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「ニッポン人脈記:男と女のあいだには」(13・最終) [朝日新聞「男と女の間には」]

朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記:男と女のあいだには」(13・最終)

2010年9月30日(木)

大地震が来ることもなく、火山が噴火することもなく、お陰さまで、朝日新聞(夕刊)「ニッポン人脈記:男と女のあいだには」「第13回(最終)違いがあっていいんだよ」が無事に紙面に載りました。

前・杉並区立和田中学校校長の藤原和博さんと私のコラボです。

写真は、新宿歌舞伎町旧コマ劇前での撮影。
蒸し暑いうえに風が強く、屋外撮影には最悪の条件でしたが、「髪を押さえるしぐさが色っぽいので」(渡辺記者)ということで、この写真になったようです。

同時に、この「男と女のあいだには」シリーズも完結となりました。

お世話になった皆様に、心から感謝いたします。

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ニッポン 人脈記 男と女の間には(13)
13回.jpg

違いがあって いいんだよ
きりりとした着物姿とは裏腹に、三橋順子(55)は不安でいっぱいだった。いざ、教室の扉を前にすると、ためらわずにはいられない。

「子どもって容赦ないからな。『おかま』って指をさされて笑われたらどうしよう」

2001年9月、三橋は東京都足立区立第十一中学校に講師として招かれていた。誘ったのはリクルート社員だった藤原和博(54)である。後に都内の公立中学校では初の民間人校長になる藤原は、この第十一中学校で、教師らと協力して「よのなか科」という授業を始めていた。

恐る恐る教室の扉を開けた三橋を、3年の生徒たちは割れんばかりの拍手で迎えてくれた。三橋を講師に「差異と差別」を考える授業は、男子生徒のこんな質問で始まった。

「女として生きたいって目覚めたのは、いつごろですか」

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子どもの頃から女性的なところはあったが、三橋がはっきり自覚したのは22歳の時だった。渋谷駅で茶色のブーツをはいた美女を見かけ、「自分もああなりたい」と切に願った。

結婚直前の29歳で女装を始める。これから夫になるのだからと「最初で最後」のつもりだった。通販で仕入れたカツラ、洋服を身につけ、鏡の前に立つ。女の自分は思っていた以上にきれいで、やめられなくなった。

自分は夫であり、勤務先の大学では男性研究員だ。なのに女でいたい。罪悪感がぬぐえず、これが最後だと女装しては道具一式を捨てる繰り返しだった。35歳で秋葉原の女装クラブに通い始め、40歳のときに歌舞伎町でホステスになった。

「女の自分」が大きくなり、大学を辞めた。論文は書き続けたが、研究対象は日本古代史から、女装の文化史など「多様な性」に移る。そんな頃に知り合い、渋谷の居酒屋で語り合ったのが藤原だった。

藤原が開いていた「よのなか科」は、社会のあり方を実践的に学ぼうとする授業だった。ハンバーガー店の店長の立場から「輸入と輸出」を考えたり、理想の住まいを白紙に描いたうえで建築家に技術や予算について学んだりしていた。

三橋を招いたのは、人と違うことと、それを攻撃し排除しようとすることの二つをみんなで考えるためだった。男にして女、大学教員にしてホステスという三橋の経験談は、生徒の思考能力を鍛えるに違いないという思いもあった。

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授業では、藤原による「男女度チェック」もあった。「かよわい」「さっぱりしている」など10項目について、自分の性格に当てはまる度合いを5段階で選び、総合して判例する。

男子なのに「女」と出た生徒が続出した。逆もしかり、参観に来た5人の母親は全員「男」と出て、どっと笑いが起きる。藤原は「誰にでも自分の性とは違う傾向が自分の中にある」とみんなに言った。

自分が少数派になった経験はありませんか、とも藤原は尋ねた。生徒が口々に語る。
「天然パーマとからかわれた」「無視されている子と仲良くしたらアザだらけになるまで殴られた」。三橋が言った。「自分は多数派だと思っていても、いつ突然、少数派になるか分からない。それを覚えておいて」

三橋を招いての授業は、藤原が杉並区立和田中学校の校長になってからも、退任する08年まで毎年開かれた。2人が授業で伝え続けたことがある。

違いをあげつらい、少数派を生むことで多数派がまとまり、差別が始まる。最初はささいなことかもしれないが、その積み重ねを放っておけば、やがてナチスドイツによるユダヤ人虐殺「ホロコースト」のような悲劇につながっていく―。

三橋は今、多摩大学の講師として教壇に立っている。人は誰でも少しずつ違う。違いはあっても、ともに社会を形作る仲間だと考える。そういう教え子が一人でも増えて、そこから共感が広がっていけばいい。「種まき、ですよね」と三橋は言う。

少数派を囲む見えない壁は、なお高く、厚いかもしれない。変幻自在でしぶとくもある。
それでも、人は種をまく。

(このシリーズは文を渡辺周、写真は近藤悦朗が担当しました。本文敬称略)

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