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2006年08月08日 僧侶の性転換/神の女性転生 [性社会史研究(性別越境・全般)]

2006年08月08日 僧侶の性転換/神の女性転生

8月8日(火) 雨のち曇り 東京 29.0度 湿度73%

午後、国会図書館へ。

夕方まで、5時間ほどフル回転で作業。
今日は、2つのテーマについて資料を集める。

一つは、中世の仏教教団における性転換。
戒律を持した尼衆が再興されていない状況を改善するために、唐招提寺の僧が、男性から女性に性転換して尼となり、尼衆に戒律を伝えたという話。

西大寺叡尊の自伝『感身学正記』の建長3年(1252)の条に「大小尼衆、すべていまだ再興せざるを悲しみて、一比丘を変じて比丘尼となすこと、奇特常篇を越えたり」とある。

このことについて詳細は、唐招提寺律宗の歴史を記した『招提千歳伝記』(元禄14年=1701 義澄撰述)に、天人が教円という僧に「比丘僧、既に備はると雖も、いまだ比丘尼有らず。先づ汝を以て尼と為ん」と述べたところ、教円は「忽ち男を転じて女と成り」、故郷に帰って、姉に出家を勧めて尼としたと記されている。

もう一つは、熱田神宮の神が、唐に渡って楊貴妃となり、日本侵攻を計画していた玄宗皇帝を色仕掛けで骨抜きにして、日本を救ったという話。
今からすると、めちゃくちゃ荒唐無稽な話に思えるが、「大国の美人 尾州に 跡を垂れ」という川柳があるくらいで、江戸時代にはけっこう有名な話だった。

江戸時代に広く読まれいた井沢長秀(蟠竜)の『広益俗説弁』(正徳5年=1715)には、「俗説に云く、唐の玄宗皇帝、日本をうばはんとはかりける故に、熱田明神、楊貴妃と生れて玄宗のこころを蕩し世を乱し、日本をうつの謀をやめさせ給ひぬ」とある。

この話のベースとして、理由はよくわからないが、少なくとも鎌倉時代には「熱田神宮=蓬莱島」という説が現れる。
比叡山(天台宗)の僧、光宗の『渓嵐拾葉集』(文保2年=1318)には、
「その蓬莱宮は、我が国の熱田社是なり」と記されている

そこで、白楽天の「長恨歌」などで死後、蓬莱島の仙女となったとされている楊貴妃が熱田に来た(居る)ことになり、そこから「熱田の神=楊貴妃」という説が生まれたらしい。
やはり『渓嵐拾葉集』には、「楊貴妃と云ふは、熱田の明神是なり」と明記されている。

そこからさらに逆転して、前述の「熱田の神が楊貴妃になって・・・・」という話が生まれたらしい。

熱田神宮の神格は、ヤマトタケルの愛剣、草薙剣だが、中世には、『とはずがたり』の著者である二条が「この御神は、景行天王即位十年、生まれましましけるに」と述べているように、ヤマトタケルそのものが祭神だと考えられていた。

ヤマトタケルといえば、女装は得意技。
そこから、熱田の神→楊貴妃という発想が生まれたのだろう。

私の視点からすると、僧侶が女性になったり、神が女性に転生したりするのだから、仏教にも神道にも、性別越境(女装・性転換)に対するタブーは無いに等しいということ。

その合間に、読売新聞(西部)が2005年5~6月に10回連載した「両性の間で」をマイクロフィルムからコピーするなど、現代の資料も収集。

17時半、退館。

ハードワークと苦手な高湿度で、すっかり疲れてしまい、帰路の車中で居眠り。
気づいたら、下車駅の学芸大学駅を発車していた。
仕方なく、自由が丘駅から戻る。
ドトール・コーヒーで、一息入れてやっと覚醒。

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