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2008年02月25日 女装男娼の養成所「オカマ学校繁昌記」 [性社会史研究(女装男娼)]

2008年02月25日 女装男娼の養成所「オカマ学校繁昌記」

2月25日(月) 晴れ  東京 8.0度 湿度 19%(15時)

東急東横線、東京メトロ日比谷線、同有楽町線を乗り継いで、永田町駅で下車。
久しぶりに国会図書館へ。

15時過ぎから18時過ぎまで、3時間ほどリサーチ。
まず、新聞記事(現代)3本、論文3本をコピー。
その後、『内外タイムス』1954年5~8月のマイクロフィルムを調査。

『内外タイムス』は、現代にたとえるなら『日刊ゲンダイ』や『夕刊フジ』をもう少し卑俗にしたような新聞。
まともな研究者は相手にしない資料だが、一般紙では把握できない性風俗関係のおもしろい情報がたくさんあり、以前から暇を見ては調査している。
今日、調査したマイクロフィルムも、フィルムの端の状態からして「初(うぶ)」(まだ誰も見ていない状態)だった。

興味が向くまま17本ほどの記事をコピー。
その中で、私の専門分野(女装、男装、男娼、同性愛)に関わるものが8点、買売春(赤線、青線、街娼、売春防止法)関係8点、その他1点(山窩)。

一番、興味深い記事は「オカマ学校繁昌記」(『内外タイムス』1954年7月6日号)。
東京都台東区にあった女装男娼の養成所のルポルタージュ記事。

先生は校長以下4名、生徒は21名。

生徒の年齢は、15歳から45歳(平均年齢28~29歳)、前歴は会社事務員、鉄道員、郵便局員、キャバレー、バーのバーテン、ボーイ、学生、進駐軍キャンプのハウスボーイ、ドサ回りの訳者など。
学歴は、小卒50%、中卒30%、高卒15%、大学中退5%。

授業の課目は以下の通り。
第1課「お化粧」
第2課「和服、洋装の自然な着こなし方」
第3課「声の出し方」
第4課「男娼の心構えと方法(テクニック)」

修学期間は全部通じて1ヵ月半(40~50日)。
修了間近の頃になると「動作が完全に色っぽくなり、付近の風呂屋にへ行っても流し場でペタッと尻をつけたりして女らしさが身についてくる」という。

「化粧」は「普通で一人前になるのに最低1ヵ月の期間を要する」、「着こなし」についても「1ヵ月以上掛からないと“女らしく”なれず、ぎすぎすしたところが目立つ」とされているので、階梯式ではなく、各課目、同時並行だったらしい。

卒業後は、上野、新橋、浅草、吉原、日比谷、丸の内、新宿、高橋(江東区)などの夜の街角に就業していく。

当時の女装男娼の一晩の稼ぎは、外国人相手専門の「洋パン」で3000~10000円。
日本人相手でも、「名士、会社重役芸能家など」上客をつかんでいる者は平均7~8000円という。

以下、簡単な考察。
場所は「上野駅から徒歩10分」とあるから、当時、男娼が多く住んでいた下谷万年町界隈だろう。
授業課目は納得できる。
私がカリキュラムを組んでも(笑)、だいたい同じになるだろう。
ただし、1ヵ月半という修学期間はちょっと短い気がする。
生徒の半数が「学校」に寄宿しているとはいえ、相当のスパルタ教育だっただろう。

授業が一応有料だが、授業料の金額が定ってないなど、実態としては「学校」というより、互助組織的色彩が強いように思う。

女装男娼の稼ぎだが、単純に1晩の稼ぎ×30日=月収にならないことは言うまでもない。
それでも、×15日としても、誇張されている(見栄を張っている)ように思う。

ちなみに当時の物価は、かけ蕎麦25~30円、天丼120円、鰻重300円、銭湯15円、白粉(1缶)500円、郵便封書10円、山手線初乗り10円、映画館100円、日雇い労働者日当407円、公務員初任給8700円、教員(小学校)初任給7800円という感じ。

現在の物価に換算するには、だいたい15~20倍くらいだろう。
7000円×15日=10万5000円(月収)だから、現在の月収に換算すると157~210万円見当になってしまい、ちょっと首を傾げる。
まあ、トップはそのくらい稼いでいたかもしれないが・・・。

18時15分、退館。

コメント
万年町界隈 ルクス’さん
ちょっと調べてみたら…
今の入谷辺りになるんでしょうか?

