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「半玉体験記-ある大先輩の思い出話・1960年代初頭の女装世界-」 [性社会史研究(性別越境・全般)]

2013年2月10日(日)
「半玉体験記」はある女装世界の大先輩(仮名:文枝さん)にうかがった思い出話をもとに構成したものである。

この出来事があったのは1961年(昭和36)2月、文枝さんは21歳、都内某有名私立大学の学生だったが、生活費稼ぎのために青山にあった「音羽(おとわ)」という歌舞伎系和装ゲイバーでアルバイトをしていた。

お話をうかがったのは2001年、インタビューという形ではなかったので、録音はせず、メモをとっただけだった。
したがって、会話の細部はそのままではないが、内容的にはほぼうかがった話のままである。

あらたまった形で採録した話ではないので、学術資料として使えるかは微妙だが、昭和30年代中頃(1960年代初頭)の女装世界の一端をうかがう話として興味深いので、ここに紹介する。

なお、歌舞伎系和装ゲイバー「音羽」については、下記を参照のこと。
三橋順子「日本女装昔話 【第9回】 歌舞伎女形系の女装料亭『音羽』」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_09.htm
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F「あれは2年生の春休み、2月の中頃だったと思う。学年末試験が終わって、ほとんど毎日のように店に出ていたら、文哉ママに呼ばれて『いいアルバイトあるんだけど』と言われた。まあ、察しはつくよね、プライベートで誰かお客さんの相手をしろってことだと。『どなたですか』と聞いたら『お店のお客さんじゃないわ。あなたが知らなくていい人よ』と言う。少し不安だったけど、なにしろ苦学生で、お金なかったからね。店でもらうお金はだいたい毎月の下宿代と生活費で消えちゃう。それだと学費の算段がつかないんだ」
J「ああ、学費ですか。それで引き受けたんですね」
F「そう。ママから日時と旅館の名前が書いてある紙、あとその旅館のマッチを渡されて、ともかくそこへ行けって」
J「マッチですか?」
F「そう、マッチ箱、商売屋が客に配る、電話番号が書いてある」
J「ああ、なるほど。それで、旅館の場所は?」
F「東横線に綱島って駅あるの知ってる?」
J「はい、私、東横沿線なので」
F「あそこは、昔、綱島温泉って言ってね、温泉旅館が何軒かあったんだ。今はもうないと思うけど」
J「はい」
F「でね、指定の日の午後に渋谷から電車に乗って行った。綱島の駅前に地図が有ったから、電話を掛けるまでもなく旅館の場所はすぐにわかった。指定は16時だったけど、少し早めに着いた。玄関入って案内を請うと、女将さんらしい小柄な中年の女性が出てきて『〇〇さんですね』と尋ねるので『はい』と返事をすると、『お上がりください。お話はうかがっておりますので』と言う。通されたのは、普通の座敷で、座る間もなく『まず、お湯をお使いください。こちらにどうぞ』と風呂場に案内された。『それと、お顔はしっかり当ってください』と言われた。そこはまあ、いつものことだから、体を洗って髭をきれいに剃ってね。用意されていた浴衣と丹前に着替えて、元の座敷に戻ると、鏡台が部屋の隅から引き出されていて、そこに座らせられた。それで女将さん自ら顔を作ってくれた」
J「本化粧ですか?」
F「そう、水白粉で。店で何度も経験しているから手順はわかっているけど、自分でやるよりずっと念入り。顔、首、背中、胸、それと、手首から先も塗ったな。で、眉描いて、目張り入れて、紅さして…」
J「時間、かかりますね」
