「ニッポン人脈記」男と女の間には(12) [朝日新聞「男と女の間には」]
朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記」男と女の間には(12)
2010年09月29日 (水)
第12回は、シンガーソングライターの中村中さんと女優の戸田恵子さんの登場。
夕刊早刷り(遠隔地配布)は、いつものように1面掲載。
そこに、北朝鮮のキムジョンウン軍事副委員長就任のニュースが飛び込み、止む無く、遅刷り(首都圏配布)は、2面掲載になりました。
その分、スペースが大きくなり、字詰めがゆったりし、写真も大きいです。
記事の末尾の中村さんの思いに感動。
「性別がかたどる自分はせいぜい半分かな。私には歌がある。みんな何かを背負いながら、でももっと大切なものを持っている。いつか見つけられる」
ほんとうに、その通りだと思います。
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ニッポン 人脈記 男と女の間には(12)
もっと大切なものがある
2007年の大みそか、歌手の中村中(あたる 25)は紅白歌合戦に紅組から出場した。
歌に入る前、中村の過去の写真が映し出され、ナレーションがかぶさった。
「中さんは男性として生まれ、性同一性障害でずっと悩んできました」
笑福亭鶴瓶(58)が母親からの手紙を読んだ。「重い荷物を背負わせてしまいました」。ここで中村は涙ぐむことを期待されていたのかもしれない。しかし、笑顔で受け答えを済ませると「友達の詩」を静かに歌い始める。
?手を繋ぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい それすら危ういから 大切な人は友達くらいでいい
番組の演出に、中村は心中思っていたのだ。お涙ちょうだいはごめんだよ――。
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中学に上がる頃、中村はテレビで研なおこ(57)の「泣かせて」を聴いた。歌にひかれるようになったのはその時からだ。
?泣かせて なかせて 自分が悔しいだけよ。
思うように人と話ができず、ふさぎ込むことの多い子どもだった。「怒り、悲しみ、みんな歌で表現すればいいんだ」。15歳で初めて作った曲が「友達の詩」だった。
20歳を過ぎてデビューが決まる。レコード会社は、性同一性障害のことを公表して注目を集めようとした。中村は悩んだ末、言わないのもウソをついているようだからと同意した。
果たして中村の歌は性同一性障害と結びつけられて語られることになる。「友達の詩」を聴いた人の多くは、だから好きな人に相手にされず、悲しい恋をしたのだと受け取った。
そうではないと中村は言う。好きという気持ちは本当にピュアでなければいけないのに、私はそこまでピュアだろうか。相手がどう思うかではない、と。
小学生の時は男子だけがする組体操が嫌でサボったことがあったし、中学で変声期に入ると自分の声に我慢できず楽器に走った。心と体が違う。自分は何者か、人一倍突き詰めて考える日々だった。
それが歌に影響しないはずはないし、「そういう人が歌っているにおいがする」のは自分でもわかる。でも性同一性障害を表現したわけではない。若い頃に誰しも抱える、もろく切ない感情を、歌に注ぎ込んだ。
紅白に出た年の夏、中村は女優の戸田恵子(53)と出会う。
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声優でもある戸田は1974年、あゆ朱美の名で歌手デビューした。歌手では売れなかったが、50歳を機に新曲を出すことになる。「等身大の自分を若く才能のある人に書いてもらいたい」。中村に白羽の矢が立った。
東京・六本木の料理店で2人きりで会った。きりたんぽをさかなに、夜9時ごろから飲み始める。戸田が自分の50年を語り、中村は「ピンと来るフレーズ」があるとメモを取った。気づけば午前3時を回っている。
会う前、戸田は中村の歌を聴いて「踏み込んではいけない、ガラス細工のような心を持った人」だと思っていた。会ってみると、屈託のない明るさと、音楽の世界で頭角を現すだけの芯の強さを持っていた。
後日、中村がピアノの弾き語りで歌った曲が、ノートに手書きの詩とともに送られてきた。タイトルは「強がり」とある。
?あたしにだって 泣いている夜くらいあるわって そんな風に言ったら、今度はみんなわらうのかしら
戸田は泣いた。泣く暇なんてない芸能界で33年走ってきた自分の気持ちそのものだった。
みんなそうでしょ 強がり――歌はそう終わる。私だけじゃない。誰だって自分の人生をそうやって生きている。戸田はライブで、この最後のくだりはとりわけ心を込めて歌う。
最近、中村は子どもの頃に初恋をした男性に再会した。当時いじわるをした男性は言った。「それしかやってないっていうほど音楽に打ち込んでて、うらやましかったんだ」
女の子みたいだからいじわるしたんじゃないんだ、中村はそれを知ってうれしかった。
性別がかたどる自分はせいぜい半分かな。私には歌がある。みんな何かを背負いながら、でももっと大切なものを持っている。いつか見つけられる。
