいちばんの問題は、女装するという行為と性的興奮が直結している状態から抜け出せていない人が多いという現実。

私が講演などでよく言うことだが、女装と性的興奮が連動している状態では「女」としての社会性は獲得できない。
平たく言えば、そんな人、危なくて社会に出せないし、下手をしたら警察沙汰だからだ。

女装コミュニティでは、『エリザベス会館』のような閉鎖的な女装クラブであれ、新宿の女装スナックのような開放的な酒場であれ、まず、女装と性的興奮という回路をいったん断ち切ること(欲情の自己コントロール)を求められる。

実は、化粧がどうの、ファッションセンスがこうのという以前に、欲情の自己コントロールの修得こそが「女」修行の第一歩なのだ。
それができないと、いつまでも女装男のままで「女」にはなれない。
したがって、女装コミュニティの成員としてはやっていけず、淘汰されてしまう。

ところが、孤立している女装者は、その回路を断ち切る機会がなく、いつまでも女装と性的興奮が連動した女装男のままであることが多い。

東京や大阪の大都市部でも、以前はそういう孤立した女装者は多かった。
私もかってはその一人だった。
だから、地方の女装者の置かれている状況はよくわかる。

ただ、昔(15年前)と現代との大きな違いがひとつある。
それは、女装者の間での「薬」の蔓延だ。
昔は、よほど特殊な人でないかぎり、アマチュアの女装者が「薬」に手を出すことはなかった。
出したくても入手経路がきわめて限られていたからだ。
またコミュニティの先輩たちも、「薬」にまつわる怖い話(〇〇ちゃんは薬物肝炎で死にかかった)や悲惨な事例(〇〇さんはおっぱいが膨らんだのを奥さんにバレて離婚)を誇張して話してくれて、ブレーキ役になった。
いちばん効果的なのは「一生、「薬」と縁が切れない、あたしみたいな身体になったら、おしまいよ」という自嘲話。

ところが、インターネットが普及した現代では、個人輸入で誰でもいくらでも「薬」が手に入る。
孤立した女装者が、限られた情報・知識で、さしたる社会的制約(ブレーキ)もなく「薬」を好き勝手に使ったらどうなるか・・・・。
たとえば、「薬」は量を飲めば飲むほど女になれる(「魔法の薬」信仰)、なんて思ってる人、まだまだ多い。
そうした「薬」の乱用の結果としての悲惨な事例、地方でもかなり生じているらしい。

インターネットで得られる情報と、現実の社会での経験値のアンバランスが、地方の女装者の場合、より危ない形で現れているように感じた。
もちろん、すべての地方の女装者が「危ない状況」にあるのではなく、個人差がおおいにあることは、承知の上でだが。

取材が一段落した後は、共通の趣味の着物の話題に。
こちらは、気楽なおしゃべり。

19時半、Iさんと分かれて、行きつけの居酒屋「一善」に寄る。
グラスビール、ウーロン茶、各1杯。
肴は、ぶりのお刺身、春ごぼうの煮物。

21時半、帰宅。

夕食は、鶏の塩焼き、しじみのお味噌汁を作る。
それに、パートナーが買ってきた生ウニ。
作り置きのモロヘイヤのお浸し。
ご飯、今夜も1膳で我慢。

お風呂に入り、髪を洗う。

この数日、連絡がなく、ちょっと心配していた友達からメールがあり、一安心。
「日記」とお返事メールを書く。

寝る前に、松井今朝子『吉原手引草』を読みだしてしまう。

就寝、5時。

2007年03月18日  トランスジェンダー自助・支援グループ全国交流会 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2007年03月18日  トランスジェンダー自助・支援グループ全国交流会

3月18日(日) 快晴 東京 10.7度 湿度 19%(15時)

9時、起床(仕事場)
朝食は、コンビニで買ってきたパンとコーヒー。
シャワーを浴びて身支度。
髪は、お団子にまとめ、尻尾(付け毛)をつける。

黒地に銀と錆朱の折れ線模様の足利銘仙(きものACT)。
深草色にカタバミ柄の半襟をつけた黒地に更紗模様の長襦袢(紫織庵)。
錆朱に金彩の帯を角出しに結ぶ。
帯揚は芥子色、帯締は深草色(福福堂)。
黒のカシミアのショール。
赤地に麻の葉模様の鼻緒の下駄。