F「そうでもないよ。慣れている人の手は早いから。1時間ちょっとくらいかな。でね、化粧が終わったら、『しばらく行けませんから、どうぞ』って厠に案内されて、戻ってきたら、女将さんが『お着付けします。お任せください』と言う。いまさら嫌も応もないから、『はい』とだけ返事した。そしたら、全部脱がされて真っ裸。で、緋の湯文字、緋色の腰巻と着けられていくわけ。ああ、これは本格的だなと、今更ながら思った。自分では芸者の姿にされるのかなと思っていたら、長襦袢の袖が長い。着せられたのは大振袖。紫に紅白の梅の柄だった。店で着ているものよりずっと良いものだというのもわかる。帯は錦の上物を後見結びにしてね。ああ、半玉だなって。半玉、わかる?」
J「京都でいう舞妓のことですよね」
F「そう芸者の見習いを関東では半玉っていうの。舞妓と違って着物の裾は引かないんだよ」
J「あっ、そう言えばそうですね」
F「鬘は桃割れ。梅の花簪をさしてね。驚いたのは鬘がぴったりだったこと。少し大き目に作ってあったのかな。で、一度、鬘を合わせたのに、女将さん、鬘を取るんだ。あれ?と思ったら、『このまま、お呼びするまで、ここでお待ちください。鬘は後でちゃんとしますから』と言って行ってしまった」
J「何時頃ですか?」
F「何時頃だったかな?ともかく外はもう真っ暗。何もすることないわけ。それで、鬘は自分で被り方わかっているから、被ってね。姿見に映して。普段は芸者姿だから、半玉姿が新鮮でね。けっこう自己陶酔していた」
J「どのくらい待っていたんですか」
F「30分、いやもっとだな、1時間近くかな、そこらへんになると時間の感覚がなくなっちゃってね」
J「はい」
F「やっと、女将さんが戻ってきて、鬘をつけ直してくれた。で、手を引かれるように、廊下を進んで、奥の座敷へ連れて行かれた。女将さんが『お連れしました』と声をかけて座敷に入る。自分も後に続く。座敷には立派な和服を着た白髪頭の老人が杯を傾けていた」
J「何歳くらいの方ですか?」
F「当時は自分が若造だったから、かなり年配に見えたけど…、そうだなぁ60代だったと思うな。三つ指ついて『初めまして。文枝です。よろしくお願いいたします』と挨拶した。女将さんが『こちらに来てお酌なさい』と言うので、ご老人の横に座ってお酌をした」
J「それで…」
F「ご老人はもっぱら女将と話しているから、黙ってお酌してるだけ。そこらへんはいつも店でやっていることと変わりないから。たぶん、食事はもう済んでいて、くつろいでいるって感じで、お酒のペースもゆっくりだった。それで、ときどき、思い出したように質問してくる」
J「どんなことですか」
F「う~ん、よく覚えていないな。『いつから店に出た?』『1年ほど前からです』『学校行ってるのか?』『はい』みたいな感じだったと思うな」
J「それで…」
F「うん、それで、お床入りさ。隣の部屋に豪華な夜具が延べてあった。ご老人が女中さんに案内されて、お湯に行く間に、そっちに移動。女将さんが付いてきて、帯を解いて振袖を脱ぐのを手伝ってくれた。で、去り際に『いいですね、何をされても我慢するのですよ』と念を押す。内心、小娘じゃあるまいし…と思った。恰好は小娘なんだけどね。「はい」と返事して、長襦袢姿で夜具の裾に座って待っていた。長襦袢はお七鹿の子だった。お七鹿の子ってわかる?」
J「はい、地が緋色と水色で鹿の子柄」
F「あなた、若いのにいろいろよく知っているね。話が早いわ」
J「ありがとうございます。それで…」
F「ご老人が戻ってきて、同衾かなと思ったら、『腰を揉んでくれ』と言う。それでマッサージの真似事をしていたら、ご老人の手が尻に伸びてきて、まあこっちもわかっているから、触りやすいようにお尻を寄せてさ。その内、『揉むのはもういいから、ここに横になりなさい』と言う。鬘付けたままだから、箱枕あてて仰向けになった。ご老人が裾を開いて、長襦袢とお腰をまくる気配、いよいよかなと思ったら…」
