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2010年02月24日 戦後の男娼関係資料の整理 [性社会史研究(女装男娼)]

2010年02月24日 戦後の男娼関係資料の整理

2月24日(水) 晴れ 東京 7.6度 湿度 19%(15時)

12時、起床。

シャワーを浴びて、髪をポニーテールに結ぶ。

朝昼ご飯は、ガーリックフランス、生ハム、オニオンスライス、きゅうり、それにコーヒー。

今日は、原稿が上がったので、のんびり過ごすことにする。

午後、日差しの暖かなベッドに横になって、本を読む。
ああ、こんなのんびりした気分、いつ以来だろう。

ところが、1時間ものんびりしていられない。
なんて、貧乏性なのだろう(嘆)

部屋の片づけ(資料探し)をして、次の仕事に取りかかる。

数年前、国会図書館に複製が所蔵されている「プランゲ文庫」でコピーしたまま放置していた戦後の男娼関係の資料(主にカストリ雑誌の記事)を整理する。

夕方まで、3時間ほど、コピーの山と格闘。

まず、東京(ほとんどが上野)と大阪とを分別する。
大阪の男娼記事は、意外に多く11本もあった。
ほとんど「旭町」(大阪市阿倍野区旭町)だが、これはこれで十分に分析対象になる。

次いで、東京の男娼記事を、昭和22~23年(1947~48)と昭和24年(1949)とに分ける。
これは、昭和23年11月22日夜に起こったいわゆる「上野男娼警視総監殴打事件」の前後で、メディア(カストリ雑誌)の男娼に対する扱い(注目度)がまったく違うため。

注目されて、おもしろおかしく書きたてられる以前の記事の方が、信頼度が高く、より実態を伝えていると思うので。

事件以前の記事は、24本ほど。

なお、この事件について、詳しく知りたい方は『女装と日本人』179~183頁、もしくは下記のサイトをどうぞ。
「日本女装昔話14 警視総監を殴った男娼『おきよ』」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_14.htm

最後にルポルタージュと小説を分ける。
これが難しい。
「実録小説」とか「記録小説」とか、創作か実録(ルポルタージュ)か、いったいどっちなんだ?

ちなみに、ベストセラーとなった『男娼の森』(日比谷出版 1949年4月)の著者角達也は、すでに1946年末に「飢餓と淪落の生態-上野に拾う職業諸相-(『旬刊ニュース』32号:上野へ行く 1947年1月15日号 東西出版社)という、昭和21年(1946)晩秋の上野の詳細なルポルタージュを書いている。

また、1950年代の男色世界の優れたルポルタージュである『ゲイ』(東京書房 1958年)の著者富田英三が、このテーマに手を染めたのは「女装の男たち-東京の夜の一章節-」(『ホープ』3巻12号 1948年12月)だったようだ。

19時、やっと仕分けとリスト化を終える。

夕食は、豚肉とほうれん草のしゃぶしゃぶ(常夜鍋)。

久しぶりに仲良し姐さんに電話。

電話の後、いつものパターンで、そのまま眠ってしまう。
電波の状態が良いベッドでかけるせいもあるのだが、やはり声を聞くと気持ちが和むのだと思う。

3時間ほど熟睡。

1時、目が覚めて、お風呂に入って、髪を洗う。

夜中、「日記(22・23・24日分)を書く。

就寝、5時。

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