11時、家を出る。風が強くて寒い。
渋谷経由で、新宿東口へ。
ビルの上の電光温度計は8度。

アルタの前で、IさんとY子ちゃんらと待ち合わせ。
地下にもぐり、サブナードの奥の怪しい餃子屋へ。
Iさんとなので、中華料理を食べながら当然のように真っ昼間からお酒。
私は、ちょっと疲れが残っていたので、ビールはやめて、梅酒1杯とカシスオレンジ。
Iさん、ビールに加えて紹興酒で、ガソリン満タン状態に。
昨日ほとんどまともに話ができなかったので、今日はちょっと突っ込んだ話をしたかったのだけど、時間的、状況的にやっぱり駄目。

13時、コマ劇前の「ロフト・プラスワン」へ。
「トランスジェンダー自助・支援グループ全国交流会」(TNJ主催)に出席。
私は、グループ活動は一切しない人なので、参加する必要はないのだけど、昨日買い損ねた「交流誌」が資料として欲しかったので、Iさんについて行く。

次から次へと、各地の自助・支援グループの人が、挨拶と自己アピールのために登壇する。
いったいいくつあるのだろう?
「交流誌」に載っているのを数えたら、30団体もあった。

自助・支援グループなんて皆無、あっても西と東に1つずつという時代を長く過ごした私には、隔世の感がある。
Iさん、なんと5回も登壇する。
自助・支援グループに5つも関わっていたら忙しいはずだ。

この世界、老人の経験を聞いて生かそうという発想はないし、あとはもう若い人たちが、自分たちの流儀でやってくれるだろう。
「反面教師」役(「ああはなりたくない」)も疲れたし、「老兵は死なず、ただ消えさるのみ」(ダグラス・マッカーサー)。

15時、辞去。
実は、昨日からの精神的ストレス(孤立感)が、もう限界だった。
たとえて言うと、キリスト教徒の大集団の中に1人でいるイスラム教徒の心境かも。
いくら気を強く持っても、仲間が1人もいない状況はやっぱり精神的につらい。

2006年10月19日 メキシコ・ドキュメンタリー映画祭「ムーシェス:アタシたちの楽園を求めて」 [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年10月19日 メキシコ・ドキュメンタリー映画祭「ムーシェス:アタシたちの楽園を求めて」

渋谷円山町の「ユーロスペース」で開催中の「メキシコ・ドキュメンタリー映画祭」の参加作品「ムーシェス:アタシたちの楽園を求めて」(アレハンドラ・イスラス監督 2005年)を見る。

実は、この映画祭のことも、この作品のことも、まったく知らなかった。
ところが、今週の初め頃、私が昨年書いた「日記」の内容(世界各地のサード・ジェンダー)に、この映画祭に関連してトラックバックをつけてくださった方がいて、お陰で情報を得ることができた。

「ムーシェス:アタシたちの楽園を求めて」の舞台、メキシコ南部オアハカ州の小さな街フチタンには、母系制社会が色濃く残り、そこにはムーシェと呼ばれるサード・ジェンダーが、社会の成員として認められている。

その特異性は、アメリカの民族学者ヴェロニカ・ベンホルト=トムンゼンの『女の町フチタン-メキシコの母系制社会-』(藤原書店 1996年)で日本にも紹介され、「おんなの町 フチタン-南メキシコ・サポテカ族の陽気な人々-」(フジテレビ 2000年2月27日)というテレビ・ドキュメンタリー番組も放送された。

それらから得た知見として、私は、ムーシェを母系制社会に育まれた女性の相談役・互助者としてのサード・ジェンダー(MtFのトランスジェンダーを多く含む)と認識していた。

したがって、映画祭のパンフレットの解説の「サポテカ語で『ムーシェ』と呼ばれるゲイの男性たち」「フチタンの小さな町の中で、カミングアウトし、支え合いながら自らの楽園を築こうとしている」という文章を見たとき、かなりの違和感を覚えた。
えっ?「ゲイの男性たち」?、「カミングアウト」?、そういう文脈じゃないと思うけど・・・・。

ところが、実際に映像を見てびっくり。
ムーシェスたちのゲイ化が著しく進行している!。
男装のムーシェのカップルの言動は、メキシコ人的容貌を除けば、アメリカのゲイのカップルのそれとまったく変わりはない。
派手派手に着飾ってパーティーでパフォーマンスする女装のムーシェたちの在り様には、アメリカのドラァグ・クイーン(女装のゲイのマフォーマー)の影響が明らかに見られる。

さらにショックだったのは、女性たちとムーシェスの対立の激化。
映画では、ある女性による女装のムーシェス批判が、3度にわたって語られる。
批判の要点は、女装のムーシェスが、女性たちの祭に参加して、派手な衣装で目立ちまくるり、女性の影を薄くしていること、女装のムーシェスの行儀の悪さ、たしなみのなさ、女性の親密空間である女性トイレへの侵入etc。
結果として、女装のムーシェスは女の祭への参加を拒絶されてしまう。