J「思ったら…」
F「いきなり、咥えられた」
J「え~っ、ご老人が文枝さんのを…ですか?」
F「そう、ほんとうにいきなり。普通だったら手で触ってとか、撫でてとか、手順があるじゃない。さすがに驚いたよ。ところが、けっこうというか、とても上手なのさ。で、高まってきて、身もだえしたら、ますます激しくしゃぶってくる。とうとう放ってしまった。ご老人の口へ」
J「え~~っ! それで…」
F「それだけ。ご老人、全部飲んでしまったんだと思うよ。自分は、なんだか魂抜かれたみたいな感じでね。ああ、そうだ、思い出した。ご老人、ちゃんと後始末してくれたんだ。あそこに花紙をあてて、長襦袢の裾を直して…。あと、去り際に『ご苦労さん、ゆっくり休んでいきなさい』って」
J「へ~~ぇ、それだけ? それだけでご老人、帰っちゃったんですか?」
F「そう。帰っちゃった。自分としてはそれこそ一晩中、弄ばれるのかと思って覚悟してたからね、なんか拍子抜けしちゃって。しばらくそのまま虚脱してたら、女将さんが入ってきて、お湯へ連れて行ってくれた。身体を洗って、化粧も落として。普通の浴衣に着替えて、最初に化粧した部屋に戻ったら、布団が延べてあって、女将さんが『もう遅いですから、お泊まりなさい』と言う」
J「それで…」
F「朝は、普通の旅館のような食事が出て、食べ終えてお茶を飲んでいると、女将さんが入ってきた。『御礼』と書いた熨斗袋を渡しながら『おわかりでしょうが、くれぐれも口外なさいませんように』と念を押す。『はい、承知しています』と答えると、風呂敷包を指して『こちらのお着物と長襦袢、よろしければお持ちになります?』と言う。こっちは熨斗袋の中身が気になっていて、つい『けっこうです』と言ってしまった。そしたら、『では、こちらで処分いたします』と行ってしまった」
J「もったいない」
F「そうなんだよ、店に戻って文哉ママに報告したら『あんた、馬鹿だね、自分で着なくても売ればいいだろう。いいお金になるのに』と怒られた」
J「そうですね。上等の大振袖なら、今のお金に直せば50万円とかですよね」
F「そうだな、もっとかも。でも、自分としては学費稼ぎのバイトのつもりだったからね。お金の方に頭が行ってたんだと思う」
J「で、失礼ですけど、熨斗袋の中は?」
F「聖徳太子の大きいのが3枚」
J「聖徳太子って当時の一万円札ですよね。昭和30年代後半の3万円って、今の貨幣価値に直すと、だいたい10倍くらいだから、30万円くらいになると思います」
F「うん、だいたいそんなもんかな。それから2年後に自分がもらった最初の月給が2万円だったからね。ああ、そうだ、学費がね、年間3万円だったの。普通は半期で納めるから前期分は1万5千円なんだけど、その年度だけは前後期一括納入だった」
「よかったですね」
F「礼金だけじゃないよ。あのご老人、わざわざ着物を作らせてると思うんだ。で、旅館には料金のほかに口止め料をたっぷり弾んで、当然、文哉ママにも紹介料が渡っていたはずなんだ。つまり、女装した『娘』の精を吸うために、一晩に、今のお金にして100万円以上を使っていると思う」
J「すごいですね」
F「金持ちの道楽と言えばそうだけど、ある意味、いい時代だったのかもしれないな」
J「はい」
F「それとね、ご老人だけど、どこかで見たことがあるなと思ったんだよ。そうしたら、就職して少し後に、新聞を見ていたら、ある偉い人の訃報が載っていて、その写真が…」
J「ご老人だったんですね」
F「うん、まあ、誰だかは言わない方がいいね」
J「はい、そこまでうかがおうとは思いません。今日は、貴重なお話、ありがとうございました」

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