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2009年06月04日 東京の花街を調べる [性社会史研究(花街)]

2009年06月04日 東京の花街を調べる

6月4日(木) 曇り  東京 20.2度 湿度58%(15時)

11時半、起床。
シャワーを浴びて、髪をポニーテールに結んで、シュシュを巻く。
朝ご飯は、アップルパンとコーヒー。

午後、今日のお天気と同じで、どうも気分がすっきりしない。
だらだら過ごす。
「日記(3日分)」を書く。

思い立って、「東京の花街(三業地・二業地)」について、ちょっと調べる。

今は「東京六花街」(新橋・赤坂 ・神楽坂・芳町・向島・浅草)なんて言ってるが、戦前には、現在の葛飾・杉並・練馬区を除く全区に50カ所くらいあったらしい。
そのうち、簡単なリストを作ってみようと思う。

今では、そこに花街があったことが忘れ去られている所も多い。
たとえば、ウチから遠くない目黒(目黒区下目黒3丁目)。

江戸近郊の行楽地である目黒不動尊の門前の茶屋・料理屋から発展した花街(二業地)で、そこの芸者は、目黒の名産にちなんで「竹の子芸者」などと呼ばれた。
下町の花街が関東大震災で大打撃を被った後、大正末~昭和初期に賑わい、昭和初年には、芸妓置屋35軒、料亭40軒があった。
しかし、その後は、都心から離れた足の便の悪さから次第に衰退した。
まあ、山の手の新興の花街の典型的パターン。

最寄り駅は。東急目黒線不動前駅。
あの辺りは、何度も行っているけども、ほとんど名残はないように思う。
もう一度、探検してみよう。

同じ東急目黒線の西小山にも花街があった
指定地は、品川区小山6丁目6,7,8,21番地、小山5丁目25番地の一部、荏原5丁目7,15,16番地のそれぞれ一部。

立会川(現在は暗渠化されて緑道)の両側に料亭が並んでいた。
昭和40年頃には、まだ料亭15軒、芸者40人ほどが残っていたが、今は絶滅。
10年ほど前までは、駅の近くに芸妓教練場だった建物がそのまま残っていたが、今はどうなっただろう?

夕食の支度。
豚たんを焼く。
後は、残りものの片付け。

夜中も、書かなければいけない原稿があるのだけど、気力が出ない。
ネットを巡回したり、バーチャル・リアリティ世界に逃避したり、だらだら。
まあ、こんな日もあるのかな。
就寝、4時。

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