過去における女性たちとムーシェスの親密な互助的関係、母系性社会に育まれたサード・ジェンダー的在り様を知るものには、信じられないような変化である。

その原因は、批判者の女性の「ムーシェスは変わってしまった。昔はもっとつつましやかだったのに」という言葉に見て取れる。
つまり、ゲイ・レボリューションの影響を受けた女装のムーシェスたちが、自分たちの存在に自信を持ち、女性たちの相談役、裏方から表舞台に出てきたことによって、女性たちとの軋轢、利害対立が増したのだろう。

また、女性の側、特にこの批判者の女性の言説には、男女の区分を明確に意識するフェミニズムの影響が感じられた。
その結果として、「あいまいな性」として女性たちに許容されてきた女装のムーシェスを、はっきり「女装した男性(ゲイ)」と見なす考え方が強まっているのだろう。

こうした変化は、「ムーシェス」という言葉が「ゲイ」という外来語(アメリカ語)に置き換えられた段階で、ムーシェスの在り様(文化)もゲイ化していったと考えることができる。
つまり、マイナー・セクシュアリティの世界におけるグローバリゼーションである。
ゲイ・レボリューション以後に確立したアメリカのゲイ文化が、何10年かしてメキシコの辺境の街にも及び、土着的なジェンダー/セクシュアリティの在り様(ムーシェス)に強い影響を与え、固有の文化を壊し、覆い尽くしていく過程とみることができる。

ラストは、女の祭への参加を拒絶されたムーシェスが、自らの手で自分たちの祭(ドラァグ・パーティ)を成功させ、レインボー・フラッグ(LGBTの連帯の象徴)を掲げて浜辺を行進するシーンで終わる。レインボー・フラッグは「アタシたちの楽園を求めて」の達成の表象として使われている。

こうしたフチタンのムーシェスの変化を「近代化・進歩・解放」と見るか(この監督をはじめ多くの人は、その立場)、「伝統と固有文化の破壊」と見るか(私はこちらの立場)は、評価が分かれるところだろう。

その一方で、映像は、母親から教わった刺繍の技術を生業として母親とともに生きる女装(伝統衣装)のムーシェ(かなり太めだけども笑顔がすてき、母親と瓜二つ)や、女性の相談に乗りながらウェディング・ドレスをデザインし製作する洋裁業の女装(洋装)のムーシェ(いちばん美形。ファッションセンスNo1)の姿も記録している。

フチタンのムーシェスの変質は、彼/彼女らがゲイ文化の受容を望んでいる以上、もう誰も止めることはできないだろう。
だからこそ、私は、母系制社会の中での、女性の相談役、互助者であるムーシェの伝統を守って生きる彼女たちの姿に、限りない共感と愛惜の思いを抱く。

ところで、フチタンのムーシェスの世界でもエイズ(AIDS)が深刻な影響を与えている。
この映画の後半の4分の1ほどは、エイズ予防の啓蒙運動に焦点が当てられているが、すでに何人もムーシェスが命を落としていることが語られる。
そうした文脈の中で、ある男装のムーシェが、エイズが家庭の女性たちにまで広まった原因について「バイセクシュアルが犯人だ」と断言するシーンがある。
まさに典型的なバイセクシュアル差別の言説で、驚いてしまった(後のシーンで、ヘテロセクシュアルな出稼ぎ男性たちが感染源であることが語られるが)。
バイセクシュアル差別もまたアメリカゲイ文化の影響=グローバリゼーションなのだろう。

固有のマイナー・セクシュアリティの在り様が、欧米の類似の「文化」が移入のされることによって影響され変質させられ固有の在り様が失われていくという過程は、過去の日本で何度も繰り返されたことである。
ムーシェスの変質は、かなりショックだった。
しかし、過去の日本で起こった同じような現象を振り返るという意味で、まさに現在それが進行しているフチタンの状況を知ることができたのは大きな収穫だった。

この映画、なんとかDVDを手に入れて、きちんとした紹介・研究批評をしてみたいと思った。
どなたか知りませんが、トラックバックをつけてくださった方、ありがとうございました。
勉強させていただき、感謝してます。

2006年05月19日 「性同一性障害の小2男児」報道に思う [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年05月19日 「性同一性障害の小2男児」報道に思う

5月19日(金) 曇り

11時、起床。
朝食は、カレーパン1個。
シャワーを浴びた後、「日記(17・18日分)」を書く。
15時、仕事場に移動。
メールチェック、お返事メールの送信、「日記」のアップ。

