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2010年05月08日 最小規模の遊廓、最果ての遊廓 [性社会史研究(遊廓)]

2010年05月08日 最小規模の遊廓、最果ての遊廓

5月8日(日)

上村行彰著『日本遊里史』(春陽堂、1929年)の巻末附録「日本全国遊廓一覧」の表をながめていると、「う~ん・・・」と唸ってしまうような「遊廓」がいくつかある。

たとえば・・・、
島根県八束郡美保関村中浦小路「美保関遊廓」 貸座敷1軒 娼妓2人

美保関は、長~く伸びる島根半島の最突端の小さな港町。
今でこそ、松江市に属し、対岸の鳥取県境港市から橋が架かっているが、以前は陸の孤島で、交通は事実上、船だけだった。

大学院生の時に陸路(バス)で「美保神社」に行ったことがあるので知っているのだが、昭和の初め、あんな辺鄙なところに1軒だけ貸座敷があり、たった2人の娼妓がいたのだ・・・。

と書いて、待てよ、と思う。
江戸時代、日本海航路(北前船)が盛んだった時代、美保関は中継港として大いに栄えたはず。
で、調べてみたら、やはり江戸時代には西日本有数の遊廓で、最盛期には村の人口の4分の1が遊女だったとのこと。

「貸座敷1軒 娼妓2人」は、かって繁栄を極めた美保関遊廓の最後の姿だったのだ。

次に、
佐賀県東松浦郡佐志村「佐志遊廓」 貸座敷2軒 娼妓1人

現在の佐賀県唐津市佐志で、唐津港から大島を挟んで北側の入江にある小さな港。

客は、漁師だろうか・・・。
それにしても、こんな所で、娼妓1人で2軒掛け持ちする意味はないと思うから、たまたま1軒の娼妓が欠員だったのだろうか。

でも、もっとすごいところが・・・。

北海道美国郡美国町大字澗 貸座敷1軒 娼妓1人
北海道紗那郡紗那村 貸座敷1軒 娼妓1人

これぞ、最小規模の遊廓、さすがは北海道と言うべきか・・・。

前者は、現在の積丹郡積丹町美国町。
積丹半島の突端に近い小さな港町。
やはり、船乗りの需要があったのだろう。

後者の紗那(しゃな)村は、現在の「北方領土」択捉島中部のオホーツク海に突き出した散布半島のあたりにあった村。
一応、択捉島第2の集落だが、村の人口は1426人(昭和15年=1940年の国勢調査)にすぎない。
もうほんとうの最果ての遊廓。

でも、港に漁船が入れば、けっこう稼げたのかも。
なにしろ「独占企業」だから。

いったい、どんな女性がそこにいたのだろう?
たぶん地元の人ではないだろう。
となると、根室の遊廓「梅ケ枝町」あたりから出張してきたのだろうか?
それとも、もっと遠くから流れ流れて、とうとう最果ての島へ・・・だったのか?

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