そうすると、あの近くの千束に親類が…
親類、吉原の隣に住んで、医者やってたそうです。
戦後、両親も住んでたそうで、私の生まれた病院も、あの近くだったと思います。(^^)b
(2008年02月27日 03時40分16秒)

Re:万年町界隈(02/25) 三橋順子さん
ルクス’さん、いらっしゃいま~せ。
>今の入谷辺りになるんでしょうか?
現在の住所表示では、下谷区万年町1丁目が台東区東上野4丁目に、同2丁目が北上野1丁目に相当します。
JR上野駅下谷口を出て北へ歩くか、東京メトロ日比谷線の下谷駅から南に歩くかです。

>そうすると、あの近くの千束に親類が…
千束にも「おきよ」という、上野の女装男娼の大姐さんだった人が経営する、かなり有名な女装バーがありました(1950年代)。

いずれにしても、上野から浅草にかけては、その方面が濃いエリアでした。
(2008年02月27日 04時26分06秒)

女装が犯罪にならなくなったのはいつから? yuri-kさん
確か昔は、単に女装しているだけで、犯罪扱いされていた という記憶がありますが、あたしの記憶間違っているかしら?
売春さえしなければ、女装して外を歩くのがOKになったのは、いつからかしら?
お忙しい中、恐縮ですが、上の二つの疑問、おわかりでしたら、教えて下さるかしら?
(2008年02月27日 10時40分46秒)

Re:女装が犯罪にならなくなったのはいつから?(02/25) 三橋順子さん
yuri-kさん、いらっしゃいま~せ。

>確か昔は、単に女装しているだけで、犯罪扱いされていた という記憶がありますが、
単純に法制的に言いますと、異性装(女装・男装)が犯罪だったのは、明治6~14年(1873~81)の9年間だけです。
ただし、その後も、虞犯行為(犯罪を犯す虞のある行為)として、警官に尋問・拘引されることはしばしばありました。

>売春さえしなければ、女装して外を歩くのがOKになったのは、いつからかしら?
「OK」という意味が難しいのですが・・・。
戦前から平気で歩いていた人もいますし、現代でもあまりに怪しければ職務質問されます。
まあ、ある程度の社会的認知度が得られたのは、1980年代くらいからではないでしょうか?
要は、その人の女装のレベル(社会的適合度)の問題でしょう。
(2008年02月27日 12時45分24秒)

意識的か否かは別にして ぼたんさん
>女装のレベル(社会的適合度)の問題
先日郵便局でどこからどう見てもおじいさんにしか見えなかった方がおばあさんだったりしましたが^^;
似合ってるのに女装と言う服装だけで犯罪扱いになるよりは 女で女装していても犯罪級に見苦しい人
のほうがよっぽど視覚の暴力かもだし(笑)
(2008年02月27日 15時03分19秒)

オカマ養成所? にしやんさん
昔はそんな養成所あったんですね!
今はないのかしらぁ~(笑)
聞いたことないですよねぇ~
(2008年02月27日 15時55分05秒)

Re:意識的か否かは別にして(02/25) 三橋順子さん
ぼたんさん、いらっしゃいま~せ。
>先日郵便局でどこからどう見てもおじいさんにしか見えなかった方がおばあさんだったりしましたが^^;
たしかに、その手のおばあさん、ときどき見かけます。
逆(おばあさんに見えるおじいさん)は、あまり見かけませんが。

>似合ってるのに女装と言う服装だけで犯罪扱いになるよりは 
>女で女装していても犯罪級に見苦しい人のほうがよっぽど視覚の暴力かもだし(笑)
あはは・・・・。
(2008年02月28日 22時12分01秒)

Re:オカマ養成所?(02/25) 三橋順子さん
にしやんさん、いらっしゃいま~せ。
>昔はそんな養成所あったんですね!
>今はないのかしらぁ~(笑)
>聞いたことないですよねぇ~
昔(1970年ころまで)は大阪に有名な養成所があったんです。
東京にもあったのは、新発見?でした。
今は、ないですねぇ。
女装クラブでも、あまり教えてくれませんし。
「Kimono人養成所」でも作りましょうか?
(2008年02月28日 22時14分09秒)


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