2012年06月26日 末期の『あまとりあ』 [性社会史研究(性風俗雑誌)]
2012年06月26日 末期の『あまとりあ』
昨日、1950年代前半に刊行された「性科学」雑誌『あまとりあ』(1951年3月創刊、あまとりあ社)の末期の号を4冊入手した。
↑ 『あまとりあ』昭和29年(1954)12月号(4巻12号)
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)1月号(5巻1号)
この頃は、和風趣味の表紙だった。
ところが、その後、表紙のデザインが一新される。
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)6月号(5巻6号)
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)7月号(5巻7号)
題字が、創刊号以来の平仮名書き「あまとりあ」からアルファベット表記の「AMATORIA」になり、従来からあった「STUDIES IN SEXUAL CUSTOMS」という英語の書名?がより目立つようになった。
表紙デザインの変更は、2~5月号の間にあったはずだが、詳細な時期は把握できていない。
ところで、この7月号には下記のような「終刊宣言!」が綴じ込まれている。
この手の性風俗雑誌は、予告なく「突然死」することが多いので、こうした終刊予告は珍しい。
で、予告された終刊「増大号」がこれ。
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)8月号(5巻8号)終刊
1月号が170頁(100円)、7月号が174頁(150円)だったのに対して、8月号は382頁(250円)と倍以上の厚さ。
終刊号に掲載されている「おなごり座談会 悪書?製造者大いに語る」によれば、『あまとりあ』の終刊は、経営問題ではなく(ずっと黒字)、当時、吹き荒れた「悪書追放運動」の標的にされたため(間接弾圧)だった。
巻末の「さようなら あまとりあ」には、当時の「性科学」分野の大家・著名28人から寄せられた「弔辞」が並ぶ。
戦後「性科学」雑誌の老舗らしい、堂々たる終焉だった。
※ 初期の『あまとりあ』については以前に紹介したので、興味のある方は下記をどうぞ。
2011年02月28日 初期の『あまとりあ』
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19-9
昨日、1950年代前半に刊行された「性科学」雑誌『あまとりあ』(1951年3月創刊、あまとりあ社)の末期の号を4冊入手した。
↑ 『あまとりあ』昭和29年(1954)12月号(4巻12号)
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)1月号(5巻1号)
この頃は、和風趣味の表紙だった。
ところが、その後、表紙のデザインが一新される。
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)6月号(5巻6号)
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)7月号(5巻7号)
題字が、創刊号以来の平仮名書き「あまとりあ」からアルファベット表記の「AMATORIA」になり、従来からあった「STUDIES IN SEXUAL CUSTOMS」という英語の書名?がより目立つようになった。
表紙デザインの変更は、2~5月号の間にあったはずだが、詳細な時期は把握できていない。
ところで、この7月号には下記のような「終刊宣言!」が綴じ込まれている。
この手の性風俗雑誌は、予告なく「突然死」することが多いので、こうした終刊予告は珍しい。
で、予告された終刊「増大号」がこれ。
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)8月号(5巻8号)終刊
1月号が170頁(100円)、7月号が174頁(150円)だったのに対して、8月号は382頁(250円)と倍以上の厚さ。
終刊号に掲載されている「おなごり座談会 悪書?製造者大いに語る」によれば、『あまとりあ』の終刊は、経営問題ではなく(ずっと黒字)、当時、吹き荒れた「悪書追放運動」の標的にされたため(間接弾圧)だった。
巻末の「さようなら あまとりあ」には、当時の「性科学」分野の大家・著名28人から寄せられた「弔辞」が並ぶ。
戦後「性科学」雑誌の老舗らしい、堂々たる終焉だった。
※ 初期の『あまとりあ』については以前に紹介したので、興味のある方は下記をどうぞ。
2011年02月28日 初期の『あまとりあ』
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19-9
2012-09-20 00:14
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