今朝の『朝日新聞』に兵庫県の小学2年生(7歳)の男児が、性同一性障害と診断されて、教育委員会の判断で女児扱いで公立小学校に通学していることが大きく報道されていた。

扱いの大きさに驚きながら、早速、駅で新聞を買い集めるなど資料収集。
その結果、一般紙だけでなくスポーツ新聞も含めて主要新聞の全部が大きく報道していることが判明。
各紙の見出しは以下のとおり。
--------------------
性同一性障害の小2男児 「女児」で通学OK 兵庫の教委
(『毎日新聞』2006年5月18日夕刊一面)

性同一性障害 男児 診断早すぎる/現実的対応 「先駆的判断」に賛否
(『毎日新聞』2006年5月18日夕刊社会面解説)

小2男児 性同一性障害 女児として学校生活 兵庫 希望尊重、受け入れ
(『『読売新聞』2006年5月18日夕刊)

性同一性障害 男児、「女児」として生活 兵庫の小学校 入学前に診断
(『日本経済新聞』2006年5月18日夕刊)

「性同一性障害」小2男児 女児として通学 兵庫・公立小
(『朝日新聞』2006年5月19日朝刊)

性同一性障害の小2男児 「女児」で通学 兵庫 診断受け保護者と決定
(『産経新聞』2006年5月19日朝刊)

男の子 「女の子」で学校生活 兵庫・性同一性障害の小2 学校 入学時から対応 「さん」付け、スカート通学 身体測定もトイレも水着も出席簿も
(『スポニチ』2006年5月19日)

小2男児が女児として通学 性同一性障害、学校側が受け入れ 兵庫県在住
(『日刊スポーツ』2006年5月19日)

性同一性障害の小2「男児」 「女児」として通学する・・・・ スカート登校、教諭は「さん」呼び、友達は女の子
(『スポーツ報知』2006年5月19日)

小2男児が性同一性障害 低学年で異例の診断 女児として通学
(『サンケイスポーツ』2006年5月19日)
--------------------
通読して「う~ん」とうなってしまった。
なんとも複雑な気持ち。

まず、基本的なこととして、教育委員会が、児童と保護者の強い希望を門前払いせず、希望に沿う方向で柔軟に対応したことは、とても良いことだと思う。
今までの教育委員会にありがちな杓子定規な姿勢からしたら、大きな進歩だ。

ただ、手放しでは歓べないのは、次の2点。

一つは、小学校低学年の子供を「性同一性障害」と診断することの問題。
症状としての性別違和は認められるにしても、「性同一性障害」という診断を下すことが可能だろうかという疑問。
この点ついては、針間克己医師(武蔵野病院:精神科)が、自分が女の子だと思っている6歳前後の男の子約70人のうち、成長しても女性だと思い続けていたのはわずか1人というイギリスの調査結果を紹介しながら、早期診断への慎重論を述べている。

(註)正確には、66人の小児MTFの追跡調査で、追跡できた44名のうち、33名が性的空想において同性愛(男好き)かバイセクシュアルで、性転換を真剣に望んだのは1名だけというGreenの研究。

私の知人でも、小学生の頃、自分は男の子だと言い張り、坊主頭に近い短髪で黒いランドセルを背負って通学していた女児が、長じてとても魅力的なセクシーな女性になった例がある。
子供の性自認はかなり不安定で、周囲の状況や親の誘導に左右されやすいということだと思う。

そもそも、このまま「女児」扱いで数年たてば、次にどうするかという話に必然的になる。
小学校を卒業し、中学に進学する頃になれば、第2次性徴の問題が出てくる。
早期診断の流れからすれば、「早期治療を」ということになる可能性が高い。
学齢期の子供に、医師が性ホルモン操作(この児の場合なら、男性ホルモンの抑制、女性ホルモンの投与)をしていいのか?という判断を迫られることになるる。

二つ目は、全国紙がそろいもそろって、こんなに大きく扱う問題かということ。
個人の性別の扱いなんて、本来はできるだけ内輪で済ますべきことだと思う。
やはり私の知ってる範囲で、過去にも校長さんの判断で、男児を私立小学校卒業時まで女児扱いで通学させたという例はある。
内輪で処理しておけば、もし男の子に戻ってしまった時だって対応しやすい。

これだけ大きく報道されれば、必ず「どこの学校の誰?」とい動きは出て来る。
それは本人のために良い結果につながらないと思う。
もっと、そっとしてあげることはできないのだろうか。

どうも、親も含めて周囲の大人が「性同一性障害」という「型にはめる」ことをしすぎているように思える。
少なくともしばらくは「女の子みたいな男の子」「男の子だけど女の子」でいいのではないだろうか?
昔だってそんな子はいたはずだ。

