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2005年09月26日 遊廓・赤線踏査のメモ作り [性社会史研究(遊廓)]

2005年09月26日 遊廓・赤線踏査のメモ作り

遊廓・赤線踏査のメモを作る。
2000年11月の東京洲崎から、2005年9月の京都中書島・橋本まで12カ所になっていた。

自分としてはメインテーマではなく、サブテーマのひとつという位置付けなので、計画的に歩いているわけではない。
出張先で時間があるときに立ち寄ったり、気が向いて出掛けたりなのに、いつも間にか、ずいぶん写真が溜まっていた。

中にはすでに失われてしまった建物の写真もある。
今まであまり整理もしていなかったので、この機会に少しちゃんと整理しておこうと思う。

私が遊廓や赤線があった場所を歩いて当時の建物などの写真を撮るのは、主に三つの理由がある。
第一は、原色のタイルに彩られた怪しいデザインの建物に不思議な魅力を感じるから。
第二は、かってその場所で、さまざまな理由から売春という行為をしなければならなかった「女たちがいた」こと、あるいは、一時の快楽のために女たちを買った男たちがいたことを、忘れたくないから。
第三は、なぜか研究が手薄な戦後の買売春の歴史の今に残る生の資料を収集したいから。

こう書くと、性社会史研究者らしいすごく真っ当な理由に見える。
だけど、ほんとうの理由はもっと深いところにあるのかもしれない。

なぜか、私は遊廓や赤線のあった場所に惹かれるのだ。
そして、その場所に立つと、妙に懐かしい思いが浮かんでくる。
その場所にいたであろう女たちにシンパシィというか、親和感を感じている自分に気が付く。

最初は、私が旧青線地区(1946~58年の非合法売春地区)である新宿花園街とその近辺で「女」としての青春時代を過ごしたからかなと思った。
でも、それだけではない気がする。

これから先の話は読み流していただきたい。
2001年1月に初めて新吉原を歩いた。
今はソープランド街になっている街を、赤線時代の建物を探して歩き回った。
小さな公園になっている場所で足が止まった。
なぜかすごく懐かしい気持ちになった。
ずっと以前にいた場所に帰ってきたような・・・・。

そこは、明治~大正期に有名な大店があった場所だった。
私は何回か前の前世で、ここにいたのではないだろうか?
そんな思いが心に浮かんできた不思議な体験だった。

妄想かもしれない、妄想だろう。
でも、今でも心の奥に、その思いはある。

就寝4時。

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