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2011年09月28日 戦後性風俗雑誌『りべらる』の書誌 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2011年09月28日 戦後性風俗雑誌『りべらる』の書誌

戦後の混乱期に雨後の竹の子のように乱立した性風俗雑誌には、正確な書誌が明かでないものが結構ある。

創刊の時期は創刊号があれば確認できるが、終刊の時期は「終刊号」と銘打ったものもなくはないが、ほとんどの場合、予告なしに消えてしまう(休刊・廃刊)ので、時期を確定するのはかなり難しい。
早い話、いちばん新しい号の実物を探して、「少なくともこの時までは刊行されていた」とするしかない。

ところが、俗に「カストリ雑誌」と呼ばれるこの手の雑誌、1945~49年の占領軍検閲時代のものは、「プランゲ文庫」(*)のマイクロフィッシュが国会図書館などに収蔵されていて閲覧できるが、それ以降の時期のものは、所蔵している図書館がきわめて少なく、実物に当るにしても苦労する。

昭和20年代の性風俗雑誌の代表格である『りべらる』(昭和21年1月創刊、太虚堂書房)も終刊の時期が明らかでなかった。

以前、ネットで『リベラル』の書誌を調べた時には、「昭和21年から28年まで続いたらしい」という説が載っていた。
(参照)「カオスの本棚」http://homepage2.nifty.com/bookbox/annakonna2.htm

しかし、昭和28年終刊説は、私が3年ほど前に昭和29年(1954)12月号を入手してデータを更新したので、成り立たない。
りべらる9-13(1954).JPG
↑ 『りべらる』昭和29年(1954)12月号(第9巻13号、太虚堂書房、定価100円、A5版148頁)

その後、「SMぺディア」というサイトに「1955年(昭和30年)9月まで発行され、その後『漫画タイム』へと誌名改題され1956年(昭和31年)2月に幕を閉じる」と記されているのを知った。
さらに、太虚堂書店の刊行は1955年(昭和30)4月号までで、1955年(昭和30)5月号以降は白羊書房から刊行されたとのこと。
(参照)「SMぺディア:りべらる 」
http://smpedia.com/index.php?title=%E3%82%8A%E3%81%B9%E3%82%89%E3%82%8B

りべらる10‐5(1955).JPG
先日、『りべらる』昭和30年(1955)4月号(第10巻5号、定価100円、A5版148頁)を入手した。

「SMぺディア」の解説によれば、太虚堂書房刊行の最後の号ということになるのだが、奥付の発行所ははすでに白羊書房になっている。

また、最終頁の「編集室」というコーナーに、
「この度、約十年にわたって皆様に親しまれて来た「太虚堂書房」と云う社名を、本年初頭より「白羊書房」と変更致しました。勿論社の内容にはなんらの変更もありません」
という挨拶文が載っている。

『りべらる』の発行所が「太虚堂書房」から「白羊書房」に変わったのは社名変更だったことがわかった。

ということで、「SMぺディア」の記述をベースにして、少し修正を加えると、『りべらる』の書誌は、下記のようになる。

昭和21年(1946)1月、太虚堂書房から創刊。
昭和30年(1955)4月、4月号(10巻5号)から、社名変更により発行所が白羊書房に変わる。
昭和30年(1955)9月、9月号まで『りべらる』の誌名で刊行。
昭和30年(1955)8~10月、『りべらる』から『漫画タイム』に移行。
昭和31年(1956)2月、2月号で『漫画タイム』が終刊。

【追記(11月26日)】黒田さんからいただいたご教示(コメント欄)によって修正を加えた。
『りべらる』から『漫画タイム』への移行事情はたいへん複雑なようである。

ところで、『りべらる』昭和30年4月号の内容だが、「男娼日記 ヒロポンらぷそで」(石河宏)という記事が載っている。
「小田急線沿線にある、かなり大きな療養所」を舞台に、元男娼の「おアネエさん」が主人公の小説。

