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「ニッポン人脈記」男と女の間には(7) [朝日新聞「男と女の間には」]

朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記」男と女の間には(7)

2010年09月16日(木)

第7回は、大阪ミナミのニューハーフ・ショーパブ「ベティのマヨネーズ」のママ、ベティ春山さん(54)の登場です。

このシリーズ、「『男と女の間』の人」=性同一性障害の人と思いこんで、性同一性障害者の特集であるかのように思っている人がいるようですが、まったくの誤解です。

「『男と女の間』の人」は、性同一性障害の人ばかりではありません。

いえ、むしろ「『男と女の間』の人」という点では、生まれた時と反対の性への同化を強く願う性同一性障害の人たちより、開き直って「第3の性」を生きているニューハーフやトランスジェンダーの方が、よほどふさわしいのです。

それはともかく、ベティママ、私と1つ違いだったんだ・・・。
(調べたら、1955年11月生まれだから、同年&同学年じゃん)

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ニッポン 人脈記 男と女の間には(7)
7回.JPG

ニューハーフ 薩摩に帰る
今宵あなたと梅田のモーテル 帰りたくない気持ちもいいじゃない

作者の桑田佳祐(54)を前に、ベティ春山(54)は上がってしまってどうにもうまく歌えずにいた。この「I LOVE YOUはひとりごと」がデビュー曲になるというのに、レコーディングは一向に進まない。

1981年、大阪で「おかまバー」のホステスをしていたベティは、桑田の事務所の有力者が来店した縁でレコードを出すことになった。ベティは25歳、サザンオールスターズの桑田は同年代とはいえ時代の寵児である。

ベティの緊張が解けないまま数時間が過ぎた。嫌な空気を払って桑田が言う。「ねえ、ベティはどこの国のハーフなの?」

西洋人のような顔立ちを見て、桑田は勘違いしたらしい。ベティが言い返す。
「ばかねえ。男と女のハーフじゃないの」

スタジオは笑いに包まれた。これはいいと、ベティを「ニューハーフ」と称して売り出すことが決まる。以後、男だったが、女としてタレントやホステスをしている人たちを広くニューハーフと呼ぶようになった。

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きらびやかな世界で「元祖ニューハーフ」となったベティは、鹿児島県の山あいに広がる錦江町で生まれ育った。

「九州男児は男らしく」という薩摩の地で、編み物が好きな男の子は、すっかり浮いた。「おなご」と呼ばれ、石材師の父は息子の髪が伸びると「丸刈りにしてこい」と命じた。

ベティが我が意を得たりと思ったのは20歳の頃、進学先の大阪で遊びに行った店で女装の美人を見た時だ。さっそく自分も「おかま」として働き始める。29歳で大阪・ミナミに「ベティのマヨネーズ」を開店し、「宝塚と吉本の要素がある」ショーを売りにした。

そんなベティに、郷里は渋い顔を見せ続ける。父の葬儀に帰れば冷たい目が待っていた。ベティは手を合わせながら思った。「父さん、私ってそんなに恥ずかしいですか」

頑固な父だった。でも、大阪に出る時には10万円をこっそりカバンに入れてくれた。

郷里にも、理解してくれる人がいなかったわけではない。アルバイト先だった電器店の後継ぎ水流(つる)秀作(50)は、帰省するたびに車で送り迎えしてくれた。

5歳下の水流をベティは幼いころから可愛がっていた。水流にもベティは風変わりと映ったが、2人はなぜか気が合った。ベティがニューハーフになっても変わらない。水流が大阪のベティの店に遊びに行った時は、ショーに感嘆して帰ってきた。

ベティの帰省は、人目に付かないよう夜遅く来て、朝早く出るのが常だった。ベティが大阪に戻ると、水流は地元のスナックで「I LOVE YOUはひとりごと」を歌った。

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レコードは売れなかったが、ベティはニューハーフとしてテレビに出ることが増えた。すると郷里の視線も和らいでいく。応援する声も上がり始めた。水流は「みんな勝手なもんだな」と思わないわけでもない。ニューハーフという言葉が、侮蔑的に使われることの多い「おかま」に取って代わりつつあった。

町の人たちに応えようと、ベティも動く。35歳の頃から地元の老人ホームで毎年、慰問コンサートを開くようになった。

ベティの母もここに入所していたが、4年前に89歳で他界した。「姿形がどうなっても、自分にとっては息子です」とテレビで言ってくれた母だった。亡くなる直前の夏、祭りの花火を見ながら一緒に写真を撮ったのが最後の思い出になった。

コンサートはいつも高校の先輩の司会で、音響は水流が担当している。ベティは今年も5月、ホームで100人ほどのお年寄りに懐メロを歌って聴かせた。小さい頃からの顔見知りも多い。「おかあちゃん、帰ってきましたよ。いつまでも元気でいてね」。涙ぐむ女性もいる。

ベティは言う。
私は強い。だけど寂しいというのは別物。ここで励まされているのは私の方なのよ――。実家も既になくなった。それでも、この町はベティの帰る所であり続けている。
                      (渡辺周)


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