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2005年09月05日 女装男娼の資料 [性社会史研究(女装男娼)]

2005年09月05日 女装男娼の資料

9月5日(月) 雨

昭和戦前期の女装男娼の資料ファイルを整理する。

『週刊朝日』1937年(昭和12)11月21日号の「帝都不良狩の決算」という長い記事を追加入力する。

この記事は、この年2月15日夜から警視庁管下90警察署を動員して3日間にわたって一斉に行われた「不良狩り」についての記事だが、7373人の逮捕者の罪状別内訳の中に、こんな項目がある。

(Q)密淫売=十七名(内、男二名)
「密淫売」は無許可売春のことで、女性に適用される罪状で、本来なら男性が含まれるはずはない。
つまりこれは、「密淫売」の容疑で17名の女性を逮捕したら、内2名は実は女装の男性だったということ。

この時、銀座で「好男子」の私服刑事にウインクを送って逮捕されたのは、吉田菊江(22歳)と大谷芳子(21歳)の二人組だったが、「彼女」たちの容姿についてはこのように記述されている。
「和服の上に、若い女事務員らがよく着てゐる例の防寒着を羽織ってゐるが、二人とも断髪デパーマネントウェーブ、派手な錦紗お召の裙(すそ)が下から覗いて見える。それに赤線の濃いマフラーを撒いてなかなかの美人揃ひだ」
連行した刑事は、まったく疑っていなかった。ところが、
「S刑事の連行した二人は立派な麗人と思ひきや、これが嫣然女装で春を売る闇の男であった」とあるように、吉田菊江は渡貫一馬、大谷芳子は山下子郎という名の男性だった。
保安係の刑事の目をくらますほど、見事な女っぷりだったらしい。

ちなみに、当時は「密淫売」の女性を「闇の女」と言った。
そのことから、女装の男娼は、「闇の男」と記されるケースが多い。

まあ、そういう「良く出来た『娘』」(=どう見ても女性に見えるレベルの女装の男性)は、昔も今も少数ながらいたということ。
いや、身体改変の技術水準を考えたら、今の「良く出来た『娘』」よりはるかにすごいことだと思う。
何しろ、まだ女性ホルモンすらほとんど知られていなかった時代なのだから。

おもしろいのは、「S刑事はその後、人間を見分けることにすべて疑問符を感じ出した」と記されていること。
これは現代でも、出来の良いトランスジェンダーに接した後で、一般人がしばしば陥る現象だ。

昭和12年(1937)は、日中戦争が始まった年で、「小春日和の昭和」が終わり、日本がいよいよ戦時体制に入っていく年だ。
この年には、3月に福島ゆみ子(山本太四郎)、4月に田中茂子(田中茂)と、「闇の男」が、逮捕されたことが立て続けに報道されている(逮捕された場所は、いずれも銀座)。

これは、昭和12年ころになって「闇の男」が増えたのではなく、それまでもずっと存在していた女装男娼が、戦時体制への移行にともなう風紀取締まりの強化によって、表面化したということなのだろう。

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