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【資料紹介②】「(人物クローズアップ)舞台に賭ける性転換のストリッパー」  [性社会史研究(性別越境・全般)]

2013年1月22日(火)
【資料紹介】「(人物クローズアップ)舞台に賭ける性転換のストリッパー」
『週刊特集実話NEWS』32号(1961年12月28日号、日本文華社)
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舞台に賭ける性転換のストリッパー
20才まで完全な男性だったが、手術を三回、六年間をついやして女性に転換することに成功した話題のスト嬢!

私は子供が生めない
二十二日から浅草のストリップ劇場に吉本一二三(ヒフミ)さん(27)=本名吉本千億万、港区赤坂福好町一の二 ミハト荘内=というストリッパーが出演している(グラビア参照)
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2013-01-12
彼女は一日三回舞台にたつが初舞台とは思えないほどの熱演である。
薄桃色のドン張が上がると、客席から熱っぽい瞳が舞台に集中する。彼女の持ち場は「吉本一二三のベッド・シーン」と「唐人お吉」である。
ベッド・シーンでは舞台の中央に設けられたベッドを使ってなやましいまでの情景を展開する。また「唐人お吉」では中央に突き出たエプロンステージの端まで出て踊る。ライトは一つ、しかも彼女の顔や裸の腕、胸、腹、足と追いまわす。
確かに彼女はひとりの女性だった。乳房の大きなふくらみもからだつきも“女”だった。
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しかし、司会者は客席に向ってこういった。
「みなさん、吉本さんは六年間という長い年月をついやして、完全な男性から女性に性転換したひとであります。男か、女か、それはただいまみなさまがたが目で確かめたとおりです。今後ともよろしくご後援のほどを……」
吉本さんは司会者とともに深ぶかと頭を下げ、客席の質問にこう答えている。
「手術は三回いたしました。一回目は三週間入院、二、三回目は二週間入院しただけですみましたが、病院に通った日数まで計算するとのべ六年間で女性になりました。みなさんは性器はどうか、小用をするときはどうかとおっしゃいますが、あたしの場合、完全な女性とかわりありません。尿道もその中にありますし、すべて、女なみのものでございます」
“完全な男性”から“女性”に性転換した。欠かんは完全な女性が持っている卵巣だけがないだけ。
「ただ、あたしは子どもが生めないだけです」
という吉本さんは“女”になってとても倖わせだという。
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女形からゲイボーイ
吉本さんは“完全な男性”として昭和九年九月四日に徳島県小松島市に生れたのだった。兄や姉たちと一緒になって、戦争遊びや水遊びなどをやっていたという。
学校でも“腕白小僧”で有名だった。
「そのときなどは本当に男でしたわ。ケンカをやっても負けたことはなかったし、勝気なせいか勉強でも兄たちに負けなかった」
しかし同市立小学校から新制中学に入った十六才のときに(あたしは女ではないだろうか)と思ったという。
男でありながら男が好きになってしまった。しかも普通の友だち同士のようなものではなかった。
相手が体操の教師。彼には妻子があり、体操の先生を思わせるような活発さはなかった。いつもおだやかで、どこかしら貧弱なところがあった。
放課後も、吉本さんは用事にかこつけて会いにいったが、体操の先生はただの男としてしてか見てくれなかった。
学校から家に帰っても、男のやるものは嫌いで自から“女”のやるようなおとなしい仕事が好きになっていた。
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中学を卒業して神戸に職を求めてきた吉本さんは、一時、セメント瓦商の姉の嫁ぎ先に厄介になった。
しかし、有る日神戸市内を歩いていると、綾小路源三郎一座が公演している劇場の前を通りかかった。
(そうだ、ボクは女役者になろう)
思いつめた吉本さんは、綾小路さんを訪れて、熱心に使ってくれるよう頼んだ。
「とにかくもういちど家に帰って相談して両親が承知したらやとってあげよう、きょうはとにかく帰りなさい」
といわれて一応引きさがったものの、数日通いつづけて入団を許された。
その後は、郷里にも帰れなくなった。吉本さんは人生の再出発のつもりで「一二三」(ヒフミ)と改めて、大阪、東京、仙台と全国各地を巡った。
舞台では女装して日本舞踊を踊った。客のうけもよかった。
しかし、給料は安く、食事がまずくて、身体はやせるばかりとうとう一年と六カ月で劇団を出た吉本さんは、東京に出て、ゲイボーイになったのだった。
そこは小さな酒場だった。吉本さんのほかに、六人の男たちが女装してお客をもてなしていたが吉本さんは酒はのめなかった。
しかし、吉本さんは、ゲイボーイになって、初めて常連のお客さんと恋をした。
二人はその後同棲まで発展したが、その男は勤めに出たまま幾日待っても帰ってはこなかった。
「あたしはうらぎられたんだわ」
と気付いたときには一カ月もすぎていた。男だからだろうか、将来を思って去って行ったのだろうか、心はみだれるのだった。
女になろうと性転換をする覚悟をきめたのはそれからまもなくだった。

女として踊りを続けたい
“完全な男性”から“女性”に―。大勢の医師をたずねては性転換できるかどうか診察してもらった。ある石からは、「もし、あなたが女性になったとしたら、わが国で四番目の人です」といわれた。はじめの人は仮性半陰陽の人出、二、三番目の人は男の人だったという。
この三番目の人はすべて性転換に成功して、何不自由なく生活していることを教えられた。
吉本さんの手術は、まず男性の象徴である睾丸を除去することからはじまった。
約一カ月間入院、その間、女性ホルモンを徐々に注射していった。すると、いままで小さな米粒ぐらいの乳房はだんだんと大きくなり、男ではみられない脂肪がからだのいたるところにつきはじめた。
そして、二回、三回と入院するにしたがって、女性としての器官も整形されて、ちょっと見ては女としか判らなかった。
「もう、すっかり女になりました」
と医師からいわれたのは二か月前の九月初旬だった。実に六ヵ年という長い年月を要した。
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しかし、吉本さんとて生きるためには働かねばならなかった。
第一回目の手術が終わると、キャバレーの踊り子になって踊っていた。
北は札幌市にある「白鳥」神戸の「紅馬車」大阪の「白蘭」「銀パリ」などでは有名だが、浅草のストリップ劇場「ロック座」に出演しようとという気になったのは、自分が女になったことを、世の中の人々に確かめてもらうためだった。
支配人の桑野さんは、
「彼女の美しさは、新派でいえば花柳章太郎の持つ美しさですよ。色っぽくて、どうもジレッたくなるようなものを持っているんですね」
という。
「だけどあたしが女として成長していくのはこれからです。結婚もよいでしょう。しかし、あたしは当分の間は結婚ということは考えたくありません。女としての誇りを身につけ、生きるための闘かいがあるんです。恐らくこのような、舞台には、二度とたつようなことはないと思います。私の魅力はなんといってもキャバレーです。働けるだけはここで踊りつづけたいと思っています」
と陽気に笑う彼女である。

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