2005年05月15日 江戸の陰間茶屋の分布 [性社会史研究(陰間)]
2005年05月15日 江戸の陰間茶屋の分布
5月15日(日)曇り
10時起床(仕事場)。
もう少しゆっくり寝てようと思ったのに、なぜか目が覚めてしまった。
朝ご飯を食べながら、昨日の「日記」を書く。
その後、サイトの更新原稿を作る。
14時頃、急激に眠くなり、耐えられず、昼寝。
2時間ほど倒れていて、やっと気分回復。
18時、早目に帰宅。
夕食は、まぐろとみる貝のお刺し身、鯛のアラの潮汁。
テレビ「義経」などを見た後、早目にお風呂に入る。
23時頃から研究発表用の地図作り。
明治20年の地図に、江戸の陰間茶屋の所在地を貼り込む。
江戸は現在の東京に比べて狭いとはいえ、思っていたより散在している。
日本橋界隈の芝居町(堺町・葺屋町、芳町、木挽町)や大寺院の近隣地(芝神明、湯島天神)は立地的にわかるが、山の手の寺社地(麹町天神、市ヶ谷八幡、赤城明神)に散在する陰間茶屋は誰が利用したのだろう?。
周囲は武家屋敷が多いから、やっぱり武士なのだろうか?
作図作業は1時頃に終え、あとはひたすらレジュメの原稿書き。
4時間ほどかけて、戦後混乱期の男娼とゲイバーについてまとめる。
戦前の女装の男娼は判る限り単独行動のようなので、集団化(組織化)したのは、戦後の上野(ノガミ)が初めてのようだ。
就寝5時半。
5月15日(日)曇り
10時起床(仕事場)。
もう少しゆっくり寝てようと思ったのに、なぜか目が覚めてしまった。
朝ご飯を食べながら、昨日の「日記」を書く。
その後、サイトの更新原稿を作る。
14時頃、急激に眠くなり、耐えられず、昼寝。
2時間ほど倒れていて、やっと気分回復。
18時、早目に帰宅。
夕食は、まぐろとみる貝のお刺し身、鯛のアラの潮汁。
テレビ「義経」などを見た後、早目にお風呂に入る。
23時頃から研究発表用の地図作り。
明治20年の地図に、江戸の陰間茶屋の所在地を貼り込む。
江戸は現在の東京に比べて狭いとはいえ、思っていたより散在している。
日本橋界隈の芝居町(堺町・葺屋町、芳町、木挽町)や大寺院の近隣地(芝神明、湯島天神)は立地的にわかるが、山の手の寺社地(麹町天神、市ヶ谷八幡、赤城明神)に散在する陰間茶屋は誰が利用したのだろう?。
周囲は武家屋敷が多いから、やっぱり武士なのだろうか?
作図作業は1時頃に終え、あとはひたすらレジュメの原稿書き。
4時間ほどかけて、戦後混乱期の男娼とゲイバーについてまとめる。
戦前の女装の男娼は判る限り単独行動のようなので、集団化(組織化)したのは、戦後の上野(ノガミ)が初めてのようだ。
就寝5時半。
2012-09-20 14:15
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