残念なことに「おアネエさん」であっても療養所に強制収容されているので、女装シーンすらなく、男娼の生態に関してはほとんど資料にならない。

昭和30年には、時代風俗の関心が、男娼からヒロポン(**)に移っていることを感じる。

* プランゲ文庫
アメリカのメリーランド大学図書館が所蔵する、日本が連合国に占領されていた期間のうち1945年から1949年にかけて国内で刊行された出版物のコレクション。検閲のため連合国軍総司令部に提出された出版物を、戦史局長だったゴードン・ウィリアム・プランゲ(Gordon William Prange 1910~1980)が一括してアメリカに送ったもの。マイクロ・フィッシュ化された複製が、国立国会図書館や国際日本文化研究センター(京都)に入っていて閲覧できる。

** メタンフェタミン(商品名:ヒロポン)
明治26年(1893)薬学者・長井長義によりエフェドリンから合成され、大正8年(1919)緒方章がその結晶化に成功した。アンフェタミンより強い中枢神経興奮作用をもつ覚醒剤である。
ヒロポン(Philopon)は、大日本住友製薬の登録商標でメタンフェタミンの商品名であり、成分名は塩酸メタンフェタミン錠。
日本では、大正末~昭和初期以降、疲労倦怠感を除き眠気を飛ばす「除倦覚醒剤」として軍・民で使用されていた。当時は副作用の危険性が知られていなかったため、一種の強壮剤のような形で広く利用されていた。
しかし、昭和20年(1945)8月の敗戦後に軍の備蓄品が市場へ流出し、精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延、依存症になる者(「ポン中」)が続出し大きな社会問題となった。中毒患者は50万人を超えたと推定されている。このため、昭和26年(1951)に「覚せい剤取締法」が施行された。

コメント
『りべらる』補足と『あまとりあ』昭和26年増刊号(黒田さん)
初めまして。『風俗科学』について検索しておりましたところ、貴ブログへ辿り着きました。
 性科学雑誌の書誌的な研究は大衆雑誌やカストリ雑誌と比べて遅れており、その意味から見ても貴重な研究サイトだと思います。

こちらで扱われている『りべらる』と『あまとりあ』ですが、幾つか補足事項をお知らせしたくコメント致しました。
別掲示板経由でSMpediaへ転載して頂いた上記雑誌2点の記事は私が書いたので現物を所持しており、それらを確認したうえでの通知です。

『あまとりあ』昭和26年増刊号(1巻7号)は『あまとりあ臨時増刊 世界性愛文学選集』鎖夏特別号として昭和26年8月15日付で発行されております。
また、『あまとりあ』創刊号には『あまとりあ新聞』が付録として挟み込まれていました。

『りべらる』は誌名改題の期間が複雑であり、同誌8月号が発行されたあと、『漫画タイム」名義の増刊が発行、『りべらる』9月号が発行されると同時期に『漫画タイム』9月1日号が発行されました。
『漫画タイム』になってからは月2回発行となり、1日号と20日号が出ておりました。
廃刊については、「悪魔の嘲笑」の著者校ゲラが2月20日号掲載分までしか作者に送られていない事、真野律太氏が編集長を務める別雑誌の創刊も考慮してSMpediaへ「2月で廃刊」と記しました。

簡単ながら以上の通り、御報告申し上げます。
(2011年11月23日 00時30分09秒)

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Re:『りべらる』補足と『あまとりあ』昭和26年増刊号(09/28) (三橋順子さん)


黒田さん、いらっしゃいま~せ。

> 性科学雑誌の書誌的な研究は大衆雑誌やカストリ雑誌と比べて遅れており、その意味から見ても貴重な研究サイトだと思います。

ありがとうございます。
書誌研究がメインテーマではないのですが、誰かが整理しておかないとますます解らなくなりそうなので・・・。

> こちらで扱われている『りべらる』と『あまとりあ』ですが、幾つか補足事項をお知らせしたくコメント致しました。

ご教示ありがとうございます。
ご指摘を踏まえて、本文に訂正を加えておきました。

昭和30年前後のこの種の雑誌の出版事情はかなり複雑なようですね。
誰か整理して、まとめてくれないかなぁ、と思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。
(2011年11月27日 02時56分48秒)

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