中村は、そう思っている。
(渡辺周)
2010年09月29日 (水)
第12回は、シンガーソングライターの中村中さんと女優の戸田恵子さんの登場。
夕刊早刷り(遠隔地配布)は、いつものように1面掲載。
そこに、北朝鮮のキムジョンウン軍事副委員長就任のニュースが飛び込み、止む無く、遅刷り(首都圏配布)は、2面掲載になりました。
その分、スペースが大きくなり、字詰めがゆったりし、写真も大きいです。
記事の末尾の中村さんの思いに感動。
「性別がかたどる自分はせいぜい半分かな。私には歌がある。みんな何かを背負いながら、でももっと大切なものを持っている。いつか見つけられる」
ほんとうに、その通りだと思います。
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ニッポン 人脈記 男と女の間には(12)
もっと大切なものがある
2007年の大みそか、歌手の中村中(あたる 25)は紅白歌合戦に紅組から出場した。
歌に入る前、中村の過去の写真が映し出され、ナレーションがかぶさった。
「中さんは男性として生まれ、性同一性障害でずっと悩んできました」
笑福亭鶴瓶(58)が母親からの手紙を読んだ。「重い荷物を背負わせてしまいました」。ここで中村は涙ぐむことを期待されていたのかもしれない。しかし、笑顔で受け答えを済ませると「友達の詩」を静かに歌い始める。
?手を繋ぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい それすら危ういから 大切な人は友達くらいでいい
番組の演出に、中村は心中思っていたのだ。お涙ちょうだいはごめんだよ――。
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中学に上がる頃、中村はテレビで研なおこ(57)の「泣かせて」を聴いた。歌にひかれるようになったのはその時からだ。
?泣かせて なかせて 自分が悔しいだけよ。
思うように人と話ができず、ふさぎ込むことの多い子どもだった。「怒り、悲しみ、みんな歌で表現すればいいんだ」。15歳で初めて作った曲が「友達の詩」だった。
20歳を過ぎてデビューが決まる。レコード会社は、性同一性障害のことを公表して注目を集めようとした。中村は悩んだ末、言わないのもウソをついているようだからと同意した。
果たして中村の歌は性同一性障害と結びつけられて語られることになる。「友達の詩」を聴いた人の多くは、だから好きな人に相手にされず、悲しい恋をしたのだと受け取った。
そうではないと中村は言う。好きという気持ちは本当にピュアでなければいけないのに、私はそこまでピュアだろうか。相手がどう思うかではない、と。
小学生の時は男子だけがする組体操が嫌でサボったことがあったし、中学で変声期に入ると自分の声に我慢できず楽器に走った。心と体が違う。自分は何者か、人一倍突き詰めて考える日々だった。
それが歌に影響しないはずはないし、「そういう人が歌っているにおいがする」のは自分でもわかる。でも性同一性障害を表現したわけではない。若い頃に誰しも抱える、もろく切ない感情を、歌に注ぎ込んだ。
紅白に出た年の夏、中村は女優の戸田恵子(53)と出会う。
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声優でもある戸田は1974年、あゆ朱美の名で歌手デビューした。歌手では売れなかったが、50歳を機に新曲を出すことになる。「等身大の自分を若く才能のある人に書いてもらいたい」。中村に白羽の矢が立った。
東京・六本木の料理店で2人きりで会った。きりたんぽをさかなに、夜9時ごろから飲み始める。戸田が自分の50年を語り、中村は「ピンと来るフレーズ」があるとメモを取った。気づけば午前3時を回っている。
会う前、戸田は中村の歌を聴いて「踏み込んではいけない、ガラス細工のような心を持った人」だと思っていた。会ってみると、屈託のない明るさと、音楽の世界で頭角を現すだけの芯の強さを持っていた。
後日、中村がピアノの弾き語りで歌った曲が、ノートに手書きの詩とともに送られてきた。タイトルは「強がり」とある。
?あたしにだって 泣いている夜くらいあるわって そんな風に言ったら、今度はみんなわらうのかしら
戸田は泣いた。泣く暇なんてない芸能界で33年走ってきた自分の気持ちそのものだった。
みんなそうでしょ 強がり――歌はそう終わる。私だけじゃない。誰だって自分の人生をそうやって生きている。戸田はライブで、この最後のくだりはとりわけ心を込めて歌う。
最近、中村は子どもの頃に初恋をした男性に再会した。当時いじわるをした男性は言った。「それしかやってないっていうほど音楽に打ち込んでて、うらやましかったんだ」
女の子みたいだからいじわるしたんじゃないんだ、中村はそれを知ってうれしかった。
性別がかたどる自分はせいぜい半分かな。私には歌がある。みんな何かを背負いながら、でももっと大切なものを持っている。いつか見つけられる。
中村は、そう思っている。
(渡辺周)
2012-09-16 08:33
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