なぜ「性同一性障害」という型にはめるのか?
その方が周囲の大人が安心だからだろう。
苦情が来ても「病気だから仕方ない」ということにできるから。

私の感じた違和感は、どうもそこらへんにあるようだ。

21時半、帰宅。
夕食は、お刺し身(あじ・ひらめ)、後は昨夜の残り物。

古い講演ファイルを整理する。
2000年以前の分。
先日、いろいろ捜索していたら、所在不明だった資料が出てきたので、記録のために整理しておく。
当時をあらためて振り返ると、トランスジェンダーがトランスジェンダーとして(病気ではなく)社会に受け入れてもらう方向性で、けっこうそれなりに成果が上がりつつあったのではないかと思う。

それが、なんでこんなことになってしまったのか?
今日の大報道と合わせて、つくづく「病理化の罠」の恐ろしさを思う。

お風呂に入る。
夜中、古い『AERA』から、保存しておくべき記事を切り抜く。
2年分くらいを一括処理すると、「負け犬女」も「電車男」も話題になっていたのは案外短かったことがわかる。

就寝、5時。

2006年04月20日 外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」(『新潮45』5月号) [現代の性(性別越境・性別移行)]

2006年04月20日 外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」(『新潮45』5月号)

4月20日(木) 曇りのち晴れ。昼前後、激しい風と雨

11時、起床。
朝昼食は、トースト1枚に、「まるぶん」の女将さん手作りのサルナシのジャム。
昼前後、激しい風と雨。
午後、来週月曜日の講義の準備。
メールのお返事を書く。

『新潮45』5月号掲載の外山ひとみ「MISS・ダンディたちの『それから』」を読む。
1999年に名著『MISS・ダンディ-男として生きる女性たち-』(新潮社)を出した著者による「それから」のレポート。

メディアは、どうしても新奇なものを追い求めがちで、いったん注目しても、じきに忘れて顧みようとしないことが多いなかにあって、こうした「それから」取材は、とても大事なことだと思う。
彼らへの暖かい気持ちが伝わってくるようなレポートで、外山さんのような伝達者をもったMISS・ダンディたちは幸せだ。
私たち(ニューハーフ&女装者)には、外山さんのような方は誰もいないので、つくづくそう思う。

それにしても印象的なのは、MISS・ダンディたちの世界における「性同一性障害」の進行。
「性同一性障害」という概念による病理化の進行、そして当事者を「勝ち組」と「負け組」に選別・分断したGID特例法に批判的な私の立場からすると、MISS・ダンディの世界がどうのように「性同一性障害」に侵食されていったかという観点でとても興味深い。

レポートの中に出て来る「性同一性障害」ブームに乗り遅れた年配の男装者たちの姿が、私にはしみじみいとおしい。

どうも多方面で誤解されているようだが、私は「性同一性障害」という概念に批判的なのであって、「性同一性障害者」に批判的なのではない。
(一部の視野狭窄な教条的な人や、非GID系のトランスジェンダーを差別的する人は別)

性別違和感に苦しむ人たちが、「性同一性障害」概念や特例法によって救われ、幸せになっていくのなら、それは良いことだと思うし、素直に「おめでとう」と言える。
埼玉医大以前の状況を知る生き残りとしては、そうした意味では、つくづく「よい時代になったなぁ」と思う。

しかし、その一方で、特例法の要件をクリアーするために、必ずしも必要のない手術で身体を傷つけるケースが増加していること、性器の形だけ変えれば女になれる(男になれる)という現実生活軽視の考え方がはびこりはじめていること、そもそも「病気」にならない限り、性別越境者が自分らしく生きられないというシステムに、根本的な点で疑問を抱いている。

だから私は、「性同一性障害」という枠組みに乗らないトランスジェンダーとして、これからも「自分の性別は自分で選び、自分で決め、自分らしく生きる」ことを主張していきたいと思う。

15時半、家を出て皮膚科へ。
6度目の通院。
30分待ち。
注射の量が減る
今日はトラブルなし。

17時、仕事場に移動。
メールチェック、「日記」のアップ、お返事メールの送信。
宅急便を取りに来てもらう。

夜、簡単に身支度して、留守中に配達された本(『戦後日本女装・同性愛研究』)を、受け取りに郵便局に出向く。
またまた、受け渡しを拒否され入手できず。
すごく悔しい!
郵便局とは、相性が悪く、この1年ほど冷戦状態が続いている。

爪を藤色に塗って、お風呂に入る。
就寝、1時(仕事場)。

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